『Dolls』 北野武監督   ☆☆★

これまでちゃんと観たことがなかった唯一の北野武監督作品、『Dolls』をようやく日本版ブルーレイで鑑賞した。ちゃんとというのは、昔レンタルビデオで借りて1/3ぐらい観たところでビデオテープが止まり、どうしても先へ進まなくなって諦めたことがあるからだ。発表は2002年で、『Brother』と『座頭市』の間。言ってみれば初期の作風から変化し始めた頃で、それほど評判も良くないようなのでこれまで観ないままだった。

発表当時は、北野監督が撮った純愛物語みたいな宣伝文句だった記憶がある。観てみると確かにそんな感じはあり、三組の男女の究極の純愛、つまり少々現実離れした愛情の絆を扱った群像劇になっている。これらの男女は同じ物語の中で絡むことはほとんどなく(ごく一部に登場人物が交錯するシーンあり)、基本的にそれぞれ別のストーリーがシャッフルされたまま進んでいく。

三つのストーリーとは、自分が裏切ったせいで心を病んでしまった元恋人を病院から連れ出し、一緒に放浪者となる元エリートサラリーマンの青年、偉くなるため若い頃に別れた女と死期を間近にして再会するヤクザの親分、顔の傷が原因で引退したアイドルに自分も盲目となって会いに行く追っかけの青年、の三つである。一つ目のカップルは菅野美穂と西島秀俊、二つ目は三橋達也と松原智恵子(若い頃は津田寛治と大家由祐子)、三つ目は深田恭子と武重勉が演じている。

少々現実離れした純愛というのは、一つ目のサラリーマンの青年は心を病んだ元恋人と自分を紐で結び、路上生活を送る「繋がり乞食」になってしまうし、二つ目のヤクザを待つ女性は何十年も「お弁当を作ってこのベンチで待ってるから」という約束を守り続け、三つ目の追っかけ青年は顔の傷を見られたくない元アイドルに会うために自分で自分を盲目にしてしまうからだ。とてもリアリズムの恋愛劇ではない。

それから、すべて悲劇的結末を迎える点も共通している。Wikipediaではこの映画について「それぞれの人生に希望を持とうとした刹那に死へ直面するという無情さを描いた作品であり、北野は『これまでで一番、最も暴力的な映画である』と発言している」と記載されている。これまでで一番かどうか分からないが、このドライであっけない残酷性は『ソナチネ』『HANA-BI』にも通じる、初期のたけし映画独特の虚無感をある程度この映画にももたらしている。

更に、三つのストーリーの中でメインとなる「繋がり乞食」となる若いカップルの話は、人形浄瑠璃「冥途の飛脚」と重ね合わせる趣向が凝らされている。そもそもこの映画は、いきなり人形浄瑠璃を真正面から映した長いシーンから始まって観客の度肝を抜く。

北野監督としては、ただ人形浄瑠璃への興味があったから程度の思いつきなのかも知れないが、そもそも簡潔で切りつめられた演出、役者に感情表現をしない演技をつける等の特徴を持った北野監督の映画は、言ってみれば表情のない人形を使ったドラマを志向しているとも言える。その意味で、人形の顔が万感の思いを湛えているようにも見える冒頭の人形浄瑠璃のシーンはあたかも北野映画のエッセンスのようで、それをほとんどセリフがない菅野美穂と西島秀俊の演技に重ね合わせることで、更に抑制されたドラマ性が引き立つ仕掛けになっている。

という具合に、色んな新たなアイデアが盛り込まれた本作だが、最終的な出来上がりには少々疑問符が付いてしまう。それほど評価が高くないのも、まあ納得できる。

ストーリー展開や演出は当時の北野監督らしく大胆な省略と儀式性が目立ち、ストーリーの非現実性もあってリアルさはほとんどない。一貫して寓話的であり、一種夢幻劇的な印象を与える。が、三つのプロットを一つの映画に押し込んだせいか一つ一つの肉付けが明らかに足りず、過剰な省略のせいで物語が痩せている。ふくよかさがない。加えて、リアリズム無視のせいで臨場感や生々しさにも欠け、従って説得力や吸引力に欠ける。要するに三つとも、まるでアイデアだけをごろんと放り出したような印象を与えるのである。アイデアは悪くないと思うが、ふくらみがまったくないため観念性と人工性が悪目立ちしている。

本作が成功作とは思えない主な理由はそれだが、初期の北野監督作品にみられるビジュアルへのこだわりは本作でも印象的で、特に従来の「キタノ・ブルー」にかわる豪奢な赤い色が特徴的である。菅野美穂と西島秀俊が延々歩くシーンに登場する桜や紅葉の美しさは、映画を観終わった後まで脳裏に焼きつくようだ。

良くも悪くも北野監督らしさは全開ながら、欠点もまたはっきりと目立つ映画である。本作の評価がファンの間でも割れているのは、それが理由だと思う。

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