『ソーンダイク博士短篇全集Ⅰ 歌う骨』 R・オースティン・フリーマン   ☆☆☆☆

昔から好きなソーンダイク博士の短篇全集が出たので、これは買うしかないと心を決め、大枚はたいて分厚い本書を購入した。ソーンダイク譚のオリジナル短篇集二つが、発表当時の挿絵等も含めてそっくりそのまま収録されている。日本では初らしい。私は創元推理文庫の『ソーンダイク博士の事件簿1』も持っているが、主だった作品は大体そっちに入っているので「ソーンダイクってどんなの?」という人はまず手軽な『事件簿』を読めばいいだろう。重量感のある本書は、やっぱりソーンダイクものをコンプリートしたいというマニア向けだ。

で、これを読むと、第一短篇集の頃はまだ倒叙推理ではなく普通のフーダニットだったことが分かる。事件が起き、ソーンダイクが調査して犯人を指摘するという本格パズラーのフォーマットだ。ただし、ソーンダイクものの特徴はやっぱり派手なトリックや意外な犯人ではなく、どう真相を発見したかのプロセスとロジックの重視にある。大体において警察がありきたりな推理をして無実の人間を疑い、ソーンダイクが科学調査をして真犯人を暴く、というパターンが多い。小さなゴミや砂粒や髪の毛などを虫メガネや顕微鏡で丁寧に調べるソーンダイクを刑事が嘲笑し、あとで恥をかいたりする。

それからソーンダイクは科学者探偵なので、読者との知恵比べ要素も薄い。読者はソーンダイクが微細証拠を示し「これはラクダの血だ」と言えば、それを受け入れるしかない。「いやこれはラクダじゃなくカバじゃね?」などと言える読者は皆無だろう。つまり、ソーンダイクの仕事ぶりを横から鑑賞する見学者の立場だ。決して挑戦者にはなれない。とすれば、やはりフリーマンが倒叙推理に行きつくのは必然だったのだろう。

そして第二短篇集『歌う骨』で、ついに史上初の倒叙推理がミステリ・ファンの前に登場する。第一部で犯人側の心理と事件発生の経緯を詳しく描き、第二部でソーンダイクの調査を描く。ソーンダイクがいかにして事件の真相を見破るかが読みどころで、このプロセスの鮮やかさこそがソーンダイク譚の醍醐味である。ソーンダイクの方法はあまりにも明快に秩序立っていて、ごく当然にように真相を探り当ててしまう。まさに、プロの仕事の効率性と美しさに溢れている。それは三流ミステリに登場する「神の如き」名探偵が当てずっぽうで真相を言い当ててしまうのとはまったく異なり、本当の意味での科学的アプローチに則っている。ソーンダイク譚を他のミステリと比べた時、まるで「おとなと子ども」のような風格の違いを感じるのはそれが原因だ。大抵の本格ミステリを子供だまし扱いしたレイモンド・チャンドラーがフリーマンの作品だけは賞賛したというのも、同じ理由だろう。

ソーンダイク博士がポアロやホームズ、フェル博士やエラリー・クイーンなど他の名探偵ほど人気がないのは、読者が知恵比べできない科学捜査のせいだと思うが、そのプロフェッショナリズムは群を抜いている。たとえば本書の解説にもあるが、昔流行った帽子を見てホームズが「所有者は昔裕福だった」と推理するのに対し、ソーンダイクは帽子の持ち主が変わった可能性まで指摘する。また論理的推理と言えばエラリー・クイーンだが、ソーンダイクの緻密な帰納的推理に比べるとさすがのエラリーも推測や我田引水が多いと感じる。ソーンダイクの推理にはまったく無理がない。彼の解説を聞くと、エラリーのように「そうとは限らないんじゃ?」と思うところが微塵もない。

いくつか収録作についてコメントしたい。「モアブ語の暗号」は暗号もので、一見ホームズの「踊る人形」みたいな話かと思わせてうっちゃりを食わせる。面白いのは学者とソーンダイクの解読対決で、学者が苦心惨憺して解読したメッセージはわけが分からず、ソーンダイクがあっさり解読した文章はきわめて明快である。最後、学者がソーンダイクのところに押しかけてきて「一体これをどうやって解読したのか」と問い詰めるが、その時のソーンダイクの淡々とした説明と学者の反応が見ものだ。一種のレッドへリングで、オチではつい笑ってしまうが、この時もソーンダイクは暗号を見る前にまず暗号文が書かれた紙の質に着目し、そこからある結論を引き出している。あらゆる情報を集めて判断する彼のアプローチが、ここでもしっかり実践されている。

有名な短篇「アルミニウムの短剣」では、事件後の捜査でソーンダイクが短剣の寸法を測り、手紙をレンズで見ると刑事が「肉眼で読めると思いますけどね」と笑う。しかしもちろん、それらのすべてにその後重要な意味があったことが分かる。それだけでなく、ソーンダイクはトリックを実演して見せたあと「見ての通り、実行可能です。今度は、実際に行われた証拠です」と続ける。彼はこのように「推理」だけで終わらせず、必ず「実際に行われた証拠」を示す。私が知る限り、この二つを区別して説明できる名探偵はほとんどいない。

「深海からのメッセージ」では、死体が掴んでいた髪の毛からある女性が逮捕される。ソーンダイクはその髪の毛が偽装であることを三つの理由をあげて証明するが、そのロジックはまさに完璧で、まったく反駁の余地がない。自信満々だった検察官が何も言えなくなってしまう。これは本当に見事で、思わず「ああ、そうか」と声を上げてしまった。この短篇で面白いのは、色んな証拠をまず刑事が解釈してみせ、次にソーンダイクが解釈してみせるのだが、刑事の解釈がいい加減で雑な当て推量に過ぎないのに対し、ソーンダイクのそれは完全に科学的かつ論理的だ。その対比が素晴らしい効果を上げている。

それにソーンダイクは科学者探偵なので読者は推理に参加できないと言われるが、この髪の毛の件や「前科者」の指紋の偽装の件などには、「ああ、なるほど!」と膝を打ちたくなくような推理の面白さがちゃんとある。

最後に、ソーンダイク博士のキャラクター造形もその作風と同じくまったくおとなで、常識人であり、名探偵にありがちな奇をてらったところなど微塵もない。彼は常に、完全に冷静で、紳士的である。フリーマンによれば、優秀な人間は心身ともにバランスが取れているはずとの理由でこうしたそうだが、しかし考えてみると、この冷静さと理性の権化のようなソーンダイクの佇まいは到底常人のものではない。彼は紳士的で穏やかなのでちょっと読んだだけではキャラが立っている気がしないが、作品をいくつか読むと、ソーンダイクほどクールな名探偵はいないんじゃないかとしみじみ思えてくる。しかもただ謎を解くだけでなく、倫理的な難問に直面しても平然としているのだ。

本書でも「ろくでなしのロマンス」がそうだが、たとえば長編「ポッターマック氏の失策」では犯罪者の動機がきわめて同情に値するケースが扱われていて、ソーンダイクは真相とともにその事情も発見する。こういう場合、常に罪と罰の問題がクローズアップされる。後期のエラリー・クイーンがこうした論理と倫理の板挟みになって、かわいそうなくらい苦悩し、憔悴するのに対し、ソーンダイクはまったく動じない。どんな場合でも彼は平静さを崩すことなく、躊躇なく最善解を選択する。いやまったく、こと「頼りになる」度で言えば、あらゆる名探偵の中でソーンダイクこそナンバーワンだと思う。

もし私が実際に犯罪に巻き込まれ、あるいは冤罪をかけられて誰かに助けを求めるとしたら、第一候補はホームズでもエラリーでもポアロでもなく、間違いなくジョン・ソーンダイク博士である。本書を読めばあなたにもご賛同いただけると思う。

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