『カサブランカ』 マイケル・カーティス監督   ☆☆☆☆☆

古いDVDも所有しているが、HBO Maxにあるのを見つけてつい再見。言わずと知れた名作にして、永遠のスターであるボギーとバーグマンの代表作『カサブランカ』。1943年のアカデミー賞で三部門受賞に輝いた超有名作だけれども、その一方でただのメロドラマという評や戦時中のプロパガンダ映画であるという批判もある。

プロパガンダ映画というのは、第二次大戦中だった製作当時アメリカはドイツに対して敗色が濃く、この映画を通じて国民の戦意を鼓舞しようという意図があったためだ。当時はアメリカでもそんな戦意高揚映画が色々作られたようだが、この映画もドイツが明らかに悪役扱いされていたり酒場の客が「ラ・マルセイエーズ」を合唱するシーンなど、確かにプロパガンダ色がある。

が、ナチスドイツを悪役にした映画というのは今日でもたくさんあり、はっきりいってエンタメ映画の定番悪役と化しているため、この映画を観てプロパガンダ色が気になるという人はあまりいないだろう。それにプロパガンダ映画というのはどうしても宣伝ビラのような内容になってしまいがちで、だからろくな映画にならないものだが、この映画はそれ以外の部分に素晴らしい豊饒さがあり、だからこそ名作として歴史に残っているのだと私は考える。

メロドラマというのはもちろんその通りだが、それを言うなら『離愁』『旅情』『恋』などの名作映画も全部メロドラマだ。問題は、メロドラマ即ち駄作なのか、ということである。昼メロという言葉があるように、メロドラマが駄目なのは大抵プロットが大甘のお涙頂戴かつお約束満載で、多義性などかけらもないせいだが、映画には当然プロット以外の要素もたくさんあるのであって、だからストーリーの骨格がメロドラマだったとしても他の要素で傑作に化けることはある。先に挙げた名作映画の数々がその例である。

米国の映画批評サイトRotten Tomatoでは、(『カサブランカ』は)年を重ねるごとに良さを増すばかりと評価されているらしいが、これだけ古い映画でいまだにそう感じさせるというのはやはりただ事ではない。それだけ普遍性があるということであり、その普遍性は「ただのメロドラマ」という紋切り型では説明できない。私はさっき書いた通り、その秘密は物語のディテールと舞台設定の両方における「豊饒さ」にあると考えているが、その前にストーリーを簡単にご紹介しておこう。

時代はナチスの影が全ヨーロッパを覆う第二次大戦中、舞台はヨーロッパの人々がアメリカへ脱出する前に一時的な逗留を余儀なくされる場所、仏領モロッコのカサブランカ。人々はこの町で飛行機のチケットとパスポートを待ちながら、焦燥にかられた待機の時間を過ごす。が、アメリカ人でありながらそこに住みつき、酒場を経営している男リック(ハンフリー・ボガード)は、地元の警察署長を買収するようなドライなエゴイストの外見の下に、困っている人々を見捨てられない義侠心を隠している。彼がなぜ母国へ帰らないのかは誰も知らない。

ある日リックの酒場に、ナチに追われるレジスタンス組織の重要人物ラズロと、その妻イルサ(イングリッド・バーグマン)が現れる。イルサを見たリックは衝撃を受ける。二人はパリで数日間激しく愛し合った過去があったが、一緒に逃げようと待ち合わせた場所に彼女は現れず、そのまま姿を消したのだった。リックの心の傷はいまだに癒えないが、そのイルサがラズロ夫人として目の前に現れたことでリックは煩悶する。ナチスと地元警察はラズロ逮捕に協力せよとリックに迫り、一方ラズロはリックに逃亡用のビザを売って欲しいと頼む。イルサを恨むリックはラズロ夫妻を助ける気になれないが、ある晩リックの部屋にやってきたイルサからパリでの真相を聞き、過去を水に流してラズロを助けることにする。

リックは警察署長にはラズロ逮捕に協力すると持ちかけ、ラズロには逃亡の手助けを申し出、そしてイルサには今度こそ二人一緒にアメリカへ行こうと約束する。運命の夜、飛行場に集まるリック、ラズロ夫妻、そして警察の面々。この時リックはイルサにも打ち明けていない、ある計画を胸に秘めていた…。

というように、プロットには色々な要素が入り混じっているが土台はメロドラマであり、しかも男二人と女一人の三角関係という王道である。女はリックを愛しているが夫があり、この夫も立派な人物だ。二人の男の間で引き裂かれる女。しかも彼女が不倫の恋に落ちたなりゆきは運命のいたずらで、彼女に非はない。これもまた、映画『ひまわり』のように戦争が引き起こした悲劇である。メロドラマといっても意地悪な旦那と優しい青年の間で揺れる人妻、みたいな低俗な昼メロとは違い、この三角関係の中に明確な悪者はいない。

一方、主人公リックはかつて愛した人を忘れられず、自分を捨てた彼女を恨んで女々しい繰り言を言い「情けない人ね!」と罵倒されたりするが、彼女もまた運命の犠牲者だったことを知り、今度は自分の人生を賭けて彼女を救おうとする。つまりこの映画は一人の男が劇的に変化するプロセスを描いている。私はこういう、自分勝手だった男があるきっかけで改心し、自己犠牲的な行動をとる、という話に弱い。

それから言うまでもなく、ストーリーの土台は男女の愛だとしてもこの物語には戦争もの、ノワールものの色彩も濃い。メロドラマがスリルとサスペンスでコーティングされている。

こんな風に本作はプロットも決して悪くないと思うが、真のみどころは物語としての、そして映画としての豊饒さにある。まず、本作の舞台はエキゾチックなモロッコであり、人々が集う華やかなサロンである。そこではジャズピアニストが「Time Goes By」を奏で、タキシードを着たミステリアスな主人がすべてを仕切っている。ナチスや警察署長が出入りするかと思えば、犯罪者たちもやってくる。そこは華やかな社交の場であり、ノワールな陰謀と策略が渦巻く場でもあり、また愛を忘れられない男女が再会する場でもある。

加えて、この豪奢きわまる舞台装置にもかかわらず、カサブランカは多く人々にとってかりそめの逗留場所であり、いわば煉獄である。そこでサロンを経営するリックはいかに「いい顔」であっても、煉獄の囚人であり故郷喪失者である。そして故郷喪失者であり永遠のさすらい人である彼の前に、かつて彼の愛を裏切った女が再登場するところから物語は始まる。

一方、二人の回想シーンに登場するのはエキゾチックなモロッコとは対照的なヨーロッパの中心、花の都パリである。リックとイルサはパリで光あふれる幸福な時間を過ごすが、その甘やかな夢の時間はナチ侵攻という戦争の現実によって破壊される。

このように、本作ではあらゆるシーン、あらゆる場面でエキゾチックな辺境とヨーロッパ、戦争と社交界、ノワールとメロウ、現在と過去、光と影が交錯する。そしてどのシーンを見ても、まるで他の色んな映画の引用元の集大成であるかのような印象を受けるのは驚くばかりだ。「奴から目を離すな」と冷酷に命令するナチの高官。雨の中、パリの駅でやってこない恋人を待ち続ける男。「あんたは彼にとって悪運ですよ」と女に告げる黒人ピアニスト。「これを預かってくれ、信じられるのはあんただけだ」と頼んでくる犯罪者(彼はその後公衆の面前で射殺される)。華やかなサロンに入ってくる白スーツの男と美貌の妻。「手を上げろ」と拳銃をつきつけるトレンチコートの男。モロッコのいかがわしい店で交渉する客と主人。夜、男の部屋で待ち伏せする美女。長い年月の後、再会した恋人に向かって言う「君の瞳に乾杯」…。

まるで古き良き映画のイメージがめいっぱい詰め込まれた宝石箱のようではないか。私はこれを観ながらさまざまな恋愛映画はもちろんのこと、戦争ものやナチもの、ノワールもの、ヒッチコック風のサスペンスもの、あるいはインディ・ジョーンズみたいな冒険活劇まであらゆる映画の原型イメージをシャッフルして見せられているような気がしてならなかった。もしも私たちの潜在意識に刷り込まれた映画の原型的記憶というものがあるとしたら、そのかなりの部分が『カサブランカ』に負っているのではないかとすら思う。この映画の豊饒さというのは、要するにそういうことである。

もちろん、絶頂期のイングリッド・バーグマンとハンフリー・ボガードの輝くばかりの魅力は言わずもがなだ。この二人ほど銀幕のスターと呼ばれるにふさわしい俳優は他にいないだろう。もはや神話と化した二人がこの豊饒な物語の中でいきいきと躍動する、その姿を見られるこの至福。ラストシーン、飛行場で別れを告げ、リックに背を向けて歩いていくバーグマンの万感迫る表情は圧巻である。彼女のかたわらには夫ラズロがいて、だから二人は抱き合うこともキスすることもできないというシチュエーションが活きる。だからこそ、もう二度と会えないと知りつつ別れる二人の切なさが最大限に引き立つのであって、たかがメロドラマというなかれ、そういう計算された抑制が細部にわたって施されているから本作は一級品なのである。

あの悪役とも善玉ともつかない、警察署長の微妙なキャラ設定もよくできている。ああいう人物が登場して、あちこちで物語を攪乱することによって話が面白くなる。最後、リックと警察署長がリラックスして会話を交わすラストシーンがしみじみと余韻を漂わせる。

長々と書いてきたが、要するに私は何と言われようとこの映画が大好きなのであって、メロドラマだろうが何だろうがいいじゃないか。この映画には宝石箱のような映画の魅力がいっぱいにつまっているのだから、と言いたいのである。

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