『涙』 パスカル・キニャール   ☆☆☆★

『約束のない絆』に続いて、キニャールの小説『涙』を読了。これは現代小説ではなく、歴史小説である。

とは書いてみたものの、しかしこれは、本当に小説なのだろうか。普通に私達が「小説」と思っているもの、つまりストーリーがあって描写があってエピソードが繋がっていって、みたいなものを期待して読むとまったく違うので、読者は激しく戸惑うことになる。まず、ストーリーがない。完全にゼロとは言わないが、ほとんどない。時々同じ人物が出ては来るが、エピソードとエピソードを結ぶ線というか繋がりがないので、ストーリーのようなまとまったものを構成しない。

では代わりに何があるのかというと、考察や観念や歴史的知識の断片がある。それらをランダムに、思いつくままに羅列した(ようにみえる)文章がどんどん続いていく、それが本書である。考察や観念ってどんなものかというと、たとえば言語について、原初について、動物たち、ヨーロッパの誕生、国家の軋轢の誕生、フランス語の誕生、地名の誕生、母の性器から生まれてくる子供たちについて、音楽について、などである。

これらが章をあらためてとか主題ごとに順番にとか、そういう整理や配慮はいっさいないまま、筆の向くまま気の向くままに入れかわり立ちかわり出て来る。前のパラグラフと次のパラグラフの関連性も分からない。唐突に話が変わるし時間も飛ぶので、全部キニャールの気まぐれに見えるが、もしかすると実際は緻密な計算がなされているのかも知れない。ただそれを読み解くには、キニャール並みの知識と教養が必要になるだろう。

かろうじて小説らしさを感じるのは、本書を通して繰り返し登場してくる人物たちがいるからである。一応、主役は双子のニタールとアルトニッド。そして、アルトニッドが愛した年上の女予言者サール、そして双子の教師であるリュシウス修道士。主な登場人物はこんなところである。他にも歴史上の王侯貴族や古代の芸術家たちなど色々出て来るが、みな閃光のように登場して閃光のように消えていく。だから私はほとんど覚えていません。

ニタールは本書なかばで死に、アルトニッドは本書の終結部で死ぬ。だから本書はニタールとアルトニッドの人生が経糸になっている小説、と言えないこともない(ただし、それは本書のごくごく一部)。かろうじて小説らしさを感じるといったのはそういう意味だ。

したがって本書の核心をなすのはとめどなく繰り出されるキニャールの考察や観念ということになるが、その点に関して本書はキニャールが得意とするテーマ、あるいはオブセッションが総動員されている印象がある。たとえば落馬のイメージ、舌の先に引っかかって出てこない言葉、そして何よりもキニャールの最重要観念といっていい「原初」。

これらキニャールの読者にはおなじみの観念が次々と登場しては、キニャールの箴言の如き強靭な文体で一瞬光を当てられ、きらめいてはまた消えていく。本書を読む体験とはそういうものである。キニャールは普通の作家のように人間関係や、登場人物の悩み、葛藤、移ろいゆく心理などはまったく描かない。その代わり記されるのは世界のなりたちや言葉のなりたち、動物と人間の関係性、人は原初どうだったか、そしてなぜ変化したか、等々だ。

タイトルの「涙」とは、ウェルギリウスのテキスト、「ラクリマエ・レルム。万物の涙。空から降ってくる原子は万物の涙だ」からとられている。「地上の比類なく美しい形象や場所がしまいには苦しみの涙になることを、ウェルギリウスはこのように記した」とキニャールは書いている。

構成について触れておくと、本書は全体が10の書の分割されている。そしてそれぞれに「ブルーベリーの男の書」「読み解けない心の書」「アンジルベールの詩についての書」「ニタールの死をめぐる書」「エデンの書」など、読者の想像を掻き立てるようなタイトルが付けられている。

ここまで読んだ方は、まるで小説というより哲学書みたいだなと思われるかも知れないが、その想像はおそらく半分ぐらい正しい。本書には確かにニタールとアルトニッドをはじめ色々なキャラクターが登場し、彼らの行動や考えが記述されるが、それらはとても濃密に煮詰められ要約された形でしか記述されないし、彼らの行動とは何のかかわりもない観念や哲学的考察がエッセーのようにして突然挿入されたりする。ただこれは哲学書というよりも、観念や言葉のイメージを次々と投げかけて読者を幻惑するという意味では、むしろ小説と詩のハイブリッドのようなテキストなのだろうと思う。ただキニャールの「詩」は抒情詩ではなく、観念のポエジーなのだ。まあ正確にいうと、小説と詩と哲学書のハイブリッドなのかも知れないが。

そんな中で、結末部分に出て来るリュシウス修道士が時を越えるエピソードはいかにも小説らしくて、面白かった。まるで中国の怪異譚のようで、『聊斎志異』の一篇を読んでいるような気分になる。

訳者あとがきで「言語のありのままの美しさほど驚異的なものはない」というキニャールの言葉が紹介されているが、本書はまさにこの言葉を実践する試みなのだろう。読者には、言葉のありのままの美しさと驚異を味わう態度が求められている。加えて作者には読みやすくしようとか読者を導こうとかサービスしようという気はまったくなく、それぞれが勝手に、好きなように読んで下さいという態度である。不親切きわまりない。が、もしかしたらキニャールは「言葉のありのままの美しさ」を感じるにはこれしか方法がないと考えているのかも知れない。

正直、私も本書を読み解けた自信はない。だから正直に星三つ半の評価としたが、いわゆる「小説」とはまったく異なるユニークなテキストであることは分かった。キニャール・レベルの知識も教養もない私としては、一通り読み終えた後では順番を気にせず、パラパラめくって目についたセンテンスを読み、その言葉の美しさを味わう、という読み方をしていくだろうと思う。

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