『クレールの膝』 エリック・ロメール監督   ☆☆☆☆☆

所有するロメールのブルーレイ・ボックスから『クレールの膝』を初鑑賞。「6つの教訓話(Six contes moraux)」シリーズの5作目で、例によってロマンスと快楽こそ人生の目的、という享楽主義的キャラクター達が繰り広げるエロティックなコントである。

が、ロメールの場合エロティックといっても必ずしも裸やセックスを意味しない。むしろ、登場する男女がいかにしてエロティックな満足感を得るか、がエロティシズムの核心で、それは別にセックスせずとも心理的優位に立つとか、この女を落とせると思えればもうそれだけで満足できるものだったり、あるいは複雑な心理的駆け引きの結果、誰の目にも見えないままもたらされるものだったりする。要するに人間心理の奇妙さ、あるいは滑稽さこそがその核心であり、もしかすると単なる錯覚、あるいは屈折した自己満足に過ぎないのかも知れない。

ロメールが描くエロスとは常にそういう形而上学的揺らぎを孕むものだけれども、この映画ではことの他、それが明瞭に描かれているように思える。

ざっとストーリーを紹介すると、結婚を控え、風光明媚なアヌシー湖畔の別荘に一人で夏を過ごしに来たジェロームは古い女友達で作家のオーロラと再会し、オーロラが泊っている隣家の人々との交流が始まる。オーロラは、まだ十代の娘ローラが彼に関心を持っていると告げ、作家的好奇心からジェロームをけしかける。なんとなくその気になったジェロームはローラをピクニックに連れ出してキスするが、思わせぶりなローラはそれ以上の進展を拒否する。

次に、パリからやってきたローラの姉クレールの美脚に惹かれたジェロームは、再びオーロラにその気持ちを打ち明け、第二の実験と称してクレールの膝に触れると予告する。ある時、町でクレールのボーイフレンドが浮気しているのを目撃したジェロームは、雨宿りで二人きりになった時にそれをクレールに告げる。ショックを受けたクレールは泣き出してしまうが、その時ジェロームはクレールの膝に手を伸ばす…。

いい年したおとなが未成年の娘相手にバカなんじゃないかと思われるかも知れないが、これがフランス人の享楽主義的人生である。楽しんでこそ人生。やりたいこと、楽しいことならなんでもやる。フランス人がみんなそうなのかどうかは知らないが、少なくともロメール映画に登場する男女はいつもこんな感じで、本作のジェロームも例外ではない。元外交官という高い地位にあって(今何しているのかはよく分からない)、もうすぐ結婚だというのに隣家の若い娘達を誘惑することに夢中になっている。

ジェロームと女流作家のオーロラはいわば共謀関係にあり、二人はエロスの実験を行っているわけだ。ジェロームは自分の快楽のために、オーロラは作家的関心のために。従って彼らの会話は形而上学的議論で満ち溢れることになるが、その他ジェロームとローラも結婚や恋愛について議論を交わすし、ジェロームがローラのボーイフレンドに話を聞いたり、クレールへ説教したりもする。要するに、この映画も他のロメール映画と同じく自分の心境や人生観を雄弁に説明しまくる登場人物たちで満ち満ちている。特にジェロームとローラのダイアログが多く、ジェロームは結婚は快楽でなければならず義務になってはいけない、自分から女を追いかけたくない(そうすると必ず失敗するから)、理想の女とは、などの話を繰り広げ、まだ若いローラは自分と同年代の男はつまらない、人生において恋がすべてではない、などと主張する。いつも通り、とにかく理屈っぽいセリフが多い。

ストーリー面では、この映画はジェロームがクレールの膝に触れるシーンに向かって凝縮していく印象がある。もちろんそれはあのシークエンスで緊張感が絶頂に達するからだが、全般にアンチクライマックス的緩さを特徴とするロメール映画にしては、割と珍しい。観客は見ていてハラハラするし、クレールは一体どんなリアクションをするかと固唾をのんで見守ることになるが、個人的には、あの流れであのリアクションはないだろうと思う。仕掛けるタイミングとしては最悪だと思うが、恋愛達人のフランス人だとああいうことが可能なのだろうか。

結果、ジェロームはオーロラに自分の成功を得々として語り、これでもう他の女には関心がなくなった、思い残すことなく結婚できる、と告げて去る。彼はクレールをものにしたわけじゃないけれども、膝に触れるという行為がその代替となっているのである。エロティシズムは満たされ、彼は満足してこの物語から出ていく。

この映画を観て単純にロメールをロリコンや膝フェチと考える人もいるかも知れないが、彼の関心はむしろエロティシズムが何から生じ、どのように人間を支配し、どのように行動させるかにある。前述の通り、この映画では特にそれがはっきり分かる描き方をしている。ジェロームはクレールへの欲望と、自分の理屈っぽい哲学の化学反応から満足感を得ているようだが、それはエロスかも知れないし、単なる自己満足かも知れない。すべてが錯覚かも知れない。そういうアイロニーをこの映画から感じ取ることができる。

ちなみにジェロームが「これでクレールとボーイフレンドは別れるだろうが、彼女にとってはいい経験だ」と自信たっぷりに予告して去った後、クレールとボーイフレンドは普通に仲直りすることが暗示されて映画は終わるが、これもまたロメール一流のアイロニーだ。

そしてまたこの映画では、舞台となっているアヌシー湖畔の光景がとても美しい。室内のシーンもまた美しく、ロメールの色彩設計とコンポジションの妙をたっぷり味わえる。解説書によれば、ゴーギャンの色彩を念頭に置いたという。

またロメール・ファンにとって本作のもう一つのみどころは、この後ロメール映画の常連となる女優ベアトリス・ロマンのデビュー作ということだろう。おそらくジェロームの次に重要なキャラであるローラを演じる彼女はまだ少女だが、確かに強烈な存在感を放っている。私は『恋の秋』で初めて彼女を見たが、あの映画ではすでに中年女性だった彼女が初々しい十代の少女として登場する本作を鑑賞するのは、なかなか感慨深いものがあった。

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