『娘・妻・母』 成瀬巳喜男監督   ☆☆☆☆☆

日本版DVDを購入して初鑑賞。『女が階段を上る時』と同年の公開である。成瀬作品の中ではそれほど評価が高くないようなのでこれまで見逃していたが、観たら十分傑作だった。実際、公開当時は大ヒットしたらしい。考えてみると、あの名作『女が階段を上る時』と同時期の製作でハズレは考えにくい。

本作は東宝創立35周年記念作品ということで、とにかく豪華キャストである。原節子、高峰秀子、三益愛子、杉村春子、団令子、草笛光子、淡路恵子、中北千枝子、森雅之、仲代達矢、上原謙、宝田明、小泉博、加東大介、笠智衆と、古い日本映画が好きな人にとっては卒倒しそうな豪華メンバー。あの笠智衆がほんのチョイ役で出て来る。あまりにも贅沢である。

成瀬監督お得意のホームドラマで、テーマは小津監督の『戸田家の兄妹』に似た、母親の世話を嫌がる子供たちという苦いものだ。が、『戸田家の兄妹』のストレートな剛球勝負に比べると、成瀬監督の『娘・妻・母』は例によって婉曲話法であり、繊細で柔らかに、遠回しにじわじわと攻めていく。

まず、母(三益愛子)とともに暮らす長男夫婦(森雅之、高峰秀子)と嫁入り前の三女(団令子)の家に、長女(原節子)が出戻って一緒に暮らし始める。原節子の長女は、友達が来るとお手伝いさんに遠くの店にお菓子を買いに行かせたりし、高峰秀子の嫁に「近くの店でいいのに」と呟かれたりするので、おや、いつに似ずわがまま娘の役なのかなと最初は思ったが、そういうわけでもなかった。ただし、娘・原節子と嫁・高峰秀子はお互いに仲良くしつつも、どこか微妙な緊張感が漂っている。

次男夫婦(宝田明、淡路恵子)は写真のスタジオとバーの経営がうまく行き、親戚の中でも一番裕福かつ華やかな生活を送っている。一方、次女(草笛光子)は嫁に行って教師の夫(小泉博)と姑(杉村春子)の三人で暮らしているが、これが地獄である。杉村春子は嫁に嫌味の言い放題で、たまらなくなった夫妻はついに別居を言い出すが、激怒した杉村春子は老人ホームへ行くと宣言して家出。当然夫妻は頭を下げて連れ戻しに行くことになり、別居計画は無残な失敗に終わる。

本作はこんな一家のホームドラマなのだが、親子関係以外の主要なプロットとして、出戻った原節子の再婚話がある。兄や妹に誘われてピクニックに行くとそこで年下の技師(仲代達也)と知り合ったり、友人からお茶の師匠(上原謙)とのお見合いをセッティングされたりする。仲代達也は最初から一目惚れの模様で、マジメな技師なりに積極的にアプローチしてくる。どうも原節子の方もまんざらではない様子だ。

そんな時に登場するのがお茶の師匠、上原謙である。こちらは銀髪の初老の紳士で、家柄の良さは折り紙付き。情熱的な年下男性と渋い年配者というまったく違う二つの選択肢から、果たして原節子はどちらを選ぶのか。これもまた、観客の興味を惹きつけてやまない。

そしてもう一つ、冒頭からたびたび出て来る金の話がある。これが物語後半の重要テーマとなってくるのだが、まずは保険加入や香典の額に始まり、家の財産分与の話題が出たり、嫁・高峰秀子の叔父である加東大介への貸付が問題になったりする。この男は工場経営者で、森雅之の銀行が金を貸しているのだがうまくいかず、追加融資を頼まれて断るのに苦慮している。しまいには家までやって来て、高峰秀子に頼んだりする。

更に、原節子が出戻った時にもらってきた金100万円。100万円といえば当時は今以上の大金だが、原節子にしてみれば今後の生活の唯一の拠り所である。ところが、姑と別居したい次女・草笛光子が引っ越し費用を貸してくれと言ってきたり、森雅之が投資するから預けろと言ってきたりする。断り切れない原節子はそれを次々と承諾してしまう。

こうして一見平穏な家族の間に不穏なさざ波が広がり、終盤とうとう深刻な問題となって表面化する。

さて、一家の母親である三益愛子は、露骨に煙たがられている杉村春子や嫁に叱られる笠智衆と違って、子供たちに愛されている、ように見える。還暦祝いには子供たちが集まり、たくさんの贈り物をもらい、皆におめでとうと言われる。家族ムービーの上映会があったりして実に微笑ましい。こんな幸せなことはない、と彼女は呟く。

ところがその直後、長男・森雅之が金を貸していた加東大介が夜逃げし、一家は家を売らなければならなくなる。すると状況は一変、子供たちは口々にまず自分の取り分はどうなるのかと言い出し、次にお母さんの世話を誰がするのかと言い出す。議論がエスカレートした挙句、観客の予想通り、自分はできないと言うのである。

あの還暦祝いがあったために、この展開は余計に残酷に感じられる。ここには『戸田家の兄妹』の佐分利信のように舌鋒鋭く家族のエゴイズムを糾弾し、状況を救済する者はいない。辛うじて長女の原節子が皆の勝手さに耐えかねて声を上げ、高峰秀子が無言で義母を思いやるだけだ。そしてやっぱりこの二人だけが、後で母の面倒を見ようとする。長女・原節子は自分の再婚先に一緒に来ないかと母を誘い、長男の嫁・高峰秀子は夫に「私たちがお母さんの面倒を見ましょう」と提案する。

これがつまり本作のタイトル、娘・妻・母である。結局、母はどこへ行くのかはっきりしないまま映画は終わる。この曖昧さが実に成瀬監督らしい。苦さと優しさが渾然一体となって、見事な余韻を醸し出す。

大勢の人々を描いた群像劇で、特定個人の掘り下げという観点では物足りないことと、日常的家庭的なエピソードが多いことがそれほど評価が高くない理由のようだけれども、原節子の再婚話、金の話、親の面倒を見る話など、甘さと苦さが混じり合った物語はとても見ごたえがある。良く出来た、繊細な、味わい深い映画だと思う。豪華キャストだし、凄い役者がゾロゾロ出て来るのにも圧倒される。

印象に残ったシーンとしては、まず原節子と仲代達也の別れのシーン。ここの原節子のセリフ、あなたのおかげで私はまた元気になれたのよ、がなんとも良い。愛する人にこんな風に言われたら、たとえ恋が成就しなかったとしても男冥利に尽きるのではないか。それにこの映画では彼女の気持ちはあまりはっきりと描写されないだけに、観客の想像はどんどん膨らんでいく。彼女が本当に好きだったのは、実は年下の仲代達也だったのだろうか。

もう一人の主演女優、高峰秀子は原節子に比べると影が薄いが、他は気のおけない肉親たちの集団の中で、一人だけ微妙に距離がある「嫁」という立場をうまく演じていたと思う。そして、そんな彼女がホームムービーに映っている自分を見て「いやだわ」を連発し、真剣に嫌がるシーンが、彼女の人間らしさをはからずも露呈しているようで、妙に印象的だった。

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