『メアリと巨人』 フィリップ・K・ディック   ☆☆☆★

ディック初期の普通小説を再読。ディック・ファンでもディックの普通小説には関心がないという人は多いらしいので、果たしてこの本は日本でどれぐらい売れたのだろうか。当然、今は絶版である。ディックの絶版本はサンリオ文庫あたりだとびっくりするぐらい高値で取引されていることがあるが、Amazonで見ると、この本はハードカバーなのに170円。全然需要がないらしい。

が、私はディックの普通小説もSFと同じく好きなので、この本が出た時は大喜びで買った記憶がある。で、読んだ後ずっと本棚の奥にしまい込んでこれまで再読しなかったのは、やっぱり印象が薄かったからだ。ディックの普通小説で一番有名なのは『戦争が終わり、世界の終わりが始まった』(ハヤカワ版では『ジャック・イジドアの告白』)だと思うが、あの小説にみなぎる異様なテンションとスリルにはまったく及ばない。なんだかよく分からない話だな、ぐらいで終わってしまった。

で、今回数十年ぶりぐらいに再読してみたわけだが、やっぱり大した出来ではないという感想に変わりはない。その後ディックが書くことになる普通小説の習作、というぐらいの位置づけが妥当だ。じゃあまったく読む価値ないかというと、そうでもない。少なくともディック・ファンにとっては多少の面白みはあるだろう。

舞台はカリフォルニアの小さな町で、音楽業界を辞めてその町にやってきてレコード店を開く50代後半のジョセフ・シリングと、この町で生まれて働く20歳のメアリアンの物語である。タイトルの「巨人」とはシリングのことで、大男というだけじゃなく世界中を見てきたおとなの男性、としてメアリアンの目に映る彼のイメージが投影されている。

この小説はシリングがカリフォルニアの小さな町を訪れて気に入り、唐突にここでレコード店をやろうと決心する場面から始まる。ただ、その後シリングは中盤までほとんど出てこない。その代わり、この町で生まれ育ちこの町で働くメアリアンが今の職場に不満を持ち、フラストレーションを貯めて周囲と軋轢を生む様子がじっくり描かれる。彼女は家具製造会社のタイピストを辞めてシリングのレコード店の求人に応募し、すぐそれも辞めて別に会社に行く。一方でクラブの黒人シンガーに憧れて彼のアパートに行くが、やがて彼が人妻と寝ているのでまた飛び出す。ちなみにその人妻ベスと夫はシリングの友人夫婦である。前半のハイライトは、黒人シンガーやベスやメアリやクラブのピアニストがどんちゃん騒ぎをやって警察沙汰になり、しまいに黒人シンガーをベスの夫が殺そうとして自分が墜落死してしまう場面だ。

要するにメアリは小さな町でくすぶっている自分に苛立ち、衝動的に振る舞ってあちこちで軋轢を産み続ける。彼女を追い立てる焦燥感と刹那的で矛盾する行動の数々はなかなかに破壊的で、メアリが後のディック小説に氾濫するアンドロイド的女性の原型であることを感じさせる。メアリはその後またシリングのレコード店で働き始め、やがてシリングと関係を持つ。シリングは彼女を助けようと色々手を差し伸べるが、メアリは気まぐれな言動を繰り返す。しまいにはシリングが前払いしてくれたアパートも飛び出して、行方をくらましてしまう。

こう見ると、メアリアンの情緒不安気味の言動こそが本書のディック的な部分と言えるかも知れない。彼女はどんどん気が変わっていく。メアリが職場の経営者夫妻と口論したり、両親と口論したり、シリングを戸惑わせたり、友人のピアニストであるポールや婚約者に毒づいたり、という場面にはディック独特のスリルが漂う。

メアリアンは人生を恐怖として見ている。そして終盤、メアリアンはついに自分と自分の人生に対する絶望感に呑み込まれる。それはエントロピーが極限まで増大した世界である。罪というものがすべての人間、そしてあらゆる物の間に広がり、散らばっているとシリングは独白する。この独白と、それが描き出す暗くブリスクな世界観は間違いなくディックの真骨頂である。

このまま終わっていれば、本書はディック特有の厭世的でメランコリックな作品になっていただろうが、この後にエピローグが付いている。それまでの物語からしばらく時間を置いたエピソードで、そこでのメアリアンはすでに落ち着き、破壊的な世界観から脱し、おそらく幸福でさえある。それまでの物語と対照的な、明るい陽光に満ちたシーンである。このエピローグ部分によって、本書はむしろ爽やかなハッピーエンドを迎えることになった。なので、後味は決して悪くない。

結果的に、焦燥感に追い立てられる若いメアリアンの刹那的な彷徨を描く青春小説の趣きを持つ本書だが、その若さの焦燥を一種異様なエントロピー的世界として描き出したところがディックらしさだ。全篇を通じて他視点的叙述で貫かれているのもそうで、これほどまでに主観的で感覚的な小説なのに、メアリアン視点、シリング視点と次々に切り替わっていく。こういうところにも、主観と客観の境界が消えていく、あるいは同じものになってしまうディックの特異性があらわれている。ディックの普通小説にもやはり、彼のSF小説をユニークにしている感性が染み通っていることが分かる。

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