『ゴースト』 ウィリアム・バロウズ   ☆☆☆☆

久しぶりに再読。随分前に読んだきり本棚の奥に眠っていた本だが、内容はほぼまったく覚えていなかった。というのも、そもそもこの小説にはちゃんとしたストーリーがないのである。最初こそミッション船長というキャラが登場し、マダガスカル島のコミュニティという舞台からスタートするが、すぐにグチャグチャになって、支離滅裂な妄想全開モードとなる。要するに、いつも通りのバロウズ本なのだ。

いってみればこの小説は、ストーリーの断片らしきものとエッセイの無秩序な混合物である。そのエッセイというのも、通常の作家が書く落ち着いた思索やまとまった意見などではなく、バロウズのオブセッション、つまり奇怪な生物や麻薬や病気や人類滅亡の光景などについてのうわごとめいたテキストであり、奇怪な観念や妄想、マジメなのかふざけているのか判然としない信念や仮説などが矢継ぎばやに、前振りもオチもなくどんどん出て来ては消えていく。大体そんなものをイメージしてもらえばいいと思う。

ただそんな状態が延々とエンドレスに続く長編を書いていた頃と違って、後期バロウズ小説は短い。『内なるネコ』と一緒で、本書もさくっと読める。だからそういう意味では読みやすく、かつバロウズのエッセンスも濃縮状態で味わえるお得な一冊だ。私はバロウズはこれぐらいの長さの小説が一番好きで、だから本書もかなり推しである。

ストーリーがないといいながら、大体どんな風に小説が展開していくかをざっと説明してみたい。まず、小説はミッション船長がマダガスカル島に作ったコミュニティから始まる。そこでは絶滅寸前であるメガネザルが神聖視され、ミッション船長自身が誰よりもそのルールを徹底している。山の上の廃墟を探索した後、ルールを破ってメガネザルを殺した男をミッション船長は追放する。が、この男の卑劣な陰謀によりコミュニティは原住民の襲撃を受ける。その後ミッション船長は山の上の廃墟に住みつき、麻薬インドリを知り、メガネザル達と交流する。

このあたりからエッセーが混じり始め、メガネザルのこと、キリストのことなどについて嘘か本当か分からないような話が力強く断定的に語られる。ミッション船長の死後に話が飛び、絶滅生物博物館という言葉が出て来る。そこには絶滅した生物が生息しているという。このあたりから本格的にグチャグチャになり、まずは絶滅した疫病の話になる。バロウズが嬉々として語るのはおぞましい髪の毛病や、赤クモ病である。こんな病気が存在するわけがない。それから人体に寄生する植物なんかの話が出て来て、言語はウィルスだなどとお得意の話題になって、最後は人類が疫病で滅亡する黙示録的光景が描かれ、終わる。

ミッション船長は結局どうなったのとか、途中のキリストの話はなんだったのとか考えてはいけない。本書は首尾一貫した、小説としての結構が整ったものではないし、バロウズも最初からそんなものを書こうとはしていない。ただ自由連想でどんどん横滑りしていって結果的にこうなりましたというような、そんな印象を受ける。

そんな本書の読みどころはというと、もうこれは後半に思う存分筆をふるって描き尽くされる不気味な病気や生物たちが第一である。生物たちとはたとえば人間型コウモリ、温血爬虫類、メガネザルとタコのハイブリッド、植物人間、電気ウナギ人間などで、これらはかつて地上に存在し今は絶滅した生物だとバロウズはいうのだが、そんなわけがない。不気味さに唖然とするようなイメージが次々登場し、その全力旋回するイマジネーションの凄まじさはまさにバロウズの本領発揮である。

かつ、これらエッセー部分にはあちこちにご丁寧な注釈がついていて、小さい字でこれまたしかつめらしい解説をバロウズが書いているが、そんな中にもマダガスカルで原住民に崇められ、生贄が捧げられたという巨大な人食い植物などが出て来るので油断できない。好き勝手、やりたい放題である。そしてもちろん、それがバロウズ本の醍醐味だ。

これが表面的にぱっと目につく読みどころだとすれば、その奥にあるもの、本書の暴走するプロットの底流に一貫して流れるのは、絶滅した、またはこれから絶滅しようとしている動物たちへの鎮魂の念である。そして霊的な存在への敬意であり、やみがたい思慕の念である。もちろんそれは『内なるネコ』全篇から溢れ出していたネコたち、人間より弱い小動物たちへの愛情と同じものだけれども、これが本書の第二の読みどころだ。そして本書がただ目先の珍奇さで勝負するスペクタクル小説ではない理由もこれだ。

もちろん、書き方のスタイルもユニークである。どんなイメージも観念も、じっくり深掘りではなくただ断片的にちらつかせながら駆け抜けていく疾走感あふれるテキストが、最初から最後まで続く。読者はなんだこれはとあっけにとられながら、ただ目を丸くして読み続けるしかない。バロウズが書く小説はみんなそうであるように、これもまた世界中でバロウズにしか書けない小説である。

それにしても、こんなディテールを次々と紡ぎ出すバロウズの頭の中はどうなっているのだろうか。たとえば後半、人間の特徴は言葉を使うことであり、それは脳の右半球と左半球の間にある溝と関係があり、それは更にマダガスカル島とアフリカを隔てる溝と類似性がある、なんていうあたりの妄想的ロジックのアクロバット的展開には目がくらむ思いがする。

要するに、そんな本です。好きな人だけどうぞ。

“ゴースト” への2件のフィードバック

  1. 『裸のランチ』からカットアップ三部作で始まった宇宙からのウィルスやら麻薬(ヤーへ)を巡る旅や言語実験が終わり『ゴースト』『内なるネコ』など後期作品はバロウズの作品全ての終章みたいに思えますね。
    猛毒のハイブリッド生物や人類の変種?の巣窟
    「絶滅生物博物館」や断片的なイメージの羅列。
    自らの厭世観と世界の終わりを混在させてる様な。
    1990年に池袋・セゾン美術館での『バロウズ・ショットガンペインティング展』見に行ったの思い出しました。

  2. >『ゴースト』『内なるネコ』など後期作品はバロウズの作品全ての終章みたいに思えますね。
    確かにそうですね。全体に、一抹の寂しさを帯びた「終わり」の感覚で貫かれている気がします。それまでの白熱した言語実験期を過ぎて物語に回帰し、うっすら叙情性も出てきていますし。といっても、暴走するイメージの凶悪さはあいかわらずですが。

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