『ホーム・ラン』 スティーヴン・ミルハウザー   ☆☆☆☆★

最後のロマン主義者、スティーヴン・ミルハウザーの最新短篇集。ミルハウザーもすでに齢70代後半に突入しているがまだまだ健筆のようで、邦訳短篇集もこのところさほど間をおかず、コンスタントに出ている。ファンとしてはうれしい限りだ。

しかも奇想の作家としての発想力にはますます磨きがかかっている。今回の『ホーム・ラン』もいつものミスハウザー・スタイルは不変ながら、個人的には『私たち異者は』『十三の物語』より好みの短篇が多かった。徐々に「日常自体の奇怪さ」にシフトしつつあった前作と比べて、初期のミルハウザーのトレードマークだった「驚異」の匂いがする。初期ミルハウザーに格別な思い入れがある私としては、もちろん大歓迎だ。

最初の「ミラクル・ポリッシュ」からしてそんな感じがする。これは妙な訪問セールスマンがやってきて「ミラクル・ポリッシュ」とラベルが貼られた壜をひとつ置いていく、という話だが、冒頭の怪しげなセールスマンの風貌描写からしてもう、ミルハウザー・ファンならワクワクせずにはいられない。私はこの部分を読んだだけで「この短篇集は期待できる!」とテンションが爆上がりしてしまった。

そしてその壜に入っている液体で鏡を磨くとあら不思議…というこの展開も、昔ながらのSFファンタジー小説みたいで楽しい。もちろんそこから先はミルハウザーにしか書けない斜め上の展開となるわけだが、もともとミルハウザーは奇想の人といっても完全にシュールで得体の知れない話ではなく、芸術的な自動人形や工芸品や空飛ぶ絨毯のような、童心溢れるオブジェ描写に本領を発揮する人だ。時には古き良き時代の匂いがするロマン主義的な物語の枠の中で、過剰なまでに凝りに凝ったオブジェを提示してくる。

だから過去の作品にも王国や魔法使いなどがよく登場したが、この短篇の「怪しげな訪問セールスマンと奇妙な商品」というモチーフにも、そんななつかしさと興奮を感じたのである。

次の「息子たちと母たち」は、久しぶりに母を訪問した息子を描く短篇。最近のミルハウザーが得意とする「日常自体の奇妙さ」路線といっていいだろう。その奇妙さは、たとえば他の作家にありがちなホラー風や厭ミス風ではなく、どことなくオフビートなおかしさが漂う不条理劇のような奇妙さ、いわば現代美術のインスタレーション的な、クールな奇妙さであるところがミルハウザーらしい。

息子は最初から居心地の悪さを感じているが、その上に、母がどうもボケかかっていて自分の息子が分からない風だし、動作もぎこちないことに気づいて、ますます居心地が悪くなる。うしろめたさと戸惑いでいっぱいになる。そんな中、奇妙でおかしく、しかもちょっと不気味なパントマイム劇が続くが、これ最後どうなるのかなと思っていると、びっくりするようなオチを迎える。私は一瞬あっけにとられ、次にほとんど爆笑した。

「私たちの町で生じた最近の混乱に関する報告」はピーター・ケアリーや最近ご紹介したジョン・ロバート・レノン「左手のための小作品集」にも通じるアイデアで、ある町で起きた奇妙な事件とその経緯を描く。ミルハウザーでいえば「夜の姉妹団」タイプの短篇だ。要するに自殺が流行する町の話なのだが、これをアイデアだけでさらっとすませないで、コツコツとディテールを書き込んで濃密な世界観を作り出していくところがこの作家らしい。

「十三人の妻」はほとんど言葉のアクロバットとでもいうべき短篇で、十三人の妻を持つ男が、一人づつどんな妻なのかを語っていく。しかも、容姿や性格という描写しやすい属性の説明ではなく、もっと抽象的で観念的な妻と自分との関係性、たとえばまったく対等できっちりギブアンドテイクであるとか、自分が一方的に甘やかされるとか、逆に高圧的な妻なので尻にひかれるとか、そんな内容である。まるでカルヴィーノ『見えない都市』の「妻」版みたいだ。これはアイデアというよりも、ミルハウザー独特のレトリックがあってはじめて成立する短篇だと思う。

次の「Elsewhere」は「私たちの町で生じた最近の混乱に関する報告」に似た感じの、やはりある町で連発する異常事のレポートである。「私たちの町で…」の自殺と異なり、もっと漠然とした異常事が扱われている。つまり誰かが覗いている、忍び込んでいる、という感覚を覚える人が多発し、やがて…という話。

「アルカディア」はある特殊な目的を持つサービス施設の紹介で、アイデアそのものはそれほどユニークなものではない。同じアイデアの短篇を私は少なくとも三つは読んだことがあるが、二番煎じどうこうではなく、ミルハウザーがこの題材をどう料理したかを愉しむ短篇だと思う。サービス施設の目的はこの短篇内にもはっきりと書かれていないので、説明はしないでおく。

「若きガウタマの快楽と苦悩」は本書中一番長い作品。タイトル通り仏陀の話で、インドの王子ガウタマが天国の如く快楽ばかりの宮殿の中で憂鬱を覚えるようになり、悲しみの影に惹かれるようになり、やがて宮殿の外の世界に出ていく、という物語。ミルハウザーのエキゾチズム趣味が凝縮されたような短篇だが、それに加えて宮殿内の人工宇宙を取り憑かれたように細密描写する筆致に、初期作品の香りが漂っている。

そして最後の短篇にして表題作の「ホーム・ラン」。これはたった4ページの小品だ。ホームランになった打球の行方を野球の中継を模した文章で解説するという、これまたレトリックだけで勝負するようなアクロバティックな作品である。まあ一種の散文詩みたいなものと思って読めばいいんじゃないか。

そして一番最後に、「短篇小説の野心」という短いエッセイが収録されている。しかしこれは「エッセイ」とあるけれども、本当にエッセイなんだろうか。ミルハウザーが短篇小説というものをどう考えているかを書いた文章かと思ったらちょっと違って、「短篇小説」がどんな野心を持っているか、という文章なのだ。つまり「短篇小説」を擬人化して、それが「長編小説」に対してどんなコンプレックスを抱いているか、しかし心の奥ではどう思っているか、みたいなことを書いている。全然素直なエッセーではなく、トリッキーである。作品の一つと考えてもあまり違和感はない。

相変わらず冴え渡っている奇想もそうだけれども、この奇想の世界を読者にバカバカしさを感じさせずギリギリのバランスで成立させてしまう、ミルハウザー独特の凝りに凝った文体が素晴らしい。今回特にそれが印象的だった。ミルハウザーは非常にスタイリッシュな文章家で、心から湧き上がった思いをそのままストレートに吐露するといった文章は絶対に書かない。二重三重の韜晦を張り巡らす。そういう意味でも、彼はエドガー・ポーの衣鉢を継ぐ真正のロマン主義者だと思う。

それに彼の文体は曲がりくねっていて、饒舌で、そのくせ端正で、ベタベタした感傷からほど遠い。一流の細工師が長い年月に磨き上げたノミのような、小説家にとっての見事な道具である。

ところで最初に、初期の「驚異」の匂いがする、と書いたが、しかし当然ながら最近の傾向も明らかに見て取ることができる。具体的な何かを目に見えるように描写するのではなく、物質的には存在しない抽象的なものを言葉のマジックで蜃気楼の如く浮かび上がらせるアプローチだが、この方法論は「私たちの町で生じた最近の混乱に関する報告」「十三人の妻」「Elsewhere」などで顕著だ。

いずれにしろ、ここ数年に出たミルハウザーの作品集の中では文句なく最高に愉しめた一冊だった。巻末の訳者あとがきによれば本書は、米国で出版された原書では一つの短篇集だったものを二つに分割した、その前半部分だという。来年出るという後半部分を楽しみに待ちたいと思う。

 

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