『ビッグ・リボウスキ』 ジョエル・コーエン監督   ☆☆☆☆

『ノーカントリー』『ファーゴ』のコーエン兄弟が1998年に発表した映画『ビッグ・リボウスキ』をiTunesレンタルで鑑賞した。ひねくれた映画ばかり撮るコーエン監督だが、この『ビッグ・リボウスキ』も折り紙つきの怪作である。傑作かと言われれば躊躇してしまう、というか、多分普通の意味での傑作じゃないと思うが、好きな人は最高に好きとなってしまう類の映画である。いってみればマニア向け。決して万人向けではない。

ちなみに、私は途中まで「一体どんな映画なんだこれ?」と思いながら観続け、いくつかのシーンではスベリ気味のギャグに苦笑しつつ「こりゃ失敗したかな」と思い、でもある時点から監督の異常なマイペースっぷりにかえって快感を覚え始め、結果的にはかなり満足することとなった。ひとりよがりな場面があっても「なんだこれいい加減だな」とか「監督はこれで笑えると思ってんのか」などとイラっとせず、そのひとりよがりっぷりを愉しむという寛大な気持ちで観るのがコツである。

さて、ストーリーにはそれほど大した意味はないのだが、一応あらすじを書いておこう。ある日リボウスキ、通称デュード(ジェフ・ブリッジズ)の家に二人のチンピラが侵入し、お前の妻が金貸しから借りた金をすぐ返せ、と脅し、カーペットに小便をかける。おれには妻はいない、人違いだ、と言うとチンピラは去る。同姓同名の大富豪リボウスキ氏との人違いだったのだ。ボーリング仲間のウォルター(ジョン・グッドマン)とドニー(スティーヴ・ブシェーミ )にけしかけられたデュードは、小便をかけられたカーペットを弁償してもらうためにリボウスキ氏の屋敷を訪れる。リボウスキ氏には冷たく追い返されるが、やたら愛想がいい秘書(フィリップ・シーモア・ホフマン)を騙してカーペットを持ち帰る。

その直後に秘書から電話があり、再びリボウスキ氏と会う。妻が誘拐されたので金の受け渡しを頼むと言われ、謝礼につられて引き受ける。ところが一人で来いと言われていたのにウォルターを連れていき、しかも「カバンを落とせ」と言われた時に金が惜しくなり、ウォルターが金の替わりに自分の下着が入ったカバンを落としてしまう。「信頼を裏切ってしまった」と悩むデュードに、「でも百万ドル手に入ったじゃないか。どうせ人質を殺したりするもんか」と言うウォルター。ところがボーリングしている隙に、金の入ったカバンごと車を盗まれてしまう。

数日後に車は見つかったがカバンはない。車中に残されていた名前入りの宿題から犯人は高校生だと目星をつけ、デュードとウォルターが会いに行く。おどして金を取り戻そうとするが、黙っている高校生にキレたウォルターが家の前のスポーツカーをボコボコに壊す。が、その車は隣人のものだった。

結局金は戻らず、デュードは誘拐犯から金を催促され、おまけに切り取られた人質の足の指が郵便で届き、金貸しには拉致され、リボウスキ氏の娘(ジュリアン・ムーア)からは子作りに協力させられる。どんどんドツボにはまっていくが、常に状況を悪化させている責任者のウォルターはまったく気にせず、ひたすらボーリングに明け暮れるのだった…。

途中でデュードがこの誘拐を狂言なんじゃないかと疑い、ウォルターも「そうだそれに決まってる、だから何も心配しなくていい」と言うが、果たして誘拐が狂言かどうか、なんてことはこの映画においてはあまり気にする必要はない。ミステリ映画みたいにまじめに頭を使っているとバカを見る。どうせオチも適当である。

本作においてはプロットは緩く、肝心なのは場面場面の悪ふざけであり、オフビートなギャグの数々である。誘拐劇のストーリーとはまったく関係ないところに出て来るジョン・タトゥーロがその典型だ。ボーリング場でデュード達に敵対心を燃やして挑発してくる敵チームのボウラーなのだが、変なタイツ姿やボールを拭く動作などがいちいちおかしい。ただそれだけの登場である。

金貸しに拉致されたデュードが、金貸しが電話しながら書いたメモをこっそり盗み見ると勃起した男の絵だったなんてギャグもある。大笑いしたが、ようするこういうアホな映画なのである。

基本的に笑いの中心になるのはデュード達三人組の言動で、特にウォルターのテキトーさだ。後先考えず自分の欲望だけで行動し、それが裏目に出ると(大体において常に裏目に出る)都合の良い理屈で無理やり正当化する。そしてデュードが困惑する。いってみればウォルターがボケ、デュードが突っ込みである。

ウォルターのいい加減さはもう筋金入りで、私も最初は「何だこいつは、ひどいな」となんだかイラっとしながら観ていたが、そのうちあまりのバカバカしさに笑えるようになった。自分たちが金の受け渡しに失敗したせいで人質の切り落とされた足の指が送られてきても、「まあいい。ボーリング行こうぜ」

じゃあブシェーミはどういうポジションなのかというと、ボケでも突っ込みでもなく、いわば「巻き込まれ」である。三人組の会話においては、ウォルターとデュードが議論してる横から余計な口を出してウォルターに怒鳴られたりするポジションだが、最後は巻き込まれて一番悲惨な目に遭う。要するに、巻き込まれて大して意味もなく死んでしまうのである。当事者でもないのに一番悲惨な目に遭うという、いつものブシェーミの役柄だ。

おまけに金がないのでちゃんと葬儀してもらえず、ウォルターとデュードが灰を海に撒こうとすると海風のせいで灰だらけになってしまう。二人は灰だらけのまま、死んだブシェーミを偲んでハグし合う。ブラックというかなんというか、こういうギャグをポーカーフェースでやってしまうのがこの映画のスタイルなのである。

しかし本作が単なるハリウッドの三流アホ映画と違うのは、このポーカーフェースを裏付ける緻密な計算、自覚的なアイロニー、そして冷静さである。製作者たちは決してただ内輪でふざけて楽しんでいるのではない。役者たちの芝居も隅々まで計算されていて、もともと芸達者な役者たちがリアリズムとコメディ演技の微妙な境界線で演技している。

ジェフ・ブリッジズ、ジョン・グッドマンがうまいのは言うまでもないが、脇役ながらすごく印象に残ったのはフィリップ・シーモア・ホフマンである。大富豪の秘書役で、いつものイメージと違ってやたらニコニコしていて愛想がいいのだが、その如才なさがあの風貌もあいまって微妙におかしい、というえもいわれぬコメディ演技を披露する。この人はやっぱりすごいですよ。

『ファーゴ』もおかしな映画だったが、これはそれ以上に、徹底的にふざけのめした映画である。それもコーエン兄弟なのでどつき漫才でもシチュエーション・コメディでもなく、オフビートかつブラックなスラップスティック・コメディである。ところどころシュールに片足突っ込んでる(デュードが見る夢のシーンなど)。

コーエン兄弟になじみがない人がいきなりこれを観ると、大ファンになるか大嫌いになって二度と観ないかのどちらかだと思うので、まずは『ファーゴ』あたりを観て、このテイストがいけると思うならトライしてみると良いと思います。

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