『覇王の家(上・下)』 司馬遼太郎   ☆☆☆☆

『国盗り物語』『新史太閤記』『関ケ原』『城塞』と司馬遼太郎の戦国時代もの、つまり織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の天下取り競争を題材にした作品は大体読んだが、どれもこれもあまりにも面白く、他にないものかと思って探したら徳川家康を描いた本書がまだ残っていたので、躊躇なく入手した。で、やっぱりこれも面白かった。

本書は家康の前半生、つまり人質になって、信長に忍従し、信長が死んだ後は秀吉と駆け引きし、長久手の戦いを経て秀吉の妹を嫁にもらうところまでと、豊臣家を滅ぼした後死ぬまでが描かれている。その中間部分、つまり関ケ原と冬の陣・夏の陣が抜けているのはもちろん、すでに『関ケ原』『城塞』でじっくり書き尽くしているからに違いない。

そういう意味では、一番おいしいところはすでに他でたっぷり描かれているので、本書は落穂拾いと言われてもしかたがないところはある。家康という奇特な人物の人生全体を眺めた時に、まだあまり書いてなかったところをまとめて取り上げてみました、という感じはする。だから全体の構成としてはさほど盛り上がらず、淡々としているし、物語としては『関ケ原』『城塞』の方が圧倒的に面白い。

が、徳川家康という人間の不思議さを知るには、おそらく本書が一番だ。『関ケ原』『城塞』では悪役的色彩が強かった家康だが、本書ではニュートラルなスタンスで描かれている。というか、おそらく作者の司馬遼太郎もストーリーテリングや他の人物との対比は二の次にして、「徳川家康とは一体どういう人物だったのか」という興味を最優先して書いたんじゃないかと思う。というのも、他の小説にはあまり出てこなかった「ふしぎ」というキーワードが頻出するのである。

まさにそれ、家康という人間のふしぎさが本書のテーマなのだ。だから何度も「ふしぎ」という、作者のナマな言葉が出て来る。つまり、家康は信長や秀吉と違ってビジョナリーでもない、天才でもない、独創性もない。他人の真似をすることでリスクを避け、新しいものを嫌い、我慢第一、保身第一。つまり、いわゆる英雄らしいところや、稀有な事業を成し遂げた偉人らしいところはかけらもない。ところが、その家康が結局天下を獲ったという、この日本史上にそびえ立つ壮大なふしぎ。作者の司馬遼太郎は、本書全篇を通じてこれを心から不思議がっている。そしてその謎の芯に近づこうとしている。

もちろん、そのふしぎの理由はこれこれだったと明快な回答が示されるわけではないが、作者の考察を要約すると多分こうなると思う。つまり、基本的には通常人である家康に常人離れしたところがあるとすれば、自分という人間をまるで一個の「法人」のように、ニーズに応じて外からコントロールし続けたことにある。彼は生涯にわたってこれをやった。

言葉を変えれば、彼は普通の人間が目的のために欲望を我慢するように「我慢」したのではなく(そうだとすれば天下を獲った後はもう我慢しなくなるだろう)、自分をあたかも自分の外にある一個のエンティティとして自分から切り離してコントロールする、そういう精神の在り方が体質として沁みついていた、ということになる。何だかよく分からない話だが、ここで著者本人の文章を引用しておこう。

「自分という存在を若いころから抽象化し、自然人というより法人であるかのように規定し、いかなる場合でも自己を一種放下したかたちで外界を見、判断し、動いてきた」

「家康の深奥に秘密があるとすればこのことであり、かれの一代はこのことから成立しているといってよく、さらにはどうみても英雄の風姿をもたず、外貌も日常もそして才能もごく尋常な人物でしかないこの男が、その深部においてきわだって尋常人と異なっているところはこの一点であり、この一点しかなかった」

これが本当だとすれば、やはりこれは普通じゃない。こんな人間がいるとは信じがたいほどに異様である。もはや通常の意味を超えた我慢、辛抱、自己管理である。なぜこうなったかというと、子供の頃から他国の人質になったというその生い立ちのせいだろう、というのが司馬遼太郎の意見だ。ニーズによる自己管理が習性となった家康は、後に信長に命じられた時には自分の息子と妻を殺し、戦では常にもっとも危険な役割を引き受けた。自分の健康に注意し(当時としてはきわめて珍しい考え方だった)、部下にさえ自分の感情を見せないように配慮し、反感を買わないために処罰しないよう気を遣った。

ただの我慢ならいつまでも続かないが、家康は一生をかけてこれをやった。つまり、これはもはや我慢ではなく、彼という人間の行動原理であり、身体と心理のメカニズムになっていたのだ。こんな異様な人間がいるだろうか。

更に司馬遼太郎がふしぎがっているのは、ここまで慎重居士の家康が時として無謀なギャンブルに出ることである。慎重一辺倒ではないのだ。他の功利的な大名なら絶対にやらないようなこと、たとえば自国を信玄が通過する時に見過ごさずに戦いを仕掛けたりしている。敵は圧倒的に強大な信玄で、戦えば負けるのである。何もせず通過してくれるなんて超ラッキーなのだ。部下も全員じっとしているべきという意見なのに、この時家康は「これを黙って看過するのは武士ではない」などと言って兵を出すのである。ふしぎだ。

一読者としての私の感想を言えば、『関ケ原』『城塞』ではひたすら悪辣な狸おやじ、奸物というイメージだった徳川家康だが、家康側の事情を見ると色々苦悩があったんだなということが分かった。まあ当たり前のことだけれども。信長に言われて従容と自分の息子を殺した話など、一体どんな冷血人間なのかと肌寒くなったものだが、当然ながら断腸の思いがあったのである。とはいえ、それでも息子を殺してしまうのは異常だけれども。

また、いつも沈着冷静に計略をめぐらしているイメージだったが、意外なことに、予想外の事態が起きた時恐怖する、すくむ、という性格だったらしい。特に若い頃はカリスマ性もなく、才気も度胸もない見栄えのしない若者で、何かあると黙り込んで爪を噛む癖があった、という。とても大将の器には見えない。歳を取ってからも、たとえば本能寺の変で信長が死んだことを聞いた時は激しく取り乱し、自分も京に行って死のうとしたらしい。常に冷静な狸おやじ、というイメージだったのでこれは意外だった。

それからケチで有名だった話も出て来るが、これはイメージ通り。司馬遼太郎が言うには、家康は信長や秀吉のように経済を回し、新しい仕組みを作って財をなそうとするのではなく、節約して蓄財する人だった。やはり才気煥発というより、地道でどんくさい方法である。

いずれにしても、徳川家康といえば稀代の策略家にして天才的政治力、及び常人離れした忍耐力の持ち主であり、それゆえに最終的に天下を獲れたという風に思い込んでいたが、そのイメージはだいぶ覆された。本書を読むと、誰もが作者と一緒に「なるほどふしぎだ」と首をひねりたくなるに違いない。まず、革新的なことが嫌い、変化が嫌い。これだけでも鈍物だが、予想外のことが起きるとすくむ。どう考えても「大人物」のイメージではない。そして決定的なのが、ビジョンというものがない。ビジョンを持たない偉人、なんているのだろうか。信長のように新世界を作るというような壮大なビジョンは何もなく、彼はただ、徳川家の安泰を図ろうとしただけなのである。

要するに、長い戦国時代についに終止符を打ち、日本統一という偉業をなしとげ、二百年にわたって継続する幕府をつくりあげた、いわば日本史上最大の勝利者である徳川家康は、まったく英雄でも天才でもなかったという不思議。本書を読むと、その不思議さを心の底から堪能することができる。

ちなみに、司馬遼太郎はこの家康の性格が江戸幕府の性格となり、ひいては日本人の民族的性格になったことの功罪にも言及している。つまり、新しいものを嫌い、独創や発明をうさんくさく思い、模倣が得意で、現状維持をよしとする。石橋をたたいて渡る、保険好き、リスクテイクを異常に怖がる、などもそうかも知れない。これが正しければ、徳川家康という一個人が日本民族の性格を決定したということになるが、後世にここまで巨大な影響を及ぼした点で家康以上の人間はいないだろう。

そしてまた、もし家康が負けて豊臣幕府が長期政権を取っていたら、あるいは信長が本能寺で死なずに天下統一していたら、と考えると、これまた感慨深いものがある。そうなっていたら、もしかすると今の日本人はまったく違う民族的性格を持ち、今とはまったく違うタイプの社会を築き上げていたかも知れない。歴史とは奥深いものである。

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