『忍法関ケ原』 山田風太郎   ☆☆☆★

山田風太郎の忍法帖ものの短篇集を再読。本書『忍法関ケ原』は講談社文庫の山田風太郎忍法帖シリーズ第14巻で、最終巻に当たる。シリーズ中短篇集はこれだけだ。全部で9篇収録されている。

エロと残酷と荒唐無稽という風太郎忍法帖のテイストはもちろん変わりないけれども、他の長編忍法帖と比べると、やっぱり短篇集ならではの特色があると思う。第一に、長編では当然ながら忍者たちの戦いが主要なテーマであり、勝ち抜き戦の結着がつまり小説の結末になることが多いが、本書の諸作品では、戦いではない何か別のものに作者の関心が向いているような印象がある。もちろん戦いはあるんだけど、その勝敗の行方が最大の関心事じゃない感じだ。

たとえば表題作の「忍法関ケ原」。これは関ケ原後の徳川と豊臣の決戦の行方を左右する凄腕の鉄砲鍛冶職人たちがいて、それぞれの側が彼らを味方につけようと工作をめぐらす、という短篇である。鉄砲鍛冶職人の村は一応豊臣側なのだが、徳川に寝返られたら大変ということで、職人達に間違いなく協力させよ、また敵の忍者を村に侵入させるな、との命令が忍者達に下る。忍者たちは村に行って敵の侵入を防ぎつつ、身勝手でアクの強い鉄砲職人達に協力させようと四苦八苦する。

これももちろん徳川と豊臣の戦いには違いないが、物語の中心になっているのは、いずれもひねくれていて身勝手な鉄砲鍛冶職人たちのご機嫌をいかにとるか、という忍者たちの苦労である。もともと忠義心などかけらもない連中がこれ幸いとムチャクチャな要求を出してくるので、それにじっと耐えて彼らのご機嫌を取らなければならない。忍者たちの状況は悪夢さながらだ。

こんな話なので、当然ながらどこかコミカルである。これが第二の特徴。風太郎忍法帖は長編でもコミカルな要素がある場合が多いけれども、これらの短篇ではとりわけその傾向が強い。「忍法関ケ原」でいうと、醜い鉄砲鍛冶職人にイケメンの忍者がオカマを掘られたりする。完全にギャグである。最後のオチもアイロニーが強く、ブラックな笑いを誘う。

要するにおふざけの要素が目立つのだが、だからと言って単なるギャグ忍法帖にはなっていない。忍法帖ならではの凄愴さ、壮絶さは十分あって、たとえば容貌にコンプレックスを持つ職人が美男美女の忍者たちにつむじを曲げて寝返らないよう、忍者自ら顔を焼いたりする。そういう凄まじさとギャグが混在しているのだ。なかなかに濃い世界である。

これらの特徴は他の短篇にも共通していて、「忍法天草灘」ではキリシタンの要人達を転向させるべく数々の人間離れした忍法が駆使されるが、その結果はおそらく読者の期待を裏切るものだろう。強いアイロニーを感じさせるオチになっている。

笑いという意味で秀逸なのは、「忍法甲州路」である。これは、対戦相手を眠らせてしまう術を使う忍者三人を破るために新たな剣法を開発する三人の剣士の物語である。一見忍法帖王道のフォーマットそのままと思わせておいて、最後の最後にとんでもないギャグになる。三人の剣士の対抗策はというと、それぞれ半分だけ眠る、眠りを体の一部分に集めてしまう、眠ったまま敵を斬る、という超人的なもので、三人は厳しい練習の果てにこれらを身に付ける。そして超絶忍法と超絶剣法が対決するのだが…。結末で大笑いして下さい。

アイデアがぶっとんでいて面白かったのは「忍法小塚ッ原」である。これは首切り役の侍が主人公で、首を斬ることにかけては超人的な技量を持つこの男・天兵衛、やがて知的探求心にかられて人間の首をすげ替えるという実験を始める。つまり、首を取り替えた時その人間は一体誰なのか。普通は頭の方の人間だと思うだろうが、天兵衛の予想は体と頭の意志が強い方が勝つ、というもの。ところが若者と老人、イケメンとブサイク、など色んな組み合わせで実験を繰り返すうちに思いもよらぬ結果になる。もはや完全にSF、ないしシュールなスラップスティック・コメディになっている。

しまいには、三人の首と体を一度バラバラにして繋ぎ、人格が決定したところでもう一度バラバラにしてシャッフル後に繋ぎ直す、なんてことまでする。その結果はというと、もう完全にジョークである。このぶっとんだアホな発想は初期の筒井康隆レベルで、実験結果からいちいちもっともらしい人生訓を引き出して述懐する天兵衛もおかしい。とび過ぎていて読者を選ぶ短篇だと思うが、私は好きである。

「忍法聖千姫」はタイトル通り千姫の話だが、しかつめらしい歴史的背景の説明から始まるのでどんな重厚な話かと思うと、ほとんどスカトロ譚である。本書中一、二を争うアホな話だと思う。完全にナンセンスに徹していて、しかも汚いが、このストーリーで最後哀感を持って締めくくってしまうのが凄い。もうなんでもありだ。

「忍法ガラシヤの棺」は有名な細川ガラシャについての物語で、キリシタンにして貞節なガラシャの悪魔的二重性を描き出す。これは本書収録作にしては珍しく、笑いの要素がほとんどない。

「忍法幻羅吊り」は女郎館を舞台にした復讐譚で、ある女が五人の非道な侍たちに忍法を使って復讐する。まるで必殺仕置人のようなストーリーで、なかなかスッキリする。忍法は例によって下半身関係である。

そして最後を締めくくる「忍法死のうが一定」。これはあの本能寺の変を題材に取り上げて、メインキャラクターに織田信長と果心居士という日本史上の大スターを据えた野心作である。本能寺の変が起き、死を目前にした信長の目の前に現れた戦国時代の魔法使い、果心居士。その果心居士が信長に持ちかけた生き延びるための唯一の策、忍法・女陰往生。

この女陰往生とは、男が女と性交する時に女陰の中に取り込まれて胎児状態となり、胎児状態のままで再び自分の人生をまるまる経験する。その後また生まれて来るのだが、生まれた時は人生を二度経験したショックで廃人になるか自殺してしまう、という、もはやワケのわからない忍法である。普通はこれで敵を殺してしまうのだが、信長ほどの意志力の持ち主ならば廃人にならずに再生できるはず、というのだ。

結果的にこれに賭けることにした信長、女陰の中に入って本能寺を抜け出し、再び信長として蘇る。が、胎児状態で自分の人生を追体験した信長には、ある心境の変化が生まれていた…。

というような話で、批評家やファンからは評価が高い短篇だが、個人的にはアイデアが込み入り過ぎていて、ラストも肩透かしな感じがしてそれほど好みではなかった。話のスケールが大きいのは良く分かるのだが。

まあそんなわけで、色々な味わいを愉しめる短篇集である。長編のように忍者たちの戦闘の恐ろしさや迫力だけでなく、笑いやSF的アイデアやアホなコメディなどなんでもありだ。とりあえず、山田風太郎の発想力の凄まじさは十分に体感できる。

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