『二十四の瞳』 木下惠介監督   ☆☆☆☆

先日、日本映画の名作と言われる木下監督版『二十四の瞳』を初鑑賞した。「文部省推薦作品」的イメージがあってあまり期待しないで観たのだが、思いのほか面白かった。主演は高峰秀子。笠智衆も出て来るし、浪花千栄子もワンシーンのみ登場。ちょっとしたところで、ピリリと辛い山椒みたいにいい役者を使っている。

とにかく唱歌がひっきりなしに出て来る映画だ。ここまで唱歌をまとめて聴いたのは人生初だと思う。この唱歌の絨毯攻撃だけで泣けるという人も多いようだが、私はそれほどでもなかった。最初の方は唱歌ばっかり延々流れてうざいと思ったほどだ。が、後半になるとだんだん沁みて来る。そして最後のシーンで流れる「仰げば尊し」には、まるで胸を締めつけられるような気がした。この歌を聴いてここまで感動したのは初めてである。

大体のストーリーは皆さんすでにご存知だと思うが、瀬戸内海の小豆島の小さな分校に、若い女先生が赴任してくる。女先生は新しく入学した一年生の子供たちの担任になり、情熱をもって子供たちの教育に取り組む。貧困のため進学できない子供や、親の反対で好きな勉強ができない子供たちのために奮闘する。子供たちもそんな先生を心から慕うようになる。が、やがて日本中を覆いつくすことになる戦争と軍国主義の影が、彼らを呑み込もうとしていた…。

小さな島の分校で子供たちを受け持つことになる大石先生だが、洋服を着て自転車に乗って学校に通うことで島の人々の反感を買ってしまう。古き良き時代の牧歌的なストーリーだと思っていたので、いきなり共同体のプレッシャーが新任の先生を苦しめるこのエピソードは意外だった。しかし考えてみれば当然で、小さい島には小さい島なりの厳しい因習やしきたりがあるに違いない。古い時代の島の分校で働くにもストレスがあるのだ。

それにしても、颯爽と自転車に乗って海岸沿いの道を走る高峰秀子は初々しくて、とてもいい。

前半は子供たちと先生との色んなエピソードが連発され、後半は戦争が投げかける不吉な影が濃くなってくる。戦争や軍国主義によって引き起こされる悲劇が色々描かれるが、この映画を「反戦映画」と括ってしまうのは狭く捉え過ぎのような気がする。もちろん反戦のメッセージが込められているのは間違いないが、それだけじゃない。それ以外にも、貧困のせいで学校にいけない児童や、母親を亡くしたせいで学校をやめて奉公に出なければならない児童や、成績優秀だったのに病気で将来を閉ざされてしまう子供の例も出て来る。

大石先生が呟く「幸せになれる子なんて、ほんの少ししかいない」というセリフが、この映画の本質をよく表している。人生は厳しく、辛い。人は簡単に不幸になってしまう。それがこの映画の基本思想である。

そして、更にその下にこの映画の根本を支えるテーマがあるとしたら、それは歳月が流れるはやさ、それとともに過ぎ去っていく人の営みのはかなさだろう。無邪気だった子供たち、将来を夢見ていた子供たちはあっという間におとなになる。そしてある者は子供をつくり、ある者は戦死し、ある者はどこか遠く離れたところへ去っていってしまう。

若く溌剌としていた大石先生も、母になり、教職から退き、未亡人になり、顔に皺を刻んだ老婦人になる。振り返ってみると、若かったあの頃がまるで昨日のことのようだ。大河ドラマ仕立ての映画とは大体において観るものにそういう感慨を抱かせるものだが、この映画では子供たちが登場するせいか、ことのほかその感覚を強く味わえるような気がする。

そしてそれら人間の営みのはかなさに対し、それを包み込む瀬戸内海の自然の変わらない美しさ。永遠の海と空。この映画はモノクロだけれども、四季折々の自然や瀬戸内海の表情が本当に美しい。

そして更にもう一つ、私がこの映画の重要テーマとしてあげたいのは師というものの尊さ、師弟関係の尊さである。それはもちろん、大石先生と子供たちのことだ。最後のシーンで流れる「仰げば尊し」に心を揺さぶられない人はいないだろう。

しかしそれは別に、大石先生が子供たちに何か重要な知識を授けたとか、人生に役立つ技能を教えたとかいうことではない。女学校を出たての若い女先生に大したことはできない、そんなことは当たり前だ。そうではなく、大石先生が常に子供たちの幸せを願っているというそのことが、どれほど子供たちにとって救いになったかということである。

またまた内田樹氏の引用で恐縮だが、彼のエッセーでこの映画に触れた部分がある。内田氏が言うには、大石先生は子供たちのことを思って奔走するけれども、結局大したことはしていない。父兄に叱られて謝ったり、子供と一緒に泣いたりしているだけだ。しかし、そんな大石先生があれだけ子供たちから慕われる師となり、子供たちの心を光で照らすことができる。子供たちはおとなになっても大石先生を忘れず、彼女と会うために遠くからでもやってくる。彼らは死ぬまで、大石先生に対する感謝の気持ちを持ち続けるだろう。

誰かの師になる条件とは何か。それは人生経験が豊富だったり、頭脳明晰だったり、他人より能力が秀でていることではない。自分もまた師を持っていること、つまり感謝の気持ちとともに思い出せる恩人を持ち、その人から受けた恩恵を次の世代に渡そうと決心していること、ただそれだけだ。

この映画は私たちに教えてくれる。子供たちと一緒に泣くぐらいのことしかできない人生経験が浅い女先生でも、立派な師になれるのだ。この映画の中には、彼女の若さを叱責する校長先生も登場する。あの校長先生の方が、おそらく大石先生よりも世の中の仕組みをよく理解しているだろうし、知識も豊富だろう。しかし「子供たちには適当に言っておけばいいんです」と言う彼を、死ぬまで感謝の念とともに思い出し続ける生徒が果たして何人いるだろうか。

私にはあの校長先生よりも、若くて知見も少ない大石先生の方が、はるかに師として立派な資格を持っているように思える。成長した子供たちが大石先生に思いがけない贈り物をする、あの涙を禁じ得ないシーンこそが、何よりも雄弁にそのことを物語っている。

ところでこの映画ではまず一年生の子供たちが登場し、その後六年生になった子供たちが登場するが、六年生になった子供たちが一年生の時とそっくりで、しかも確かに成長していることに驚いた。どういう仕掛けかと思ったら、WIKIPEDIAによればよく似た兄弟姉妹を集めてキャストしたという。これには唸った。

このこだわりは確かに効果を上げている。六年生になった時顔が変わってしまったら興ざめだが、この映画では「え、さっきの子供たちが大きくなってる!」と思えるのである。これはうまい。

主演の高峰秀子は若い女先生から高齢のベテラン先生まで自然に演じていて、間違いなくこの映画の屋台骨となっている。いつもとまったく同じ笠智衆も、やっぱり良い。若い「モダンガール」の女先生に戸惑う定年前の老教師の役だが、苦手なオルガンを練習したり、老妻(浦辺粂子)にブツブツこぼす芝居は本当に味がある。愛嬌がある役者さんだと思う。

それからたったワンシーンの出演ながら忘れがたい印象を残す、浪花千栄子。貧しい家庭から奉公に出た少女をこき使うおかみさん役だが、遠くから訪ねてきた大石先生を少女にろくに会わせもせず、しかし外面だけはやたらよく、満面の笑顔でとことん慇懃無礼に振る舞う。ハエ叩きをパシパシ振り回しながら登場するのがとっても憎たらしくて、もう最高である。

それから意外な登場が大石先生の夫役、天本英世である。ほうイケメンだな、と思ったらなんと、後の死神博士だった。この人、若い頃は背が高くて彫りも深くてイケメンだったのである。びっくりした。

まあそんなこんなで、思った以上に見どころが多い映画だった。未見の人には、実に面白い映画ですよとおススメしておきたい。

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