『サンディエゴ・ライトフット・スー』 トム・リーミイ   ☆☆☆★

トム・リーミイは70年代に作品を発表したSF作家で、1977年にまだ若くして急逝した。処女長編の出版前の死だったので、生きていればどれだけ活躍したかと惜しまれた作家だという。つまり、まだまだこれからという時に亡くなってしまった早逝の作家である。本書はサンリオ文庫から出た著者唯一の短篇集で、これ以外の作品としては処女長編『沈黙の声』があるのみ。邦訳本はどれもとうに絶版で、日本の読者にとって今ではなかなか読むのが難しい作家じゃないだろうか。

作風は純正のサイエンス・フィクションというよりダークな幻想物語の書き手で、生前はレイ・ブラッドベリあたりと比較されたらしい。その持ち味は本書でもちゃんと味わえるが、ただやはり最初の短篇集ということで習作的な作品も混じっていて、まだまだ自分のスタイルを模索中の、発展途上の作家の作品集という感じがする。いってみれば玉石混交の短篇集である。収録作品は以下の通り。

トウィラ
ハリウッドの看板の下で
亀裂の向こう
サンディエゴ・ライトフット・スー
ディノサウルス
スウィートウォーター因子
ウィンドレヴン館の女主人
デトワイラー・ボーイ
琥珀の中の昆虫
ビリー・スターを待ちながら
二〇七六:青い目(ブルー・アイズ)

これに、ハーラン・エリスンによる序文と、ハワード・ウォルドロップによるあとがきがついている。いずれも長文で、ハワード・ウォルドロップの文章はこの短篇集のあとがきというよりトム・リーミイの回想録である。作品については何も解説していない。一方ハーラン・エリスンの序文はいかにもひと昔前のSF界という感じで、冗長かつ大仰、本書中いくつかの出来がいい短篇には荘厳な賛辞を呈しているかわりに、「愚にもつかぬ代物」と断じているものもある。

作品のクオリティにもスタイルにもムラがある(映画の脚本用梗概も混じっているらしい)が、どれも多少なりともホラー風の味付けがあるのが特徴。トム・リーミイはホラー映画の脚本も書いていたらしい。それともう一つ、同性愛者(男の)がよく出て来るのも特徴と言っていいかも知れない。

本当に玉石混交なので全部説明するのではなく、出来がいい作品をメインに紹介したい。本書中の目玉作品は「ハリウッドの看板の下で」「サンディエゴ・ライトフット・スー」「デトワイラー・ボーイ」の三つ、ということで大概の人に異存はないだろう。

「ハリウッドの看板の下で」は、「俺」という刑事の一人称で語られる異常な物語で、この刑事がある事故現場で人間離れした美しい青年を見かける場面から始まる。刑事はゲイではないがこの美青年を忘れられなくなり、青年を追跡する。やがて青年には兄弟と見まがうほどそっくりな仲間がいて、しかも彼らは人が死ぬ事故現場に出没することを知る。刑事は青年を拉致監禁し、正体を暴こうとするが、衝動に逆らえず彼をレイプしてしまう…。

全体にノワールな空気感が充満する中、刑事が一般人を拉致監禁し、あげくにレイプするというダークさ、背徳性。そしてBL小説といってもおかしくないほどあからさまな同性愛への傾斜。相当にスパイスが効いた物語だが、そこにファンタジー要素として「天使」が注入される。すなわち、人間離れした美青年たちは「天使の幼体」であり、彼らは人間の生命エネルギーを摂取することで「天使の成体」へと孵化する、という設定である。そのために彼らは、人間が死ぬ場所に出没する。

天使の幼体をレイプした刑事がその後どうなるかは書かないでおくが、ノワールな空気感と同性愛、天使の孵化といったモチーフが重なり合って、独特の耽美性をもったダークファンタジーになっている。

表題作の「サンディエゴ・ライトフット・スー」は本書中もっとも普通小説寄りの作品で、SFやファンタジーというより青春小説と呼ぶのがふさわしい。主人公は15歳の少年ジョン・リーで、母の死をきっかけに単身カンサスの田舎からロスアンゼルスに出て来る。そこでアーティスト肌のゲイカップルと知り合い、彼らと同居するようになり、次に中年の女流画家スーと知り合って、彼女の絵のモデルになる。そして二人は恋に落ちる、15歳の少年と45歳の女流画家が。

少年が年上の女性と恋する物語で忘れられないのは、J・E・パチェーコのあまりにも美しい中篇「砂漠の戦い」だが、この「サンディエゴ・ライトフット・スー」も「砂漠の戦い」に劣らないほど抒情的で、哀しく、胸を締めつける物語である。スーは言う。「ジョン・リー、あなたが二十になったら…思ったことある、私が五十だって?」「スー、好きなんだ、そんなことはどうでもいい」「でも二、三年したら、あなたは同じ年頃の女の子を恋するようになる、そして私はおばあちゃんになるのよ」彼女はジョン・リーの肩で涙を流す。「私、あなたのお気に入りのおばさんにも、ましてお母さんにもなりなくないわ。…(中略)…あなたの赤ん坊を生みたいのは私なの、でももう遅いのよ…」

これのどこがSF/ファンタジーかというと、ジョン・リーに若い頃の自分を見せたいと望むあまり、スーは黒魔術に頼るのである。そして、それが悲劇を招く。しかしその黒魔術部分はとてもさりげなく、ミニマムな描写に切りつめられているため、この短篇にホラー要素はほとんどない。とてもみずみずしく、切ない青春小説に仕上がっている。ラスト、スーがジョン・リーに宛てて書いた手紙を読んで涙しない読者はいないだろう。LAで生きる自由人たちの破天荒な生活ぶりも魅力だ。この短篇はネビュラ賞を受賞している。

「デトワイラー・ボーイ」は「ハリウッドの看板の下で」に似た不気味な雰囲気の短篇で、ハーラン・エリスンが最高傑作のお墨付きを与えている。私立探偵の「私」は殺人事件の調査をする中で、一人のせむしの青年、デトワイラーの周りで不審な死が相次いでいることを知る。青年は肉体こそせむしだが、とても美しい顔立ちで、かつ性格も無垢でおとなしく、誰からも好かれている。探偵はデトワイラーを疑うが、しかし彼にはどの事件でも完璧なアリバイがある。探偵はある夜デトワイラーのアパートに忍び込み、そして想像を絶する真実を発見する…。

ノワールな空気感、謎の美青年、立ち込める死の匂いなどが「ハリウッドの看板の下で」と共通する要素だ。そしてこれも、天上的なるものと悪魔的なるものが共存するトム・リーミイの特徴がよく出ている。ラストが昔のアイデアSF風だった「ハリウッドの看板の下で」と違って、オープンエンディングになっており、その分現代的で余韻が深いと言えるかも知れない。

それ以外の短篇にもざっと触れておくと、「ビリー・スターを待ちながら」はとても短いゴースト・ストーリー。ホラーではなく切ない話で、「サンディエゴ・ライトフット・スー」と同じくトム・リーミイのロマンティックな部分が良く出ている。ちなみに訳者の井辻朱美氏はあとがきで、「ハリウッドの看板の下で」と「ビリー・スターを待ちながら」が自分のフェイバリットだと書いている。

「トウィラ」は有名作らしいが、ハーラン・エリスンは「つぎはぎ細工」「ぎすぎすとやせていて、模造品めいている」と手厳しい批判をしている。小さな町に転校してきた美少女が周囲の人々に災厄をもたらし、やがて人間にあらざるものと判明する、というホラー映画にありがちなストーリー。

「亀裂のむこう」はある町の子供たちが急に周囲の人々を殺し始めるという話で、「琥珀の中の昆虫」は呪われた屋敷と闘うため超能力(サイコキネシス)を持つ教授がテレパスを招集し、共闘するという話。どっちもB級ホラー映画みたいなプロットで、習作レベルの出来だ。ちなみにハーラン・エリスンが「愚にもつかぬ代物」と切って捨てているのは「琥珀の中の昆虫」で、まあそう言われてもしかたがない作品である。

通読するとトム・リーミイはまだまだ発展途上の作家だったなという印象で、本書中出来の良いいくつかの短篇にしても非の打ちどころのない、瑕疵のない作品とは言い難い。しかしもし彼が早逝せず、その後作家として多くの作品を世に出していたら、歴史に残る傑作が生まれたかも知れないと思わせるものがある。

とはいえ、「ハリウッドの看板の下で」「サンディエゴ・ライトフット・スー」「デトワイラー・ボーイ」の三作品には、完璧ではないにしても無視できない魅力がある。おそらくそれは、これからいよいよ作家として身を立てていこうとしていた著者の情熱のなせるわざなのだろう。ちなみに私のフェイバリットは、表題作「サンディエゴ・ライトフット・スー」である。

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