『夜は満ちる』 小池真理子   ☆☆☆☆

小池真理子の怪奇短篇集を再読。「やまざくら」「縁えにし」「坂の上の家」「イツカ逢エル」「蛍の場所」「康平の背中」の六つが収録されている。

この作者の短篇集はいくつか持っていてそれぞれ特徴があるのだが、本書の特徴は男女の愛欲、そしてこの世ならざる者の出現を題材にした短篇が多いことだろう。一篇を除き主人公はすべて不倫しているし、主人公だけでなく親も不倫していたりする。性行為の描写も多く、エロティックなムードが漂う。それからこの世ならざる者、つまり幽霊も一篇を除きすべての作品に登場する。これらの作品世界では生者と死者が混交しているのである。

題材ではなくスタイルというかムードの点では、どれも主人公の一人称で書かれており、しかも非常に主観が強く滲んだ語り口だ。エピソードも時系列に沿って事実を書き連ねるというより回想と現実が容易に入り乱れるので、つまり「一人語り」のムードが濃厚。その上で扱う題材がエロスと死者なのだから、どうしても濃厚な、ねっとりしたムードの作品世界が展開する。

主観が強く、語り手の思いに強く支配された物語ばかりなので、必然的に作風は夢幻的になる。理知的というよりどっぷり情緒的になる。もちろん怪奇短篇なので怪談話のような恐怖の情緒が漂うが、ホラーというほどは怖くないと思う。あとがきにあるが、作者は内田百閒の短篇や夏目漱石の「夢十夜」あたりを意識してこれらの作品を書いたようだ。確かにそんな感じがする。ムードだけでなく、たとえば「やまざくら」や「坂の上の家」のラスト一行はきわめて内田百閒的だと思う。夢の中のような奇妙なロジックを感じさせ、意味はよく分からないままに不気味な戦慄がある。

個々の短篇を簡単に紹介すると、まず冒頭の「やまざくら」と次の「縁」は、結末が一種のどんでん返しになっている。語り手自身が物語のキーパーソンとなっており、不気味ではあるが一種のパターンを感じさせ、個人的には今一つだった。ただ、いずれも女性が不倫愛について思い入れたっぷりに語る作品なので、ねっとりした愛欲がらみのディテールはリアルで生々しく、それなりに引き込まれる。

「坂の上の家」は一人暮らしの孤独な翻訳者が、友人でもある担当編集者とだけ交流しながら死んだ母親を回想する話。これだけ不倫が出て来ず、はっきりとは幽霊も出てこない。怪異の装置として機能するのは母が作ったドールハウスである。しかし怖さはほとんどなく、ちょっとした幻想譚という方が適切だ。だから怖い物語を期待する読者には肩透かしだろうが、私は特に好きな短篇だった。明確なストーリーがなく、結末もなんだか曖昧でつかみどころがない印象だが、そこがいい。語り手の翻訳家と編集者・田上とのやりとりなどのディテールにも遊びがあって面白い。

「イツカ逢エル」はまさになつかしい死者たちとの再会をメインテーマに据えた短篇で、これも怪談というより、何かヌクヌクしたノスタルジーを感じさせる幻想譚である。不安を感じつつもだんだんと異界に入っていく感覚は、一時期の筒井康隆の短篇(たとえば『遠い座敷』あたり)に通じるものがある。一方で、「蛍の場所」は典型的な怪談である。巻末の解説によれば、こういうのをタクシー怪談というらしい。夜走るタクシーが客を乗せると……というパターンで、このシチュエーションがいかにも怪談向きなのだろう。この短篇の場合タクシーではないが、車内が舞台となっている意味でタクシー怪談のバリエーションである。

そしてラストが、「康平の背中」。これは著者の別の短篇集『懐かしい家 小池真理子怪奇幻想傑作選1』にも収録されている有名作で、解説でも特に怖いと書かれている。確かにいかにも怪談風の作品で、ラストに向けて盛り上がっていく恐怖感や「まんじゅう、くれえ」という決めフレーズが印象的だが、その分フォーマットを感じさせて、個人的にはそれほど傑作かなという感想だった。不気味な子供が登場するホラーで、ちょっと楳図かずおのマンガを思い出したりもした。もしこの短篇があの絵柄でマンガ化されたら、ものすごく怖いだろうな。

解説には、内田百閒や夏目漱石はじめ色んな怪談文学を知り尽くした著者が、縦横に換骨奪取し引用しつつ書いた作品集とあって、そういう知識や読書経験が豊富な人が読めばまたたまらない魅力があるのだろう。私はそこまで怪奇譚に詳しくないが、それでも内田百閒に通じる世界観は感じた。そういう意味ではとてブッキッシュで、豊饒な作品集なのだと思う。

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