『事件の予兆 - 文芸ミステリ短篇集』 中央公論新社・編   ☆☆☆☆☆

純文学作家が書いたミステリ的短篇10篇を集めたアンソロジーである。しかも、あからさまな「事件」ではなく「予兆」。予兆とはつまり仄めかしであり、暗示であり、多義性のことだ。必然的に、純文学色を色濃く残したままミステリへアプローチした作品ばかりが集められている。非常に読み応えがある。

収録されている10篇は、「驟雨」井上靖、「春の夜の出来事」大岡昇平、「断崖」小沼丹、「博士の目」山川方夫、「生きていた死者」遠藤周作、「剃刀」野呂邦暢、「彼岸窯」吉田知子、「上手な使い方」野坂昭如、「冬の林」大庭みな子、「ドラム缶の死体」田中小実昌、と錚々たるメンバーだ。テクニックも味わいもまるで異なる10人で、さすが純文学畑で一家をなす方々だけのことはある。キンタロー飴みたいなフォーマットと定石に頼るばかりの凡庸作家とは格が違う。一篇ずつ、簡単に紹介していきたいと思う。

まずは、井上靖の「驟雨」。少年時代の記憶に残る美しく優しい夫人と、不倫をしているその醜い夫という題材で、いかにも抒情的な文芸作品の香りがする。少年の目から描いているため、事件の真相、裏側の真実ははっきりとは分からない。まさに仄めかしの連鎖で成立した短篇であり、その仄めかしの匙加減によって嫋々たる余韻がたなびく。更にこの小説の中心には、少年の前で夫人が夫に投げかけた一言の刃の如ききらめきがある。怜悧な美しさだ。

「春の夜の出来事」はとても謎めいた一篇で、ある晩、母と子だけが暮らす家庭で男の死体が見つかる。どうやら泥棒に入って殺されたらしいが、殺したのは誰か、殺されたのは誰か。かつて家出して行方不明となった父親が関係しているのか、していないのか。何人もの人間によって、複数の「真相」が呈示される。芥川龍之介の「藪の中」を思わせる短篇。

小沼丹の「断崖」は、いつも釣りをしている院長と、彼の別荘と、登場しない夫人によって成り立っている。小沼丹は村上春樹が『若い読者のための短編小説案内』で取り上げている作家で、かなり不思議な、つかみどころのない作風を特徴とするが、この「断崖」でもその微妙に揺らぐ蜃気楼じみた触感が味わえる。読者の前に一度も登場しない院長夫人は、不倫をしている。これは「驟雨」の逆パターンで、夫が妻に復讐する物語なのである。やはりディテールが茫洋とぼかされているのが純文学的だ。

「博士の目」はとても短い掌編だが、リアリズムの中にほんの少し不気味な異世界ムードが漂っていて、先の展開がまったく読めない。語り手が、自分も動物だと称する有名な動物学者の研究所を訪ね、昼間の博士の言動に違和感を覚え、それが夜の幻想へと繋がっていく。事実と幻想のミックスがとてもうまい。

遠藤周作の「生きていた死者」は、まさにプロット作りの至芸に酔う一篇。20代の若い美女が文学賞を受賞して話題をさらう、という話を記者の目から描いていかにも社会派風に始まるが、カメラマンが撮ったどの写真にも同じ男が写っている、というあたりから急に怪談じみてくる。とにかく最初から最後まで息もつかせぬ展開で、しかも社会派やスリラーや文芸趣味など色んな要素が混じり合って豊饒だ。結末の一行も見事。遠藤周作はキリスト教作家の印象が強いが、これはそのストーリーテラーぶりが遺憾なく発揮された傑作である。

「剃刀」はまたうってかわって不安な寓話風の、幻想味を湛えたシャープな一篇。主人公は海辺のさびれた町を訪れ、時間を持て余して床屋に入り、髭を当たってもらう。顔がよく見えない女の床屋はとても剃刀の扱いがうまく…という話で、冷え冷えした触感がたまらない。ちょっとプッツァーティを思わせる、切れ味抜群の短篇。

怖い話に定評がある名匠・吉田知子の「彼岸窯」は、かつて人が大勢死んだという窯場で陶器を作る夫婦の物語である。見よう見まねでやっていると、黒茶碗というものが急に世間で話題になり、もてはやされたと思うとまたたちまち忘れられる。全体のトーンはやっぱり不気味で不吉で、くろぐろとしているが、ラストは意外に穏やかな余韻を残す。結局何だったのか、意味がよく分からないからこその凄みがあって、これもまた純文学的ということなのかなと思わされる。

「上手な使い方」は、野坂昭如のあのあまりにも独特な饒舌文体で、年老いた母と息子の確執をネチネチと描いたもの。死期が近い母が大金をもらえそうになると、家出していた息子が帰ってきて老母を引き取る。息子とその嫁で母が死ぬのを待っているが、老母は息子に嫌がらせをするためにあれこれと手を打つ、という、まあイヤな話である。面白いんだけど、脂っこい牛丼みたいな作品で、私としてはそれほど好みではなかった。

大庭みな子の「冬の林」は、文芸というものの凄みを余すところなく見せつける名品である。母の通夜で父と娘が交わす会話で成り立っているのだが、まるで白い紙に墨絵が浮かび上がってくるように、だんだんと状況が明らかになる。しかもその状況は複雑であり暗合的でありポリフォニックだ。過去の父の不倫疑惑、母の不倫疑惑、娘の不倫疑惑が切れ切れに浮かび上がり、重なりあい、その上で母の奇怪な行動、矛盾する第三者の話、殺す殺さないという発言など不穏なものが絡み合う、という恐るべき高等テクニックが駆使されている。

ラストの「ドラム缶の死体」はまたガラッと肌触りが違う作品で、昔米軍の医学研究所で働いていた語り手が、ある日ドラム缶に入って運ばれてきたアメリカ人のバラバラ死体の話をする、というエッセー風の文章。題材は一応ミステリ風だが、すごいのは語り手の脱線ぶりで、まるで思いつきだけで書きなぐっているようにどんどん話が横道に逸れ、平気で関係ない話題になる。SF短篇の話、映画の話、当時自分がやっていたミステリ翻訳の話、家計簿の話、新聞記事の引用、などなど。新聞記事の引用はバラバラ死体の事件のことで始まるが、ついでに相撲のニュースや映画の広告まで引用してしまう。途中で呆れて斜め読みしてしまったが、これはやはりこういうザッピング風のテキストで読者を混乱させたいのだろうな。読む方は、このだらだらした文章を愉しむつもりで読んだ方がいい。

以上だが、全体としてはいわゆるミステリのアンソロジーではなく、ミステリ的な題材という共通項で、さまざまな文芸作品の奥深さを並べてみせた文学的ショーケースという雰囲気だ。読み通して特に印象に残るのは、何事もはっきりと書かない曖昧さ、多義性の凄みである。はっきりと意味が分からず、だからこそ奥の深さを感じる、あるいは怖い、あるいは戦慄する。いわゆるミステリ作家の皆さんには申し訳ないが、こうやってアンソロジーで読んでみると、やはり純文学作家はエンタメ作家と比べてはるかに曲者揃いだという感じがする。

『ベスト・ストーリーズ Ⅲ カボチャ頭』に続いて、これまたとても充実したアンソロジーだった。

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