『野呂邦暢ミステリ集成』 野呂邦暢   ☆☆☆☆☆

前に読んだ文芸ミステリ・アンソロジー『事件の予兆』で、掌編「剃刀」が印象的だった野呂邦暢のミステリ作品集を入手した。ミステリ作品といってもいわゆるミステリとは毛色が変わったものが多いので、「ミステリ的な」作品集といった方が正確かも知れない。解説によれば、著者もミステリに機械的トリックは不要で、人間の日常があればいいという考えだったそうだ。従って本書に収められているのはトリックメインのミステリではなく、人間の隠された過去を覗く戦慄や、ふとした拍子に人生の深淵を覗き込む眩暈に近い感覚を追求した作品が多い。前世や予知夢も登場するし、ちょっとシュールな発想もこの人の持ち味だ。

さて、個々の短篇を紹介していきたい。最初の「失踪者」は90ページと本書中最大のボリュームで、中篇といってもおかしくない長さだ。アイデアはシンプルで、主人公のライターがある島で失踪した友人(カメラマン)の足取りを追っているうちに、自分も島から抜け出せなくなってしまう。どうやら島全体で何かを隠しているようだ。薬で眠らされたり監禁されたりした後、なんとか逃げ出して山に逃げ込むが、果たして島の秘密とは何か、彼は無事逃げ出せるのか。という小説だが、謎解きミステリというより冒険小説的で、山や森をさまよって飢えに苦しみ、動物を捕まえて食ったり筏で海に逃げようとして失敗したり、というサバイバル描写がたっぷり盛り込まれている。文体がシャープで簡潔、全体に暗い抒情が漂っているのは「剃刀」と同じで、きわめてスリリングな中篇だ。

次の「剃刀」は『事件の予兆』のレビューで書いたのでスキップし、三つ目の「もうひとつの絵」は入居したアパートに前の住人が描いた絵が残っていて、それは夕日に向かって立つ少年の絵なのだが、主人公はなぜかその絵が怖い。本人にも理由は分からないが、なぜかとても怖いのだ。そして彼はある種の健忘症に悩んでいるため、きっと自分は何かを忘れている、そしてこの絵が怖いのはそれが原因だと考える。一体自分は何を忘れているのだろうか。この疑問はやがて、自分は過去誰かを殺したのではないか、という恐怖につながっていく。

ミステリというより、まるで楳図かずおの恐怖譚のようだ。誰か知らない人が描いた絵が怖く、それは自分でも忘れてしまった記憶に関係がある。現実には人を殺しておいて忘れるというのはあり得ないので、そういう意味では非現実的なストーリーだ。精神分析的スリラーという意味では、筒井康隆あたりが書きそうな話でもある。

次の「敵」もミステリというより幻想譚じみた話。主人公の日常生活の中で、自分につきまとっているのだろうかと思うほどよく見かける「男」がいて、そいつへの嫌悪感がだんだん高じていき、しまいには殺意を抱く。私はエドガー・アラン・ポーの「ウィリアム・ウィルソン」を思い出して、この「男」も自分の分身なのかなと思いながら読んだ。結末がどうなるかは言わないでおくが、やっぱりポーやコルタサルに近いムードの作品だ。

「まさゆめ」は「敵」の続きのような短篇で、予知夢がテーマである。主人公「男」の友人Kが駅のホームから落ちて死ぬところから始まり、「男」は予知夢を見るようになる。頭上に落下してくる鉄パイプを避けることができたり、馬券や宝くじを当てたりできるようになる。やがて会社でも手柄を立てて出世するが、やがて疲れて旅の夢を見る。するとその中にホームに立っているKが出て来て…。やっぱりこれも筒井康隆やコルタサルが書く不気味でシュールな短篇に似た印象。

次の「ある殺人」は、神経科の医者と患者の会話から始まる。患者は毎晩のようにある島の夢を見ているが、その島にはまったく見覚えがない。そしてなぜか、その夢がとても怖い。医者は気のせいだとなだめようとするが、患者は「先生は前世を信じますか」と言う。つまり彼は、自分は前世で誰かを殺していて、それが夢になって現れているのではというのだ。「もう一つの絵」によく似た設定である。また彼は医者と漱石の『夢十夜』の中の掌編について会話を交わすが、医者はその掌編を読んである不吉な予感にかられる。実は彼には、人に隠しておきたい過去の秘密があった…。

前世や夢が登場し、それが更に『夢十夜』や医者の過去とも関係してきて混沌とした幻想怪奇譚の様相を深めていくが、これは「まさゆめ」や「もうひとつの絵」と違って、ミステリらしいどんでん返しのオチがある。しかし途中のこの不安でシュールな白昼夢に迷い込む感覚は、野呂邦暢の持ち味を端的に示していると思う。

次の「まぼろしの御嶽」は「失踪者」と似た趣向で、死んだ婚約者の行動を探る女性とその友人が登場するが、これは込み入った家系図を解きほぐしていくのに似た地味な話で、ちょっと松本清張のような味があるけれども、私はそれほど好きではなかった。

「運転日報」は、自分の婚約者がコールガールではないかとの疑いを持った男がひそかに彼女の身辺を調査する話。殺人や大事件ではない地味な題材だが、告げ口してくる同僚に嫌な気分になったり、婚約者に会話で探りを入れたりする心理描写はなかなか面白い。タイトルの「運転日報」とは、彼女が乗ったタクシーの行き先を調べるために主人公がタクシー会社の運転日報を見ようと苦労することから来ている。皮肉な結末が苦い味を残す。

フィクション作品は以上で、あとはミステリ関連のエッセーが数篇収録されている。著者のミステリに関する考えが良く分かって、これもなかなか興味深い。たとえば著者は記憶の井戸浚えに関心があって、主人公の内部深くに埋もれていたものが明るみに出て来ることについて書いているが、本書収録作の大部分はまさにそういう作品である。

ちなみに私はそういう本書の短篇群を読みながら、筒井康隆の短篇「鍵」を思い出していた。これはまさに自分が忘れていた何かが徐々に浮かび上がってくることの恐怖を描いた傑作で、古い鍵というオブジェが記憶蘇生のきっかけとなり、無意識の底からどんどん忌まわしいものが這い出して来る。主人公が絶叫するところで終わるこの短篇を野呂邦暢が読んだかどうか知らないが、彼が目指したミステリの一つの極北なのではないだろうか。

それから著者はエラリイ・クイーンの『Yの悲劇』を最高のミステリ小説として挙げている。ヴァン・ダインの『僧正殺人事件』も良く出来ていると評価しているし、シリーズものの名探偵ではモース警部が好きらしい。

その他、自分がミステリを読みながら推理したりはしない、ミステリに現場の見取り図が入っているのとないのとでは面白さに格段の差が出る、犯人がどれも通産省か大企業の課長補佐では味気ない、なんてことも書いている。これは社会派ミステリへの批判だろうか。最後のエッセーでは冒険小説や、子供の頃に読んだ雑誌の魅力をつらつらと愉しそうに書いているけれども、本書の「失踪」には確かにそんな味わいがある。読んでいて得心がいった。

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