『あなたの人生の物語』 テッド・チャン   ☆☆☆☆☆

『息吹』でその圧倒的スケールに驚嘆させられたテッド・チャン、すぐにその前作である短篇集『あなたの人生の物語』を入手した。この二冊で、現在刊行されているテッド・チャン作品のすべてということになる。それにしてもなんと寡作な作家なのだろう、そしてその寡作ぶりに比べてなんという評価の高さだろうか。なんせ彼は、「世界最高のSF作家」なのだ。

本書には8篇収録されている。そして案の定、どれもこれも甲乙つけがたい、素晴らしい作品ばかりだ。本書を読んで驚くのは、テッド・チャンはデビューした瞬間からすでにテッド・チャンだったということだ。つまり、最初から完成されていた。デビュー作は粗いけれどもだんだん完成されていった、ではないのである。一体どういう人間なのか。

気を取り直して、特に印象に残った短篇について順に触れていきたい。まずは冒頭の「バビロンの塔」。これはテッド・チャン作品のボルヘス的性格を如実に示す作品と言っていいと思う。バビロンの塔という題材がそもそもボルヘス的なのだがそれだけじゃなく、天まで届く塔をどんどん上っていくと何が起きるか、という、この世界の仕組みからくりについての驚くべきアイデア、そしてその逆説性という意味で、とてもボルヘス的である。メビウスの輪やクラインの壺を思わせる、一種超幾何学的なアイデアだ。

一方でボルヘスとの大きな違いは、はるかに具体的で生々しいディテールにある。ボルヘスのようにアイデアを凝縮された観念として呈示するのではなく、あくまでドラマとして、読者が体験できる一連のエピソードとして呈示する。それもエンタメ的なストーリーテリングとともに。これがテッド・チャンのアプローチである。だから超幾何学的アイデアをもとにしながら、本篇はとても読みやすいし、また物語としてすごくスリリングだ。

「ゼロで割る」もテッド・チャンの発想の特異性を如実に示す短篇で、要するにこれは数学が間違いであると証明される話である。つまり、数学は単なる形式の遊びであって何の真実もない、ということが数学者の手によって完全に証明される。そうすると世界はどうなるのか。もちろん世界が物理的に滅びたりはしないので、人間の世界観はどう変わるのかということだ。

テッド・チャンのSFはほとんどそうだと思うが、従来のSFのように物理的なイノベーションは題材にしていないかまたは重要ではなく、形而上学的なイノベーションが中心になる。数学が間違いだと証明される話、なんてSFがこれまでにあっただろうか。もちろん、これもボルヘスが書きそうなアイデアではある。

それから表題作、「あなたの人生の物語」。映画『メッセージ』の原作である。この作品のテーマは異星人と地球人の時間認識の違いで、地球人は因果論的な時間認識であるのに対し、異星人は目的論的な時間認識をする。

では、目的論的な時間認識とは何か。簡単な例として光の屈折が出て来る。光は水に差し込む時屈折するが、その屈折は「光源から目的地に到達するまでの時間が最短になる」経路になっているという。これを地球人は、屈折率と言う法則に従った結果そうなった、と考える。異星人は、目的地までの時間が最短になるように光が屈折の角度を選んだ、と考える。

光がそんなこと考えるだろうか、というのは地球人の発想で、異星人は森羅万象すべて目的意識を持っていると考えるのである。

これもものすごい形而上学的冒険だが、仮にそういう意識を持つ異星人がいたとして、彼らは人生をどう見るだろうか。それがこの短篇のテーマである。

ヒロインは異星人の言語を翻訳することで、この認識を学習する。テレパシーや脳手術などでなく、「翻訳」によってそれが起きるという発想がまた異常だが、とにかくそれが起き、ヒロインは地球人でありながら目的論的時間認識ができるようになる。すると人生は、時とともにだんだんに起きていくものではなく、最初から最後まであらかじめ決まっていて、全部前もって見通せるものとなる。

このアイデアはそこから更にテッド・チャンお得意のテーマ、果たして自由意志は存在するのか、につながっていくのだが、それだけじゃない。彼はそこに、ヒロインのやがて誕生してくる娘のドラマを結びつけてみせた。娘は将来、若くして死ぬのである。ヒロインにはそれがすでに分かっている。その時、人間は一体何を考え、どう行動するのか。

いやまったく、すごい発想、とんでもない発想だ。異常な小説である。これを読む読者は間違いなく、他の小説では得られない種類の感動を味わうだろう。それはリアリズム小説では絶対に得ることができない感動であり、SFのセンス・オブ・ワンダーと呼ばれるものである。

それから「七十二文字」は中世の魔術的世界観がそのまま「科学」となっている世界を描くもの。つまり呪文が実際に効力を発揮し、人間の身体の中には(もっと正確に言うと男の睾丸の中には)子孫すべての身体が極小のミニチュアになって入っているというとんでもない世界である。テッド・チャンはこのファンタジー的世界を、精密な科学的態度でもって描いてみせる。

この中でオートマトンが職人の仕事を奪うと非難されるのは現代社会におけるAIにそっくりだし、単為生殖をめぐる議論は遺伝子工学やクローン技術の議論にそっくりだ。つまり、人間のテクノロジーが神の領域を侵犯し、世界を変えていくという畏れが、この荒唐無稽な作中世界と現代社会とで完全に共通している。その意味で、本作品は単なるファンタジーを超えた切実さと問題提起力を備えている。

そしてラスト、この作品の中で私たちの世界のDNAと同じものが人間の手によって「発明」されるという結末には、異様な感動と戦慄を覚えずにはいられない。

「地獄とは神の不在なり」もテッド・チャンの凄みが遺憾なく発揮された短篇である。というか、もうどれもこれも凄みのある短篇ばかりなのだが、ここは天使が実在し、その降臨とともにまるで災害のように奇跡が行われる世界である。奇跡が起きる時は、その場に居合わせた人々の上に祝福と災厄が同時にもたらされる。病気や障害が治る者もいれば、死んだり失明したりする人間もいる。そして人々はそのトラウマを癒すために、セラピーを受けたり集合セッションに参加したりする。このような世界において、信仰とは果たして何なのか。

人知を超えた存在としての「天使」や「奇跡」は、ある意味恐ろしい存在である。「奇跡」に遭遇した人間の人生は簡単に捻じ曲げられてしまう。この作品でも例によって人間ドラマが展開されるが、「奇跡」によって妻をなくした男、「奇跡」によって両脚を失いそのためにカリスマ運動家となった後、今度は「奇跡」で脚を取り戻す女などが登場し、「信仰」にかかわる苦悩と葛藤を繰り広げていく。脚を取り戻した女性はそれによって自分の運動家としてのアイデンティティを失い、自分の進むべき道を見失ってしまう。ここでもやはり、テッド・チャンの思考実験、形而上学的冒険は壮絶というべき様相を呈していく。

「顔の美醜について ━ドキュメンタリ-━」は、うって変わってSNSを思わせる現代的かつポップな形式と文体で記述される。これは人の顔の美醜を感じなくなる処理、「カリー」が可能となった世界のストーリーだ。「カリー」は付けたり外したりできるので、人々は一度やって気にいらなかったらまた止めたりもできる。

この「カリー」をすべきかすべきでないか、「カリー」は良いことか悪いことか、について色んな人の体験談やコメントが、ツイッターみたいな独白形式で並べられている。これはまさに私たちの社会で、たとえば移民受け入れについて、教育について、格差社会について、能力主義について、政府の新しい法案について、等々の議論が繰り広げられるのと同じだ。非常に生々しい。

もちろん、「カリー」賛成派はルッキズムへの反感からこれを行う。逆に反対派の意見は人間の微妙な感性を損なう、差別主義者に利用されてしまう、など色々だ。あらゆることに関してあらゆる視点から意見が乱立する、混沌とした現代社会を照射する作品と言っていいと思う。

前述の通り、どの短篇も完成度、洗練度、アイデアの独創性において甲乙つけがたい。テッド・チャンという作家の凄みを思い知らされる作品ばかりだ。たとえば表題作「あなたの人生の物語」は、映画では中国の異星人に対する攻撃やそれを止めるヒロインの活躍などアクション映画的要素が付け加えられていたが、原作にはそんなものは一切ない。ただひたすら、異星人の目的論的認識を理論的に、精緻に掘り下げていく。

もちろんこれをこのまま映像化するのは困難という事情があるのは分かるが、はっきり言ってこの原作は月並みなアクションでお茶を濁した映画とはレベルが違う。思考実験そのもの、高度な知的遊戯そのものである。作者の頭の中は一体どうなっているのか覗いてみたくなる。

そしてもう一つ、本作は随分前の短篇集だが、着想の鋭さ、掘り下げの深さ、作り込みの精緻さで最新短篇集『息吹』とまったく同レベルだ。テッド・チャンが最初から完成された作家だったとは前に書いた通りで、だから『息吹』で感嘆した人が読んでも失望することはまったくないと断言できる。

ところで最近知ったのだが、この「世界最高のSF作家」テッド・チャンはなんと、専業作家ではないそうだ。本職はテクニカル・ライターだという。アイデアが湧いた時だけSFを書くらしいが、そんなこと言われたら専業作家はもう形無しである。立場がない。世界最高のSF作家は、副業作家だった。

それにしても、今となってはテッド・チャンが本業で書いたマニュアルや技術文書はそれだけで付加価値が付いたりしないのだろうか。

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