『彼女は頭が悪いから』 姫野カオルコ   ☆☆☆☆

話題作だといってAmazonがススメてきたので購入して読んでみたが、ものすごい不快な小説だった。読書をしてこれほどまでに不快になったのは本当に久しぶりで、その意味では、人間の残虐行為をこれでもかと描いたリョサの『ケルト人の夢』より更に不快だった。が、もちろんこれは出来が悪いということではなく、不快な事件を描いた本書が狙い通りの効果を上げたということだろう。

本書の題材は、東大生強制わいせつ事件である。私は長いこと異国で暮らしているので、この事件が当時日本でどれぐらい騒がれ、どのような議論を巻き起こしたのかまったく知らない。そういえばそんな記事をニュースで読んだなあ、ぐらいだ。だから被害者がネットでバッシングされたことも知らなかったし、一体どんな理由でそうなったのかも全然理解できていなかった。後で色々調べてみたが、私の理解した範囲で言うと、被害者バッシング側の言い分は、被害者は東大生のブランドに惹かれ、ただ東大生をゲットするためだけに肉体を差し出した「勘違い」女であり、それに引っかかって将来を破壊された東大生こそかわいそう、ということらしい。

ともあれ、本書はこの事件のルポではなくフィクションなのだから本書のストーリーを見てみよう。主要なキャラクターは東大生・つばさと女子大生・美咲。物語は彼らの中学時代からスタートし、つばさと美咲の章が交互に切り替わりながら進む。前半では、美咲の家族内でのやりとりや、友人たちとの関係や、淡い恋愛経験などが語られる。ごく普通の女子中学生という感じで、まだほとんど本題には絡んで来ず、スロースタートの印象を受ける。美咲の家族構成や、親の職業や、出身地などがとても丁寧に、詳細に記述されていくのがその印象に拍車をかける。

つばさの方も基本的には同じだが、善意の家族に囲まれて育った庶民的な普通の女の子という雰囲気の美咲に対し、つばさは頭が良く要領もいい、いかにも現代っ子という感じの少年だ。やがて大学時代になり、二人の人生が交錯する。お互いに惹かれ合い、つきあいが始まる。が、美咲がつばさにのめり込むのに対して、つばさはすぐに冷めてしまう。最初は確かに惹かれたのだが、東大の友人達が彼女をDB(デブでブス)と評したことでプライドが傷つき、彼女に対する気持ちが雲散霧消してしまうのだ。が、美咲はつばさを思い続ける。その一方で、つばさが入っているサークル「星座研究会」の活動はだんだん怪しげになっていき、やがて…。

前半では普通の女子中学生の微笑ましい日常描写みたいな小説が最後の方で恐ろしく残酷な事件に発展してしまうのが衝撃的だったが、読了後に実際の事件のことを色々調べてみると、犯行の経緯やそれ以前の加害者の言動含め、かなり事実に即して書かれているようだ。登場人物のセリフや行動が事実そのままだったりする。が、これはあくまでフィクションということを念頭に置いて読む必要はあるだろう。彼らの日常の様子や心理は作者が想像しなければ書けないはずだからだ。

とはいえ、事件の経過は読んでいてあまりにも辛い。人が殺されるわけでもレイプされるわけでもないのに、その醜悪さはまさに酸鼻をきわめる。とても人間の所業とは思えないとほとんどの読者は思うに違いないが、更に驚くのは事件後に逮捕された東大生達の反応である。ただ悪ふざけが過ぎただけ、というのが彼らの言い分だった。何が悪いのか分からなかったらしい。親たちも同じ反応というのがまたびっくりだが、おそらく親たちは事件の実態を知らずに盲目的に自分の子供たちをかばったのだろう。が、実際に事件を起こしたこの東大生達は何なのか。鬼なのか。

ただの学生の悪ふざけだった、被害者が嫌がっていたとは気づかなかった、愉快に飲んでいると思った、レイプする意図はなかった。悪いことをしている自覚もなく、他人の気持ちへの無関心が引き起こすいじめや虐待などの事件を目にするたび、私たちは愚かさが凝り固まって邪悪になった人間ほど邪悪なものはないと思い知らされるが、この事件もそれである。そして東大生の親たちもそれを公然と口にする。

この小説中、ある女子大の教授が加害者の親に言うセリフがあるが、これがまさに正鵠を得ていると思わずにはいられない。息子を退学させるのはイヤだからそれ以外の方法で示談にしたいと言ってきた母親に、この教授は言う。「息子さんを含む、事件に関わった5人の男子学生の前で、あなたが全裸になって、肛門に割箸を刺して、ドライヤーで性器に熱風を当てて見せるから示談にして、とお申し出になってみてはいかがですか」この母親は金切り声を上げて抗議する。

最初にリョサの『ケルト人の夢』より不快と書いたが、人が人を見下した時、「こいつはおれと同じ種類の人間じゃない」と考えた時に人間がいかに残酷になれるかを描いているという意味ではリョサと共通だ。本書の東大生たちは人は殺していないだろうが、本人を目の前にした状態でLineで嘲笑したり、服をはぎ取って笑ったり、罵倒したりする。これが楽しいとは一体どういう精神構造なのか。読んでいて胸が悪くなる。

と同時に、自分もこういう風に人をランク付けする見方をしているのではないか、と不安にもなる。ここまで残酷な行為には至らなくても、微妙に態度が変わることはおそらくあるはずだ。自分なりのランクの物差しは、多分誰もが持っている。その自覚がないのは大変危険だと思い知らされる。

ところで本書は実際の事件を題材にしているということで色々論議を呼んだらしく、東大の描写が事実と違うとか、東大生はみんなこうじゃないという批判もあるらしい。しかし最初に書いた通りこれはルポルタージュではなくフィクションなのだから、過不足ない正確なファクトではないのは当然だ。そもそも、関係者の心理や性格がこの通りであるわけがない。だからフィクションである本書が評価されるポイントは事実かどうかではなく、それが真実かどうかだろう。なぜあの事件が起きたのか。なぜ加害者はあんな非道な行為ができたのか。事件を起こした時、その心の中では一体何が起きていたのか。誰の心のうちにも潜むであろう、隠された醜い心理を炙り出しているところに本書の価値があるのだと思う。

そういうわけで、本書は力作でありかなりの良作だとも思うが、とてもイヤな気持ちになる小説なのであまり人に薦めようという気にはならない。読む人は十分注意の上服用下さい。

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