『野ゆき山ゆき海べゆき』 大林宜彦監督   ☆☆☆☆

これは大林宜彦監督が1986年に発表した映画で、有名な『転校生』(1982年)や『時をかける少女』(1983年)よりも後、『漂流教室』(1987年)や『異人たちとの夏』(1988年)よりも前、の作品である。公開時モノクロ版とカラー版の二バージョンで上映されたが、その後カラー版だけがビデオ化され、モノクロ版はしばらく「幻の作品」化していたらしい。現在発売されているDVDには「豪華総天然色普及版」と「質実白黒オリジナル版」の両方が入っている。

この二つは単にカラーとモノクロというだけでなく、編集や音楽も違っているという。従ってどちらを観るかは非常に重要で、私はしばらく前にDVDを買った時やっぱりカラーだろうな、と思ってまず「豪華総天然色普及版」を観た。そして、非常にがっかりした。役者たちのセリフ棒読みや、大仰で誇張された学芸会的演技が全然ダメだったのだ。あまりにひどいおちゃらけぶりにびっくりしてネットを調べたら、公開当時「学芸会演技」と批判されたとあって、そりゃそうだろうと思ったものだ。

そしてしばらく間を置き、最近ふと思い立って白黒版を観たら、これが思いのほか良い。一度観て心構えができていたこともあるだろうが、白黒の、しかもコントラストの強い映像で観るとこの棒読み・大仰な演技があまり気にならない。チャップリンやバスター・キートンの無声映画みたいなもので、こういう映像にはノスタルジックな効果とともにカラー版では得られない現実離れしたスラプスティックな感覚があり、むしろ人々の動きがデフォルメされていた方がしっくりくる。そんなわけで、私の中でぐっと評価が上がった。

カラーで観るとおちゃらけた稚拙さばかりが目立っていた本作が、モノクロで観ると子供中心のストーリー、デフォルメされた演技、意図的に棒読みなセリフ回し、ドタバタ喜劇的演出などがすべてカッチリと調和し、独特の世界観を形作るのである。これには驚いた。おまけに、本作のモノクロにはどこかこの世のものでないような風情があり、子供たちの小さな世界から日本全体の鎮魂へと突き抜けていくラストにもしっくりくる。一部のお粗末な特撮も、この映像で見るとかえって味がある。従って、この映画はまず絶対にモノクロで観るべきだと思う。普及版としてしばらくカラー版のソフトしか出回っていなかったらしいが、信じられない。

さて、映画の舞台は多くの大林監督作品と同じく尾道である。時代は昔々、これから国をあげて戦争に突入しようとする頃の日本。主人公はわんぱく盛りの子供たち。

ある日小学校に転校生とその美しい姉が現れる。医者の息子・宗太郎(林泰文)と仲間たちは乱暴者の転校生と喧嘩しつつ、その姉・お昌ちゃん(鷲尾いさ子)に憧れを募らせるが、お昌ちゃんは筏乗り(尾美としのり)と恋仲になる。子供たちのわんぱく戦争を見守りながら弟や宗太郎に優しく接するお昌ちゃんだったが、やがて筏乗りに赤紙が来る。駆け落ちして、戦争が終わるまで二人でひっそり暮らそうと懇願するお昌ちゃんに「おれを戦争に行かせてくれ」と言う筏乗り。一方でお昌ちゃんは、父親の借金のかたに四国の女郎屋の売られていくことになる。それを知った子供たちはみんなで昌ちゃん奪回作戦を展開するが、しかし結局世の中の仕組みは変えられず、貧乏な娘たちは女郎屋行きの船に乗せられてしまう…。

結末は書かないでおくが、少なくともハッピーエンドではない。お昌ちゃんと筏乗りの恋物語は悲劇的な結末を迎える。子供たちのわんぱく戦争その他のドタバタ喜劇的なエピソードの果てに辿り着くこの結末の哀しさは、やはりチャップリンの喜劇映画から溢れ出すペーソスに共通するものがある。それはことさらにシリアスに、リアリスティックにではなく、棒読みセリフとドタバタ喜劇で呈示されることによって、より染み入るような感動をもたらす。

本作の中心人物は、言うまでもなく鷲尾いさ子演じるお昌ちゃんである。彼女は子供たちの憧れのマドンナであり、異母兄弟である大杉栄の恋慕の対象であり、さらには大人たち、つまり青木中尉(佐藤浩市)や小学校の教師(竹内力)の恋愛対象でもある。つまり、この現実離れした寓話の中で唯一無二のマドンナなのだが、本作の鷲尾いさ子はその役柄にまったくふさわしい美しさで輝いている。ほとんど神々しい美しさと言っても過言ではない。彼女はこのデビュー作の中で思い切ったヌードを披露しているが、その裸身が月光に映し出される夜の行水シーンは、モノクロ映像に加えて極端に様式的な演出によりまるで神話の一場面のようだ。

そしてこのヌードシーンからも分かるように、子供たちの無垢な世界を描いているはずのこの映画には、実はいたるところに性の目覚めへの暗示がある。転校生がトイレで女の子のお尻を覗く場面や、宗太郎がフリチンになってお昌ちゃんに「かわいい」と言われる場面などが分かりやすい例だ。こんな風に、少年期の性の目覚めの甘酸っぱい感覚を忍び込ませることによって、この一見「学芸会風」のドタバタ映画は、少年期のリアルなセンシビリティをある程度表現し得ている。やはり大林監督の映画は一筋縄ではいかない。

出演者はなにげに豪華で、全然目立たないところに柄本明や池上季実子などが出ていてびっくりする。宗太郎のお父さんは三浦友和、お昌ちゃんの賭博きちがいの父親は峰岸徹だ。泉谷しげるも出ている。本作に登場する唯一の軍人である佐藤浩市の中尉は、メーキャップがまるでYMO時代の坂本龍一のようだ。彼はお昌ちゃんに恋する礼儀正しい青年中尉として登場するが、最後の方では狂気にかられて暴走する。あれは急速に戦争へと傾斜していく日本全体の狂気を象徴しているのかも知れない。なかなか重要な役だ。

戦争へと向かう国全体の狂気、子供たちの牧歌的な世界、甘酸っぱいマドンナへの憧れ。これらのテーマを混ぜ込んでドタバタ喜劇風の寓話に仕立て上げた本作は、その一見ふざけた世界観の中に、貧乏ゆえに女郎屋に売られていく娘たちのような悲しい現実が織り込まれている。そしてそれらを、感傷とリアリズムを徹底して排したファンタジーがかった映像で綴っている。

登場人物がみんなテーマソングを歌いながら登場する、なんて趣向も面白い。この映画はチャップリン映画やキートン映画のような、あるいはボリス・ヴィアンのシュルレアリスム小説のような、真摯で痛々しい空騒ぎの感覚で貫かれている。

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