『ベスト・ストーリーズ Ⅲ カボチャ頭』 若島正・編   ☆☆☆☆☆

この「ベスト・ストーリーズ」シリーズは全部で三巻出ていて、アメリカの文芸誌「ニューヨーカー」に掲載された作品から傑作・名作を選出したアンソロジーである。最終巻である三巻目は1990年代から2010年代までをカバーしていて、収録作品は「昔の恋人」ウィリアム・トレヴァー、「流されて」アリス・マンロー、「足下は泥だらけ」アニー・プルー、「百十一年後の運転手」ミュリエル・スパーク、「うたがわしきは罰せず」トバイアス・ウルフ、「スーパーゴートマン」ジョナサン・レセム、「気の合う二人」ジョナサン・フランゼン、「ハラド四世の治世に」スティーヴン・ミルハウザー、「満杯」ジョン・アップダイク、「カボチャ頭」ジョイス・キャロル・オーツ、「共犯関係」ジュリアン・バーンズ、「プレミアム・ハーモニー」スティーヴン・キング、「レニー♡ユーニス」ゲイリー・シュタインガート、「悪しき交配」カレン・ラッセル、の14篇。

あの村上春樹も掲載された時は感無量だったという「ニューヨーカー」誌、もともとレベルが高い中から選び抜かれた14篇なので、まさに粒よりというにふさわしい。書き手の名前を見るだけでも錚々たる顔ぶれだが、個々の作品も凄まじいクオリティである。以下に、特に印象に残ったものをいくつかピックアップしてご紹介したい。

まずはウィリアム・トレヴァー、「昔の恋人」。最初から恐るべき完成度の短篇だ。かつて夫の愛人だった女のルームメイトが死に、夫に手紙が来る。妻はこっそりそれを読み、遠い昔に起きた夫の情事やその愛人のことを色々と回想し、空想にふける。夫の愛人は魅力的な女で、そのルームメイトはぱっとしない女だった…。

夫婦ともに血を流したような痛い経験を、遠い年月を隔てて回想する。痛みは風化し、しかし忘れ去られてはいない。回想だけじゃなく、そこに妻の空想、妄想も混じってくる。ああなっていたらどうだったろうか、こうしていたらどうだったろうか。しかも死んだのが愛人じゃなくそのルームメイトというから、物語のストラクチャは更に複雑化する。ストーリーはあるようでなく、ないようである。

さまざまな断片を時系列とは無関係に小出しにしながら、読者の頭に沁み込むようにあるいは惑わすように積み上げていく。その果てに現れるのは回想、事実、感情、空想、憎しみ、愛、幸福、哀しみなどが不思議なやり方で混然一体となった玄妙なるテキストである。すべてが微妙なバランスと、「要するにこういうことだよ」と明確に言語化できない多義性の上に成り立っている。巧緻をきわめた技巧が隅々にまで駆使された、真に離れ業的な短篇である。

ミュリエル・スパークは切れ味鋭い短篇の書き手だが、「百十一年後の運転手」はかなり肩の力が抜けた、ユーモラスな短篇だ。その語り口には達人の余裕が漂い、それがえもいわれぬ味となっている。

まず、引き出しからなくなった写真から始まり、次に嘘つきの友人の話になる。先の展開がよく見えないまま作者の筆の冴えを楽しんでいると、最後に色んなことが結びついて意外な真相が判明する。私は思わず声を出して笑ってしまった。とはいえただの馬鹿笑いではなく、人間のおかしさと愛しさを感じさせて温かい余韻を残す。私はこの短篇が大好きだ。

トバイアス・ウルフの「うたがわしきは罰せず」も笑える短篇で、スリに遭遇する男の話。トバイアス・ウルフは柴田元幸のアンソロジー『いずれは死ぬ身』の表題作を書いた人で、これも秀逸な作品だったが、私は「うたがわしきは罰せず」の方が好きだ。語り手がとても奇妙なスリに出会い、なんだかんだで彼の家までついていって子供にまとわりつかれたりする。

なんじゃこりゃという話の展開で、ポイントがよく分からないのに読者を惹きつけて離さない。そしてこれまたはぐらかすような、得体の知れない余韻で読者を包み込む。とにかく不思議なスリの描写が卓抜で、おかしい。

ジョナサン・フランゼンの「気の合う二人」は、シャープでスピーディーな語りで描き出される脚本家カップルの話。二人は成功したTVのコメディ番組作家で、いくつも賞を獲り、おしどり夫婦としても知られているが、そんな二人の関係がちょっとしたきっかけで破綻してしまう。軽妙さとアイロニーがたっぷりの、お洒落な短篇である。

ミルハウザーの幻想譚はあまり「ニューヨーカー」誌らしくない印象があるが、紹介文によればこれまでもう十三本も掲載されているらしい。この「ハラド四世の治世に」はいかにもミルハウザーらしい短篇で、宮廷おかかえの細密工芸師がどんどん微細なミニアチュールを作るようになり、そのうち目に見えない作品ばかりを作るようになる、という物語。当然、周囲からは相手にされなくなる。

どことなく中島敦の「名人伝」を思わせる話で、一芸をきわめるということの難しさ、果てしのなさ、不可解性を描いて秀逸な寓話だが、そんな中にナンセンス性、そこはかとないユーモアを漂わせるところも似ている。ミルハウザーにしては重量級ではなく軽めの作品だ。

ジュリアン・バーンズの「共犯関係 離婚した弁護士の話」は、この作家らしい仕掛けに満ちた精妙な短篇である。タイトル通り、語り手の「私」は離婚した弁護士で、彼がパーティーで独身の女医と出会ってデートを重ね、親密になっていくプロセスが語られるが、それと並行して「触れること」について「私」が思いめぐらすさまざまな想念が、エッセー風にゆるく綴られていく。たとえば目隠ししてものを触るゲーム、義手を付けた人を見た話、女医の持病のこと、手袋の話、「リア王」の舞台でくりぬいた目玉のかわりにライチが使われていたこと、などなど。タイトルの「共犯関係」は、語り手が女医にタバコを一本あげたきっかけで「共犯」という言葉のニュアンスを考察することから来ている。

つまり、これは「私」と女医のロマンティックな関係の物語であると同時に、「触れること」その他についての観念のコレクションでもある。この二つが最後に出会い、「私」と女医の手が触れる締めくくりはさりげなくも美しい。

そして本書中(私にとっては)もっとも意外なセレクションだった、スティーヴン・キングの「プレミアム・ハーモニー」。もともとキングは「ニューヨーカー」風の洗練された文芸路線とは無縁だし、以前キングの短篇集を買って読み始めたものの途中で放り出した経験がある私は、キングで読めるのは長編、せいぜい中篇までと強く信じていた。しかしその長編も、21世紀に入ってからはかつての精彩を失っている。そのキングが2009年に書いた短篇がニューヨーカー誌に載ったとは。

半信半疑で読み始めた私は、新鮮な驚きとともに「プレミアム・ハーモニー」を読み終えた。面白いやん。いやまったく、キングがこんな見事な短篇を書くとは意外だった。大体この簡潔に刈り込まれた文体がキングらしくない。あとでこれはキングがレイモンド・カーヴァーを読んだ直後、カーヴァーの影響を受けたまま書いた作品ということを知った。もちろん、だからこの短篇がカーヴァー風とはとても言えないが、妻と夫の話であり、舞台がスーパーマーケットであり、センテンスが短めというあたりが影響なのかも知れない。ホンマかいな。

しかし大事なのは、それによってもともとキングの文章に漂っている皮肉っぽいブラックユーモアが明瞭に抽出され、濃密になっていること。そしていつもの冗長さが刈り込まれることによって簡潔な、パンチの効いた文体になっていることだろう。語り手の妻が死ぬという不幸な話のはずなのに、なんともおかしい。そしてさりげないディテールが実に面白い。スーパーマーケットの中で語り手のそばに居合わせた女が同じフレーズを繰り返したり、マウス・トゥ・マウスで蘇生させようとしているのをディープキスと言ったり(ここで一番笑った)。ラストも人を喰っている。

というわけで、とりあえず私が好きだった短篇について触れたが、言うまでもなくすべての短篇が素晴らしい。文句なく傑作揃いだ。そして、「ニューヨーカー」誌と聞いて最初にイメージしたよりもはるかにバラエティに富んでいる。なんせスティーヴン・キングやミルハウザーまでいるのだから。

個人的には、むしろいかにも「ニューヨーカー」らしいアリス・マンローやジョン・アップダイクの方が印象薄めだった。もちろん作品の完成度は高いのだが、どこかまっとう過ぎる感じがしてしまう。もっともこれは完全に私の好みの問題で、私にはどこかヘンなところがある小説の方が好きという、困った性癖があるのです。

 

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