『アラバスターの壺/女王の瞳 ルゴーネス幻想短篇集』 ルゴーネス   ☆☆☆☆

光文社古典新訳文庫から出ているルゴーネスの短篇集を読了。ルゴーネスといえば国書刊行会の『アルゼンチン短篇集』に収録されている「イスール」しか読んだことがなかったが、この短篇は、猿は喋ることをやめた人間というふざけた奇想が核になっている。私はこういう短篇が大好物なのだが、本書を読んでみるとこの「イスール」の特徴がほとんどそのままこの作家の持ち味と言っていいようだ。その持ち味とは疑似科学的アイデアと、どこかふざけたオフビート感が漂っていることである。

さて、ルゴーネスは19世紀末から20世紀初頭にかけて作品を発表したアルゼンチンの作家で、ボルヘスやコルタサルなどラプラタ幻想文学の源流とされている。こういう「源流」系は今となっては古臭い感じがするものも多いが、本書の作品からはほとんどそんな感じを受けない。本書には18篇が収録されていて、全部は無理だがいくつか短篇をピックアップして紹介してみたい。

まず冒頭の「ヒキガエル」はヒキガエルの復讐で不可思議な死に方をする男の話で、なるほどこんな怪奇譚か、さすがに古い感じだな、と思った一篇だ。さっきほとんど古い感じを受けなかったと書いたが、この短篇は例外である。動物の呪いを警告され、それを信じずに嘲笑した男が死んでしまう。クラシックな怪奇譚のパターンだ。

他もこんな感じなのかなー、と思いながら読んだ次の「カバラの実践」は、博物学者が入手した骸骨がある夜美しい女に変身する話である。プロットはともかく、これを読んで感じたのは文章のスピード感と軽やかさ。ほとんど現代的といってもいい文章のテンポと透明感で、その中にアクロバティックなメタファーがきらきらと散りばめられている。とても心地よい。少なくとも、古臭い怪奇譚の文体とは似ても似つかない。ストーリーも短く簡潔で、題材にもかかわらずどことなくユーモアすら漂っている。

続く「イパリア」は自分の美貌に酔いしれたナルシスティックな少女が壁の肖像となって再生する話、「不可解な現象」は自分が分裂して猿が出現する学者の話である。どうやらルゴーネスの得意パターンはメタモルフォセスであり、しかもそこに奇妙に疑似科学的な説明をつけるところに特徴があるようだ。かつ、その説明とは必ずしもハードSFみたいなマジメなものではなく、一種の洒落であり、言葉の戯れに過ぎない。そのあたりは完全に「イスール」の個性と一致している。そして文体が備える現代的な軽やかさは、どの短篇にも共通する美点である。

次の「チョウが?」は、10代の恋人達が引き離された後で少年がチョウを捕まえて標本にすると少女は死んでしまう、というメルヘンティックな話で、「デフィニティーボ」は背広と帽子をかぶった「デフィニティーボ」が出現したせいで病気になったという男の話。デフィニティーボとは何か? その説明はまったくなく、とにかくその男はデフィニティーボだったというだけのふざけた短篇である。このナンセンス性とオフビート感も、ルゴーネスの現代的な資質を良くあらわしていると思う。

表題作の「アラバスターの壺」と「女王の瞳」は続きものになっていて、まず「アラバスターの壺」ではエジプトの王家の墓を発掘して死んだ学者の話が紹介される。学者を殺したのはアラバスターの壺から立ち上る神秘的な冷気と芳香なのだが、最後にはその芳香が女の姿となって現れる。まるでポーの「赤死病の仮面」だな、と思って感嘆ひとしおで読み終えたのだが、次の「女王の瞳」ではその女がテーマとなり、女のまなざしが持つ神秘についての物語が展開する。

この二つの短篇は他と比べて例外的に長く、ひらめくように展開してあっという間に終わる小品よりもっと物語らしく、ディテールが緻密に書き込まれている。他の短篇がどことなく散文詩的であるのに対し、しっかり小説している。ただ私は他の小品のスピード感と軽やかな文体に魅せられたので、この表題作二篇が特に傑出しているとは思わなかった。

その他の収録作について個々の感想は省くが、ルゴーネスの短篇はざっくりいうと疑似科学的な(時にはSF的な)発想と神秘学的幻想の融合と言っていいと思う。死やメタモルフォセスが頻出する幻想の質はポーに似ている。「死んだ男」など、「ヴァルドマアル氏の病症の真相」そっくりだ。が、ポーの小説世界が憂鬱な黄昏の光に満ちているとしたら、ルゴーネスの世界を満たすのは明るい白昼の光である。

また、疑似科学的な発想も昔のSF短篇のようにストーリーを転がすためのギミックというより、奇妙な発想そのものを面白がり、観念と戯れる態度が顕著で、それは「円の発見」「オメガ波」「ウィオラ・アケロンティア」などを読めばよく分かる。そういう意味ではやはりルゴーネスはボルヘスの先祖であり、リラダンやビオイ=カサーレスあたりとも共通するDNAを持っている。

そして繰り返しになるが最後にもう一度書いておくと、彼の文体には独特の涼しげな美しさがある。今読んでも、いや今読むからこそ尚一層魅力的だと思う。このセンスの良さはもしかすると、ルゴーネスが生粋の小説家ではなく、詩人でもあったためかも知れない。

 

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