『ケルト人の夢』 マリオ・バルガス=リョサ   ☆☆☆☆

バルガス=リョサの新刊を読了。これはリョサが時々手掛ける歴史上の人物の人生を題材にした物語で、今回の題材はアイルランドの外交官にして革命家、ロジャー・ケイスメントである。私はこの人物についてまったく知らなかったが、Wikipediaには「アイルランドの人権活動家。イギリスの外交官を務め、ナイトの称号も与えられたが、後にアイルランド独立活動家になった」とある。

どんな生涯だったかを簡単に紹介すると、1864年生まれ、1916年没。まずイギリスの外交官となってアフリカのコンゴへ行き、そこで行われていた暴虐を報告。その報告書は各国政府へ送付され、国際問題へと発展した。次にリオ・デ・ジャネイロ駐在総領事となり、現地で行われていたゴム業者による原住民への搾取と虐待を報告。1912年に辞職、第一次世界大戦中の1916年にアイルランド義勇軍の武器調達のためベルリンへ渡り、逮捕される。最後は反逆罪とスパイ容疑により、ロンドンで絞首刑となった。

この人物の人生を小説化した本書はコンゴ、アマゾン、アイルランドの三つのパートの分かれている。そしてそれぞれの時代の出来事が年代記的に、時間軸に沿って語られるのと並行して、ロジャー・ケイスメントが死刑を前に監獄で過ごす「現在」の光景が繰り返し挿入される。つまり、本書の「現在」ではロジャーは死刑囚となって監獄にいて、過去のことを思い出したり、時折訪れる友人達と面会したりしている。友人達は政府に対してロジャーの助命嘆願を働きかけており、彼が死刑になるなんてことはないと彼を力づける。その合間に、ロジャーが過去外交官としてコンゴ、アマゾンにいた時期のこと、アイルランドへの愛国心ゆえに敵国ドイツと手を結んだ時期のこと、が回想録的に語られる。まあこんな体裁になっている。

コンゴ篇、アマゾン篇で描かれるのは、植民地での恐るべき搾取と虐待の実態である。いやもう、本書に書かれたそれらは凄絶としかいいようがないもので、人間とは同じ人間に対しこうまで残酷になれるのかと、すべての読者を戦慄させずにはおかない。もちろん、その根っこには人種差別がある。虐待者たちは現地の人々を「同じ人間」とは思っていないのだ。つまり人間は「こいつら、おれたちとは違う」と思いさえすれば、特段の抵抗もなく悪魔的に残虐な振る舞いをすることができる救いがたい動物なのである。イラク戦争時のアブグレイブ刑務所事件を思い出す人もいるだろうが、それで足りなければ、ここに十分過ぎておつりがくるほどの歴史的事実がある。

外交官としてコンゴに赴いた当初、ロジャーは植民地政策によって現地に文明と教育とキリスト教をもたらす、という理想を信じていた。が、現地で実際に行われていることを目にしてその理想は無残に破壊される。そこにあったのは、人間の貪欲が生み出す残虐の極致だった。アフリカ人たちはヨーロッパの白人たちから人間として扱われないどころか、家畜の方がはるかにましという扱いを受けていたのである。

驚き、憤慨したロジャーはそれをなんとかしようと動き始める。これはシステムの過ち、欠陥だと考え、それを正そうとするのである。ところがやがて、その残虐行為は欠陥どころかもはや植民地政策そのものと分かちがたく結びついている、という事実が判明する。直接残虐行為を行っている会社や下級の監督者達だけでなく、その恩恵を受けている植民地の住民達、高い地位についている教養ある方々が誰もそれを変えたいと思わない、むしろ維持したいと暗黙のうちに願っているために、ロジャーの努力はことごとく水泡に帰すことになる。

次のアマゾン篇でも、同じことが繰り返される。ゴム会社がありとあらゆる非道を働いている。現地人たちはすべてを奪われ、食べ物は与えられず、ひたすら重労働にこき使われ、しまいには懲罰かただの気晴らしで撃ち殺される。子供たちは奴隷として売られる。まさに地獄図で、これがフィクションでないとはにわかに信じられないほどだ。が、アマゾンでは最後の最後にようやく正義がやってくる。ロジャーの努力の結果、この非道がイギリス本国やアメリカ政府の知るところとなり、ゴム会社は潰され、経営者たちは犯罪者として収監される。

最後のアイルランド篇では、ロジャーがイギリスに支配されているアイルランドを独立させるためにドイツと手を結ぼうとして、反逆罪で捕まる。これまでと毛色が違う展開だが、しかしコンゴ、アマゾンと植民地支配の実態を見てきたロジャーが、結局自分の母国アイルランドも同じような扱いをイギリスから受けているのだと悟ることがきっかけになっており、その意味では深い関連がある。ただ、当時イギリスとドイツが戦争していたという事情を踏まえると、このロジャーの行動が正しかったどうかの判断は難しく、結果的に、彼は多くの友人達からも非難されることになってしまう。

それ以外にもロジャーが同性愛者だったこともスキャンダルとなり、彼に対する風当たりを強めたことや、コンゴ篇では『闇の奥』を書いた作家コンラッドとロジャーが親交を結んだことなども描かれている。

しかし本書最大の読みどころはやはり、コンゴとアマゾンで行われた残虐の実態だろう。あまりの人間の醜さと残酷性に胸が悪くなってくるほどだが、明晰極まりない、猟奇性をまったく感じさせないリョサの理知的な文体が救いとなっている。

最後には絞首刑に処せられたロジャー・ケイスメントの功罪については、おそらく色んな意見があるだろう。しかし大勢の人間が加担する、あるいは見て見ぬふりをしていた残虐非道に対し敢然と声を上げたその行為の気高さ、そして稀に見る勇気は、誰にも否定できないと思う。

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