『口に出せない習慣、不自然な行為』 ドナルド・バーセルミ   ☆☆☆☆

昔ドナルド・バーセルミのナンセンスがかった軽やかで実験的な短篇にハマり、何冊か短篇集を集めたがその後ずっとご無沙汰だった。最近本棚の整理をしていた出てきたので久しぶりに手に取り、再読してみたらやっぱり面白かった。面白いといってもこの人の場合、ワケ分からない短篇や面白いんだか退屈なんだか微妙な作品も多くて、そんな中に「好きだなーこれ」というのが混じっている感じである。今読んだら、軽やかさといいシュールさといい、エトガル・ケレットによく似ている。

バーセルミはフラグメンティストと言われていて、軽くて変幻自在なテキストを駆使し、わざとキッチュなものを寄せ集めたようなコラージュの手法で、現代人の生活を描写するのが身上である。私は勝手に、ブローティガンやバドニッツやエイミー・ベンダーなどのアンリアリズム系作家たちの元祖だと思っている。たとえばこの『口に出せない習慣、不自然な行為』は1960年代の作品集で、今となってはかなり古いが、内容は驚くほど現代的で古びていない。時々ベトナム戦争の影がちらつくことに時代を感じる程度で、今でも十分新しい。

バーセルミの短篇は大きくいくつかのカテゴリーに分けることができると思っていて、まず、本書で言えば「警察音楽隊」「バルーン」「大統領」などは奇想を核にした、軽やかな都会のファンタジーと呼びたくなる作品。エトガル・ケレットに似てると思うのはこのタイプの作品で、私が特に好きなのもこの系統だ。分かりやすいし、何よりイメージの遊びが楽しい。

一方で、読み通しても何を言いたいのか分からない、特に意味をなさないような短篇も多い。これらはまさに断片をつぎはぎしたような作品で、もちろん作品としての意図はあるのだろうがストーリーにおそらく意味はない。まさにフラグメンティストの面目躍如といった作品で、たとえば「エドワードとピーア」「しばしの眠りと目覚め」などがそれに当たる。「エドワードとピーア」は訳者あとがきではヘミングウェイのパロディとあるが、意図的に短くて、平坦で、単調な文章を用いて、あるカップルの日々を簡潔に書き連ねていく。そこに一貫したストーリーはないが、ある種の人生、ある種の都市生活者の乾いた生活が描き出され、その中にひとしずくの哀愁と倦怠が滲む、といった作品である。

本格的にワケ分からない作品とはどんなものかというと、冒頭の「インディアンの蜂起」が私にとって、本書中もっとも不可解な短篇だ。作品のアイデアは分からないでもない。要するに、現代の都市生活者の日常と開拓者時代のアメリカ・インディアンvs騎兵隊の戦争の模様がごっちゃになっている。章を分けるでもなく、文字通りごっちゃになって記述されるのである。寓意なのかも知れないとは思うけれども正直狙いが分からず、何が面白いのか分からない。

訳者あとがきによれば、バーセルミの作品はガラクタを使ったコラージュ、だそうだ。私は「ガラクタ」を勝手にキッチュと理解しているが、要するに美術でいうところのポップアートだ。が、そんな風に難しく考えなくても、バーセルミの短篇はパーティー・ジョークと一緒だという人もいる。誰だか知らないが、昔そんな文章を読んだことがある。だから深く考える必要はなく、ナンセンスな言葉やイメージの飛躍やぶつかり合いをただ楽しめばいいのかも知れない。

私はバーセルミを読む時は、運動するイメージのスピード感と荒唐無稽にピチピチ跳ね回るテキストの快感を感じ、面白がるようにしているし、この人はそういう読み方が一番良いと思っている。意味を考えて頭を捻る必要はない。そしてそういう面白さを堪能できる最適な例として、本書から「ロバート・ケネディ、溺死寸前に救出される」「報告」あたりを挙げておきたいと思う。

そして最後に付け加えておきたいのは、バーセルミは文章を気軽に書き飛ばしているように見えるけれども、実は多彩な文体を自由自在に駆使できるとてつもないスタイリストだということだ。その例としては、もう一度「ロバート・ケネディ、溺死寸前に救出される」と、私が大好きな「警察音楽隊」を挙げておきたいと思う。たとえストーリーらしきものがなく、作品のコンセプトを面白がれなくても、この文体の快感だけでバーセルミは読む価値がある。

“口に出せない習慣、不自然な行為” への2件のフィードバック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。