『ナイブス・アウト/名探偵と刃の館の秘密』 ライアン・ジョンソン監督   ☆☆☆☆★

本格パズラー映画に傑作なし、と誰かがどこかに書いていた気がする(気のせいかも知れない)が、確かにミステリ映画は腐るほどあるのに本格パズラー、つまりフーダニットものの傑作はと聞かれるとちょっと思いつかない。日本では横溝正史の金田一シリーズが有名だが、あれは怪奇サスペンス色が強いので一応除外しておく。

つまりここでいう本格パズラーとは、事件が起き、名探偵が調査に乗り出して関係者を尋問し手がかりを発見し、最後に皆を集めて「あなたが犯人です」と名指しする定番スタイルのことである。小説ではクイーンやクリスティーなど古典や傑作が目白押しなのに、映画化の成功例をあんまり聞かない。有名なのは大体『そして誰もいなくなった』や『ダイヤルMを回せ』みたいな、変格ものや倒叙ものだ。

が、考えてみるとこれも道理で、本格パズラーとは要するに推理と謎解きが主体なので、基本的に文章でもっともよく表現できるジャンルだ。つまり、言葉で説明をしなければならない。本格パズラーの華であるところの謎解き部分はすべてこれ言葉による説明であって、映画でこれをやるとどうしても長々とセリフが続くことになってしまう。

おまけに本格パズラーでは目くらましのために登場人物を多く出し、それぞれ怪しい事情を付け加える必要があり、これらも全部説明しなければならない。映画の良さであるビジュアルやアクションがあんまり活かせない。せいぜい、説明的なセリフを分かりやすくするために再現ビデオを見せる程度である。

そもそも本格パズラーの面白さは大体において最後の謎解きパートに集中していて、途中名探偵が捜査する部分は、(まだ犯人も真相も明かせないのだから)どうしても平坦になってしまう。だから映画化には本格パズラーより、犯人を最初から登場させることができる倒叙ものの方がはるかに向いていると思う。そっちの方がサスペンスフルな作劇が可能だからだ。

まあそんなわけで、アガサ・クリスティーの本格ミステリは大好きな私だけれども、「アガサ・クリスティーへのオマージュ」だという本作の予告篇を見た時も、取り立てて興味は惹かれることはなかった。へえ、こんな映画にダニエル・クレイグやキャプテン・アメリカが出るんだな、と思った程度である。

ところが週末に何か映画を観たいと思った時に観たいものがなく、iTunesの新作コーナーで紹介されていたこれを「どーかなー」と思いながら観たら、あら不思議。メッチャ面白い。正直、これまで観た「本格パズラーもの」映画の中ではナンバーワンと言っても過言ではない。

では、本作では本格パズラー映画の宿痾である「捜査過程の退屈さ」「謎解き部分の過剰なセリフ依存」をどう処理しているのか。それを見てみましょう。

まず、最初から明らかにテンポがいい。映画開始時点でもう殺人が起きている。事件の説明がまったくないうちに警察の尋問が始るので面食ってしまったが、これが実にクレバーな戦略なのだ。つまり、この尋問の中で、10人ぐらいいる登場人物の紹介、事件当夜に起きたこと、それぞれの人物が抱える事情、を同時並行的に説明してしまうのである。これによって、本格パズラーものの序盤につきもののかったるさがかなりカットされる。

尋問も、一人ずつ時系列に、ではない。普通のミステリでは、複数の関係者への尋問には「あなたは誰か」「被害者とどんな関係か」「職業は何ですか」「事件当夜のことを話して下さい」「何か普通でないことに気づきませんでしたか」などの色んな質問が含まれており、しかもそれが関係者ごとにリピートされる。だから通常、観客があとで「事件当夜の出来事」「関係者の相関図」「動機のリスト」などのトピックごとに情報を整理し、脳内で再構成する必要があるのだが、この映画では最初から最適の形にエディットして呈示される。

つまり、関係者の証言は細切れにされ、シャッフルされ、トピックごとに再配置して観客に見せられる。だからAという人物が「Bがこんなことをしているのを見た」といった次の瞬間にBが「私はこれこれこういう理由であれをしたのです」と答えているのを見る、という具合である(もちろん再現ビデオ付き)。大事なポイントは複数の人間の証言でリピートされるので、いやでも頭に刷り込まれる。

この編集が実にうまいので、観客は一生懸命会話の内容についていこうと努力しなくても、それぞれ関係者がどういう事情を抱えていて、事件の夜何がどういう順番で起きたかがすんなりと頭に入り、しかもそれが面白い。ついでに言うと、この尋問の中で名探偵ブノワ・ブラン(ダニエル・クレイグ)の紹介までやってしまう。この編集の巧みさにはまったく感心した。

こうして冒頭の短時間で本格パズラーの冗長な尋問シーンをすべて終わらせた後、この映画は驚くべき技を繰り出してくる。なんと、ある関係者の回想により、事件の夜何が起きたか、その真相の一部始終を観客に見せてしまうのである。私はここでまたびっくりした。これによって突然物語は倒叙推理形式にシフトする。

つまり、真相を知っている人物が名探偵ブノワ・ブランと会話したり、自分が遺した痕跡を発見されて動揺する、といった倒叙推理のスリルとサスペンスを観客は味わうことになる。更にこの人物は正体不明の人物に脅迫され、警察の追跡をカーチェイスで振り切って脅迫者に会いに行くなど、スリラー風プロットが展開する。これによって、フーダニットが持つ物語途中の平坦さは完璧に回避される。

が、このままで終わるはずはない、と観客は思う。きっとどんでん返しがあるはずだ。今自分が見ているこの「真相」は、きっと最終的な真相ではないはずだ。とはいえ、ここまではっきり事件当夜の出来事を見せておいて、一体どんなどんでん返しが可能だろうか。

ラストに向けて、その期待感が膨らんでいく。そして名探偵ブランも、本格パズラーもののお約束である思わせぶりな言動が激しくなってくる。まだ観客が知らないことがある、という仄めかしである。ここで再び、この物語は倒叙ものから本格パズラーへと回帰する。そしてついに、誰もが待ちわびていた名探偵の謎解きシーンへと突入する。

当然、ここでどれだけ観客の期待にこたえられるかが問題である。この映画の場合、ハードルは上がりまくっている。なぜなら、事件の夜の真相はすでに大部分開示されているからだ。その開示は証言でなく回想で行われているので、虚偽ということはあり得ない。あり得るとすれば、それ以外の部分に新事実を付け加えてすでに観客の知っている事実の意味を変えてしまうしかないが、これは相当難易度が高い。果たしてその期待に応えられるだろうか。

ところが、この映画はそのハードルを見事クリアしてくるのである。名探偵ブランの謎解きシーンは間違いなく良質な本格パズラーの興奮に満ち、しかもそこで明かされる真相は、これまで「真相」を知っていた観客をも驚かせるに足るものだ。

おまけにこの真相はかなり凝っているが、この映画ではその入り組んだ内容を観客にスムーズに理解させることに成功している。巧妙だ。もちろん、ばらまかれていた伏線もすべて回収される。この事件をドーナツにたとえて事件の説明を始めるブノワ・ブランも堂々たるもの。まるでエルキュール・ポアロを思わせる頼もしさで、名探偵の風格十分である。

そんなわけで、序盤のエディットされた尋問シーンに始まり、本格パズラーから倒叙推理へとシフトし、スリラー風の波乱万丈の物語を堪能させ、最後には再び本格パズラーへと回帰して見事な驚きと満足感を与えて幕を下ろすという、素晴らしく美しいミステリー映画の形を本作は見せてくれる。

ブランの謎解きが終わった後、「いつから私を疑ってたんですか?」「最初に会った時からですよ」という会話があるのも嬉しい。本格ファンならお分かりの通り、名探偵が登場するミステリにこのセリフは欠かせない。刑事コロンボでもよくこれが出てきたものが、これが出てきた瞬間、私たちはミステリの快感に打ち震えるのである。

それから感心したのが、家政婦のマルタは嘘をつくと必ず吐いてしまう、という設定である。そんなことあるわけないのだが、それは茶目っ気というもので、しかもこの設定がある為に、とりあえずなんでも隠してしまうということができなくなる。制約が生まれ、話が面白くなるのだ。謎解き部分最後の電話のシークエンスでもこの設定が活かされていた。

面白いシーンが連続する本作だが、その中でも特筆すべき面白さだったのが遺言状発表とそれに続くシークエンスである。あっと驚く内容の遺言状なのだが、それが巻き起こす阿鼻叫喚のドタバタ劇ははじけまくっていて最高だった。全般にコミカルな味がある本作だが、あの部分は特に秀逸なブラック・コメディになっていたと思う。

その他にもクリスティーへのオマージュというだけあって、大富豪の屋敷、親族内のもめごと、遺言状発表、名探偵、脅迫状と、黄金時代ミステリのアイコンが満載だ。本格パズラー好きにはたまらない。しかしその一方で、移民問題やソーシャルメディアなど現代的なトピックもちゃんと盛り込まれている。ジョンソン監督のしたたかさは相当なものだ。

盛りだくさんで、茶目っ気とオマージュに満ち、しかも脚本と構成は見事にクレバーという、娯楽映画のお手本のようなフィルムである。誰が観ても楽しめること間違いなしだが、特に本格ミステリ・ファンの皆さんは必ず見るべき映画と言っておきましょう。

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