『人間の証明』 佐藤純彌監督   ☆☆☆★

ご存知、70年代末に大ヒットして日本中を席巻した角川映画『人間の証明』。超有名作だが、私はこのたびブルーレイで初めて鑑賞いたしました。なるほど、こんな映画だったんだなあ。

いい意味でも悪い意味でも70年代らしい、昭和の匂いがプンプンする映画である。鳴り物入りで大公開された商業映画らしく、まずは出演する俳優陣が異常なまでに豪華。ざっと名前を上げてみると松田優作、ハナ肇、鶴田浩二、三船敏郎、岡田茉莉子、岩城滉一、范文雀、長門裕之、伴淳三郎、坂口良子、ジョー山中、竹下景子、大滝秀治、夏八木勲、北林谷栄、室田日出男、峰岸徹、シェリー、まだまだ出て来る。どうでもいいけど西川峰子も出演している。あの大滝秀治や竹下景子をチョイ役で使うという、信じられない贅沢さだ。

おまけに、ニューヨーク篇ではジョージ・ケネディにロバート・アール・ジョーンズまで出て来る。『エアポート』シリーズでおなじみのあのジョージ・ケネディ、ダースベイダーの声をやったあのロバート・アール・ジョーンズである。これには驚いた。

原作は森村誠一の社会派ミステリだが、私は読んだことがない。映画はニューヨークから始まる。ハーレムを抜け出し、「キスミーに行く」と言って旅立った黒人の青年(ジョー山中)が、東京で行われたファッションショーの会場で死体となって発見される。古い麦わら帽子と詩集を持ち、「ストウハ」という謎めいた言葉を残して。ファッションショーは有名なデザイナー・八杉恭子(岡田茉莉子)のものだったが、彼女は刑事の質問に対して、被害者に心当たりはないと答える。

同じ夜、スポーツカーをぶっ飛ばす若いカップルが一人の女性をひき殺してしまう。運転していた青年は八杉恭子のドラ息子(岩城滉一)だったが、彼は死体を運んで捨て、隠蔽工作を開始する。こうして同じ夜に起きた殺人と行方不明事件が並行して進むが、いずれも時間とともにデザイナー・八杉恭子との繋がりが浮上する。

彼女と殺された黒人青年の間に何か関係があるはずだと考えた捜査本部の棟居刑事(松田優作)は、被害者の素性を調べるため単身ニューヨークに飛ぶ。そこでニューヨーク市警の刑事(ジョージ・ケネディ)と組んで捜査するが、棟居刑事自身、幼い頃に米兵に父親を殺された無残な光景を忘れられずにいた…。

全体の印象としては、野村芳太郎監督の『砂の器』によく似ている。製作陣もあの名作をかなり意識したのではないだろうか。隠れた血縁関係、幼少時の記憶、子が親を思う気持ち、親が子を思う気持ちなどテーマの多くが共通していて、哀感たっぷりの悲劇的なラストもそう。「キスミー」「ストウハ」など被害者が遺した謎めいた言葉がキーになるのも、『砂の器』の「カメダ」を思わせる。ついでに言うと、捜査の途中で田舎のおばあちゃんが出て来て悲しい昔語りをするのも同じだ。

しかし色々と盛り込み過ぎたせいで、『砂の器』より散漫になってしまったことは否めない。岩城滉一演じる八杉恭子のドラ息子はあまりに行動が軽薄で、その死は完全に自業自得であり、ラストで岡田茉莉子が切々と訴える息子への思いにうまいこと繋がっていかない。あの息子を逃がそうとしたのはバカ親のエゴイズムと言われてもしかたないだろう。

ひき逃げで死んだ女性の夫(長門裕之)や不倫相手(夏八木勲)も登場するが、完全に添え物扱いで、何のために出てきたのか分からない。原作を読んでいない私が観ても、すごくストーリーを端折ってる感じがする。つまりおざなりな描写や登場人物が多くて、全体に作り込みが雑ということだ。

ストーリーにも不自然なところが多く、たとえば同じ夜に近い場所で起きた二つの別々の事件がいずれも八杉家に関係しているとか、棟居刑事がNYで組んだ刑事が子供の頃見た米兵だったとか、いくらなんでも犯人があんな動機でジョー山中を殺すだろうかとか、突っ込みどころは満載だ。原作もこうなのかな。

ちなみに親子の情愛という『砂の器』的テーマに加えて、黒人差別、日本人差別への怨念もまた重要なテーマとなっている。松田優作の「ハーレムの黒人なんて人間扱いされない」という序盤のセリフや、父親が米兵に暴行される幼少期のフラッシュバック・シーンからもそれは明らかだが、復員兵姿の男が複数の米兵からボコボコに殴られ、小便までかけられる映像は何度も何度もリプレイされて、ちょっと辟易してしまう。もちろん、松田優作がNYの刑事の腕に米兵と同じ刺青を発見し、最後に彼に「銃口を向ける」のも、被差別者の怨念が表出するエピソードに他ならない。

なんだかんだあって最後は哀感溢れるクライマックスへと収束していくわけだが、クライマックス・シーンの舞台となる霧積の風景はとても美しい。が、そこに刑事と犯人が対峙して告白がなされるこの演出は、完全に「火曜サスペンス劇場」である。大仰で、紋切り型だ。『砂の器』のあの見事に重層的なクライマックスと比べると、だいぶ見劣りしてしまう。

と色々ケチばかりつけてしまったが、やっぱり今の観客にとってのこの映画の見どころは松田優作のシリアス演技、これしかないだろう。まるで精悍という言葉をそのまま肉体化したような存在感で、あの強烈な目力とあいまって観客に忘れがたい印象を残す。なんせオールスターキャストなので出る場面はそれほど多くなく、かつ彼にしては比較的静の演技であり、『探偵物語』で見せたようなコミカルな持ち味も抑えられていて、それが逆に彼の存在感を際立たせる結果になっている。

しかも、ずっとこのまま静の演技かなと思っていると、ニューヨークのバーで不良黒人たち相手に暴れるという意外なアクションシーンもある。というわけで、松田優作ファンにとっては十分観る価値がある映画だと言っておきたい。

まあ、他にも色んな俳優が出ていてしかもみんなまだ若いので、「ああこんな人出てる、なつかしい! 若い!」というミーハーな楽しみ方もできる。岩城滉一は年取ってからはイケメン俳優になったけども、若い頃はこんなどうしようもないチンピラ役ばっかりだったなあ、というようなことを思い出すのも一興である。

『大空港』でおなじみのジョージ・ケネディはさすがの存在感で、ニューヨーク・シーンの格を上げてくれているが、最後彼まで死んでしまうのはどうなんだろう。松田優作の父親を殺してしまった因果応報なのだろうか。とはいえ、誰も彼もみんな死んでしまうのはちょっとどうかと思う。

ついでに言うと、あのボロボロのじいさんがロバート・アール・ジョーンズだとは実は最後まで気づかなかった。いつもと雰囲気が違い過ぎる。エンドクレジットを見て驚いたのだが、せっかくなのでもうちょっと見せ場を作ってあげても良かったのではないか。

昭和の雑駁感、ゆるさ、細部のいい加減さもてんこ盛りで、豪華俳優陣のオーラ頼みの作劇ながら、思い入れと熱気でなんとなく押し切られる映画である。古き良き時代という感じがしないでもない。そういえばあの頃の角川映画ってこんなだったなあ、とひとときなつかしさに浸った次第です。

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