『八つ墓村』 横溝正史   ☆☆☆☆

久しぶりに野村芳太郎監督の映画版『八つ墓村』を観た後、原作を再読した。映画はホラーというか怪談になっていて、原作のミステリ要素がほぼ全部除去されているので、ミステリ小説『八つ墓村』をあらためて味わいたくなったのである。

本書を最初に読んだのは私が横溝ミステリを読み始めたばかりの頃で、閉鎖的な田舎、対立する名家、村の忌まわしい過去、連続殺人、不気味な老人キャラといつもの横溝印モチーフが共通しているため、『犬神家の一族』や『獄門島』などとごっちゃになってしまって取り立てて印象に残らなかったのだが、今回は細かい部分の違いや工夫も分かって、かなり愉しめた。横溝ミステリの読みどころが分かってきたのだろうか。

加えて本書には落武者の財宝探し、鍾乳洞内の探検などの伝奇冒険小説的要素もたっぷり盛り込んであって、横溝ミステリの中でもとりわけ濃厚なロマンの香りを愉しめる作品に仕上がっている。さすがに代表作と言われるだけのことはある。

あらすじは大体映画と同じだが、先に書いた通りミステリ要素が全部除去されている映画と違って、原作はちゃんとミステリになっている。決して「落武者の祟りだった」が結論ではない。最後にはすべての謎が合理的に解決されるし、犯人のトリックもあるし、金田一耕助の推理にもロジックがある。その意味では、全体の雰囲気は大きく違うといっていいだろう。映画では、渥美清の金田一耕助は全然推理などせず「そんなことよりも、この事件においては」と祟りの説明ばかりしていたので、映画だけ観た人がこの原作を読むと、ちゃんとしたミステリになっていることに驚くんじゃないだろうか。

ではどんなミステリかというと、まず屋台骨になっているのは「動機の隠蔽」である。本書の連続殺人は、すべてこのアイデアの上に組み立てられている。誰かが本書のアイデアについて、クリスティーのABC理論の応用と言ったそうだが、確かにその通りで、ABC理論が更に一ひねりされている。まず村の人間が一人一人殺されていくが、一体何が目的なのか、被害者にどんな共通点があるのかが分からない。行き当たりばったりに殺したとしか思えないケースまで出て来る。一体全体犯人は何がしたいのか。

次に、二人ずつの名前がセットになったメモが出て来る。つまり職業が同じだったり立場が同じだったりする二人の名前が書かれ、殺された方が線で消されている。どうやら、犯人は二人一組の片方を次々と殺しているらしい。非常に奇妙だが、この奇怪な動機の前提になるのが、忌まわしい過去の「祟り」なのである。

もちろんこれには更に裏があるわけだが、このややこしい動機隠蔽の仕組みと「祟り」の応用、これが本書『八つ墓村』のミステリとしての最大の特徴と言っていいと思う。

金田一耕助の謎解きについてはロジックがあると書いたが、実は論理的推理と言えるようなものは少ししかない。ある殺人現場において、死体のそばから二人一組のメモが発見された事実が手がかりになる。この推理はかなりクレバーで、説得力があり、かつ特定の真犯人を直接的に示唆する強力なものだ。殺人の全体像を考えてみると読者も「おや?」と気づいてしかるべきことであり、その意味では非常にフェアな、いい手がかりだと思う。しかしこれもまた、映画版からは完全に削除されていた。

それ以外にも、屏風の絵から僧が抜け出すという奇怪な話が出てきたり、屏風に隠されていた昔の写真や手紙が出てきたりして、読者を飽きさせることがない。さまざまなミステリー的趣向が盛り込まれており、リーダビリティは高い。

またクライマックス、辰也が村人たちに殺されそうになって鍾乳洞に逃げ込む流れは映画と同じだが、原作の方がはるかにハラハラする。村人の中でも凶暴な二人が鍾乳洞の中まで追っかけてきて、逃げ惑う辰也と典子を絶体絶命というところまで追い詰めるのである。鍾乳洞という不気味な舞台設定と村人の非人間性もあって、この場面にはまるで楳図かずおのホラー漫画のような恐ろしさが漂っている。冒険小説としてもなかなか読ませる。

ところで主人公の辰也は、都会で働いているところを八つ墓村に連れて来られ、名家の後継者にされるのだが、なんだか気が弱く内気な青年で、何かといえばビクビクしているのが面白い。映画のショーケンとはだいぶ感じが違う。普通こういう冒険ミステリー系で主人公になるのは好奇心と冒険心が旺盛な若者だろうが、そうじゃないところが変わった味になっている。ただしこの辰也、自信がない青年のわりに女にはよくモテる。イケメンなのだろうか。

で、その辰也を色々と助けるヒロイン的存在が典子だが、この少女は映画版には登場しない。おそらく映画では辰也の相手役が森美也子に一本化されたためと思われるが、確かにストーリー上のインパクトはそっちの方が上だろう。原作では、辰也はおとなの女性・森美也子に恋しつつも、行動をともにするのは素朴な少女・典子という図式になっている。

その典子はやたらと天真爛漫な少女で、まったくその気がない辰也に自分からどんどん接近していく、ちょっと不思議ちゃんなキャラだ。おまけに初登場時は全然きれいじゃなく、その後だんだんときれいになっていくというのもヒロインとしては変わっている。

さて、そんな風にサービス精神旺盛な本書だが、欠点を二つ上げるとすれば、一つは金田一耕助の活躍に今一つ精彩がないこと。前述の論理的推理はあるけれども、ほとんどそれだけで、他にいくつも起きる殺人ではまったく何の発見も推理もない。大体あれだけ被害者が出た後で、実はぼくは最初から犯人を知っていましたはないだろうと思う。私が遺族だったら怒ってちゃぶ台をひっくり返すところだ。この小説はやはり辰也が主人公の冒険伝奇ミステリーというべきで、探偵役である金田一耕助の存在感はそれほど大きくない。

そしてもう一つは、これだけの事件にしては真犯人の最期があっけないこと。読者の知らないところでけりがついてしまい、あとづけである人物の口から知らされるだけなのだ。竜頭蛇尾感がハンパない。これについてはもちろん映画版の方の完全勝利で、クライマックスのあの絶大なるインパクトはまったく素晴らしかった。

しかし総合的に見れば、伝奇小説、冒険小説、ミステリの要素をたっぷり盛り込んで凝縮した『八つ墓村』は、やはり横溝正史の代表作の名にふさわしい傑作である。和製ミステリの一つの典型を作り出したという点でも、記念碑的作品と言えるだろう。

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