『離愁』 ピエール・グラニエ・ドフェール監督   ☆☆☆☆

1973年公開のフランス=イタリア合作映画で、主演はジャン・ルイ・トランティニャンとロミー・シュナイダー。久しぶりにDVDを棚から引っ張り出して鑑賞したが、これはもうタイトルからもお分かりの通り完全なメロドラマである。つまり、惹かれ合う男と女の哀愁溢れる物語。このタイトルでハッピーエンドはあり得ない。

原題は「列車」で、ジャン・ルイ・トランティニャンとロミー・シュナイダーは戦時中の疎開列車の中で出会う。トランティニャンは当時40代前半、シュナイダーは30代半ばで、二人とも人生の年輪を感じさせる大人の色気がたっぷりだ。特にロミー・シュナイダー演じるアンナの色っぽさとどこか孤独な風情は絶品で、本作を彼女の代表作の一つに数えるファンも多い。

それにメロドラマといっても馬鹿にしてはいけない。時代は第二次大戦中、舞台はナチスに侵攻されるフランス。演じるのはトランティニャンにロミー・シュナイダーである。ヨーロピアンな格調高い映像を、フィリップ・サルドの流麗で哀切なスコアがいやが上にも盛り上げる。間違いなく一級品だ。この濡れた情感とひなびた風情は、この時期のヨーロッパ映画にしか出せない。

ストーリーはシンプルで、主人公ジュリアン(トランティニャン)は妻子あるラジオ修理の技術者。ドイツ軍が攻めて来るというので、臨月の妻と子どもを連れて疎開列車に乗り込む。「男は貨物車へ行け」と言われてひとり貨物車に移ると、そこにいわくありがなアンナ(ロミー・シュナイダー)がいる。彼女はユダヤ人で、フランスから見れば敵国人だが母国ドイツにも帰れない、いわばどこにも帰る場所がない女である。

酔っ払いに踊り子に乱暴者など種々雑多な人間がひしめく貨物車の中で、会話を交わしているうちになんとなく親しくなった二人は、明日の命も知れない中、ある晩衝動的に愛を交わす。爆撃で死者を出しながらもやがて列車は終点に到着し、ジュリアンが妻子のもとへ戻る時が近づいてくる…。

要するに、不倫ものである。ジュリアンは眼鏡をかけたどちらかというと内気な技術者で、冒頭のシーンからも良き家庭人であることが伝わってくる。臨月の奥さんも可愛らしい女性で、ジュリアンを愛している。そのジュリアンがたまたま貨物車の中で一緒になった翳りある女、アンナを愛してしまう。終盤の独白にあるように、妻に対しては感じたことのなかった激しい情熱をもって、彼女に惹かれてしまうのである。

今の日本社会だったら「あんないい奥さんなのに」「臨月の奥さんがいながらけしからん」とボコボコに叩かれそうな設定だが、人の心というものはままならない。ジュリアンを非難する前に、ことの善悪はひとまずカッコに入れて、人生にはこういうことがあるのかも知れないと思って観ていただければと思う。ミラン・クンデラがいうように、小説(この場合は映画)とは道徳的判断が停止する領域なのだから。

映画の大部分は列車の旅の描写に費やされる。ジュリアンとアンナがだんだん親しくなっていく過程とともに、疎開する人々が水くみの行列に並んだり、体を洗ったり、喧嘩したり、夜になって酒盛りしたり、日曜日には貨物車から下りてひとときピクニックを楽しんだりする様子が描かれる。特にスリリングなプロットが転がるわけでもなく、淡々とした情景描写が続く。

疎開と言ってもあんまり緊張感ないんだなと思って観ていると、終盤、突然の空襲で大勢の乗客が死ぬショッキングなシーンが訪れる。ここからは凄惨さが増し、ぐっと悲愴感が強くなる。同時に、ジュリアンとアンナの別れが近づいてくる。最初からひと時の情事でしかなかった出会いだが、避けがたい終わりがすぐそこに迫ってくるのだ。

そんな中で、ジュリアンはできるだけアンナに誠実であろうとする。入国審査では身分証明ができないアンナを自分の妻だと言ってかばい、病院に収容された妻に会いに行く時もアンナを連れていく。病室に行く前には「戻ってくるからここにいて」と言い残すが、その間にアンナはそっと姿を消す。

ジュリアンとアンナのひとときの恋愛物語はここで終わりだ。あとは数年後の後日譚が語られて終わりなのだが、実はここからラストの後日譚部分こそがこの映画のキモなのだ。

(ここから結末に触れますので、知りたくない方は読まないで下さい。ただこれは別にどんでん返しやサプライズ・エンディングが売り物の映画ではないので、決して映画の面白さをスポイルするものではないと思いますが)

ドイツ支配下のフランスで、ジュリアンは家族とともに暮らしている。ある日ゲシュタポから呼び出され、アンナという女を知っているかと尋問される。レジスタンスの一員として逮捕された女だという。

知らないと答えるジュリアン。すると、彼の前にアンナが連れて来られる。アンナもジュリアンを知らないふりをする、彼に迷惑をかけないように。もう帰っていいと言われたジュリアンは、部屋のドアへ向かう。

ところがジュリアンはなぜか立ち止まって、引き返してくる。驚いて首を振るアンナ。しかしジュリアンは無言で彼女に手を差し伸べ、その顔に触れる。アンナの目から涙がこぼれる。思った通りだ、と呟くゲシュタポの長官。ジュリアンもレジスタンスの一員として捕まることが暗示される……ジュリアンとアンナの表情のアップで、ジ・エンド。

驚くべき行動である。ジュリアンはアンナを認めることで自分の人生を投げ捨てたのだ。おまけに、彼は本当にレジスタンスの一員ではない。ゲシュタポ長官の疑いはまったく的外れなのだが、彼は一言も言い訳を口にしない。この最後のジュリアンとアンナの再会シーンで、二人にはまったくセリフがない。ただ表情の演技があるのみだ。最後ジュリアンの手に触れて涙を流すアンナの表情が、限りなく切ない。

このあと二人はどうなるのだろうか。おそらく、ゲシュタポに処刑されるのだろう。ジュリアンが彼女に手を差し伸べたとしても、愛は成就しない。つまり、何にもならないのである。ではなぜジュリアンはあんな行動を取ったのだろうか。彼がやったのは、ただアンナに「ぼくは君を見捨てない」と伝えること、これだけだ。あそこで黙って帰ってもアンナは決して彼を非難しないだろう。が、彼はそうしなかった。なぜなら、アンナと過ごしたあの数日間こそ彼の人生における真実の瞬間だったからである。彼はその真実を裏切ることができなかった。そんなことをしたら、残りの人生を後悔とともに過ごすことになるだろう。

そして、アンナはそれを知って涙を流す。おそらくは、ずっと孤独のうちに生きてきたであろうアンナ。どこにも帰る場所がなかったアンナ。「どんなことがあっても、ぼくは君を見捨てないよ」この一言だけで、一つの人生が救われる時もある。

トランティニャンとロミー・シュナイダー、この二人が醸し出す艶やかな情感が終始この映画を支配している。男と女の交わす視線の裡に人生の光と影を描き出す、一級品のメロドラマとはそういうものなのだろう。

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