『ミステリー・トレイン』 ジム・ジャームッシュ監督   ☆☆☆☆

最近私は永瀬正敏にハマっていて、この『ミステリー・トレイン』も永瀬が出演しているから観た映画の一つである。前に観た『息子』のDVD特典で、山田洋次監督が『ミステリー・トレイン』を観て永瀬正敏を知り、へえ日本にこんな俳優がいるんだと思った、と語っていたので、そんなら私も観てみようと思って英語版ブルーレイを購入した。

観終わるまで知らなかったけれども、これはジャームッシュ監督の四作目で『ストレンジャー・ザン・パラダイス』『ダウン・バイ・ロー』の次である。かなり初期だ。そしてずっとモノクロで撮ってきたジャームッシュ監督の、初のカラー作品でもある。

本作の舞台はエルヴィス・プレスリーの聖地メンフィスで、ここを舞台にそれぞれ独立したストーリーを持つ三つのエピソードで構成されている。つまり、オムニバス形式だ。登場人物もそれぞれ違うけれども、三つのエピソードの時間軸は同じ、かつ場所も同じホテルである。だから通常のオムニバスより縛りが強く、三つのエピソードの結びつきは強い。結びつきと言ってもあくまでストーリーとは無関係な部分で、たとえば同じラジオの声と曲が流れてくるとか、同じ時刻に同じ物音を聞くとか、そういった繋がりである。

それからもう一つ、三つのエピソードはみんなアメリカ人ではなく他国の人間、つまりストレンジャーが主人公という点で共通している。一話目は日本人、二話目はイタリア人、三話目はイギリス人だ。だからこの映画は、ロックンロールの聖地つまりアメリカのソウルの中心地にやってきた三種類のストレンジャーたちが見た奇妙な町「メンフィス」を描くオムニバス、と言っていいかも知れない。

さて、一つ目のエピソードはメンフィスを訪れた日本人のティーンエイジャー・カップルの話。これが永瀬正敏と工藤夕貴登場篇だ。まだ二人とも若い。ロックンロール好きの二人はメンフィスに来て有名な音楽スタジオを見学し、ホテルに泊まる。ろくに英語が喋れないので、ホテルのフロントやその他の人々とトンチンカンな会話を交わし、お互い同士でも「メンフィスは横浜に似ている」「似ていない」とか「どうしていつも不機嫌な顔なの」「おれはハッピーだ」とかどうでもいい会話を交わし、夜中になると愛を交わし、翌朝チェックアウトしてニューオーリンズへと向かう。

二つ目のエピソードは飛行機に乗れなくなったローマの女がメンフィスの通りを歩き、雑誌を売りつけられ、櫛を売りつけられる。ホテルに入ると男と別れた見知らぬ女ディーディーとルームシェアすることになり、ディーディーの身の上話を聞き、お喋りにつきあい、夜中にエルヴィスの幽霊を目撃する。ディーディーを起こしてその話をするが信じてもらえない。そして翌朝、二人でチェックアウトする。

三つ目のエピソードはディーディーにフラれたイギリス人の元彼が酒場で酔っ払い、やけくそになって銃を見せびらかしているので仲間二人が心配して迎えに来る。車に乗せて酒屋に行くと、勢いで店主を撃ってしまう。車でグルグル走った後ホテルに逃げ込み、ボロい部屋に隠れてグダグダの会話をする。翌朝銃が暴発し、今度はブシェミが脚に負傷する。わあわあ騒ぎながら三人はまた車に乗って、どこへともなく逃げ出す。

まあ大体こんな話で、このあらすじからも分かる通り、取り立てて起承転結はない。ディテールは完全に小ネタの積み重ねであり、会話はどれもグダグダで脈絡も発展もない。ストーリーを追うというような作劇ではないので、たとえば三人組が酒瓶を回し飲みしながら車を運転しているシーンが延々続いたりとか、全体に間延びした空気感が漂っている。その点はやっぱり『ストレンジャー・ザン・パラダイス』や『ダウン・バイ・ロー』と同じである。

そんな映画の何が面白いのか、と思わせるのも『ストレンジャー・ザン・パラダイス』と同じだが、本作の愉しみ方は『ストレンジャー・ザン・パラダイス』と同じくグダグダのディテールや会話をゆるく楽しむことに加え、これら三つのヘンテコなエピソードが同時並行して進行中、という世界観の面白さがあると思う。

まずディテールの面白さという点では、日本人カップルの話が結構ネタが豊富だ。たとえば永瀬の派手なライターの付け方、二人で微妙に違うロックンロールへのこだわり、ベルボーイにチップ代わりにプラムをあげ、そのプラムを喰えるかどうか心配したあげくフロントが喰ってしまうエピソード、工藤夕貴のスクラップブック(奈良の大仏とエルヴィスの写真が並んでいる)、工藤が永瀬の顔にリップスティックを塗りたくる、チェックアウト前にバスタオルを盗む(アメリカのホテルでは料金に含まれている、と永瀬が主張する)、など色々ある。

ジャームッシュ監督も東洋からやってきたティーンエイジャーたちということで、面白がって色々詰め込んだんじゃないだろうか。ストレンジャーの目から見たメンフィス、という意味では、これが一番分かりやすい。

二つ目のエピソードはなんといってもエルヴィスの幽霊が登場するシーンが強烈だが、あれもその後何の展開もないのがびっくりする。まるでジョークで、おそらく本当にジョークなのかも知れない。イタリア女が、アメリカ人たちに色々といらないものを売りつけられてしまうくだりもおかしい。

三つ目はもう、行き当たりばったりのムチャクチャな三人組の行動を追っていくというだけで、一番支離滅裂である。三人組がホテルの部屋で交わす会話も一番バカバカしく、テレビの古い特撮番組「Lost in Space(禁じられた惑星)」のことで言い争いになったりする。

それにしても、ムチャな行動ばかりするイギリス人(ジョー・ストラマー)ともう一人に挟まれて、なんとなく貧乏くじをひいてしまうスティーヴ・ブシェミが例によっていい味を出している。彼は第二話に出て来るおしゃべり女ディーディーの兄貴なのだが、義弟だと思っていたイギリス人がディーディーと結婚していなかったと知って驚く、なんてギャグもあってかなり笑った。ブシェミのリアクションがいい。

そういう小ネタの積み重ねに加えて、この三つが同時進行しているとあちこちで暗示されることによって、益々メンフィスの一夜の奇妙さが強調されることになる。三つのエピソードの細かいところに仕掛けられた繋がり、たとえば同じラジオのナレーションと曲が流れてくる、窓から通り過ぎる列車が見える、日本人カップルが愛し合う音が隣の部屋から聞こえる、銃の暴発音が全員の部屋で聞こえる、などがそうだ。

そして面白いのは、それらすべての事情を知っているのは観客だけ、という点。三人組以外に銃声が何なのか知っているのは観客だけだし、そもそもディーディーと元カレが同じホテルに泊まっているのも観客しか知らない。だから観客はイギリス人が「ディーディーは今どこにいるんだろう」などと言うのを聞いてニヤニヤすることができる。

まあ、そういう細かい仕掛けは色々あるものの、つきつめればこの映画の面白さは「出会いのもの」の発見にあると思う。三つの並列されたエピソードは、完全に「出会いのもの」である。本作の基調トーンはコミカルだが、シチュエーション・コメディのように計算されたものではまったくない。だからこそストーリーに展開がないのである。印象的な出来事、たとえばエルヴィスの幽霊も、発砲事件も、ブシェミの負傷も、それが何か次の出来事につながっていくということがない。

エルヴィスの幽霊がなぜイタリア女の部屋に出てきたのかまったく分からないし、酒屋での発砲事件がニュースになって警察が捜査に乗り出しても、三人組は逮捕されない。彼らがどこへ逃げるのか、あの後どうなるのかも全然分からない。この映画においてそれはどうでもいいことだからだ。つまり、ジャームッシュの関心は因果関係や結末にはない。今この瞬間に何が起きているか、それだけなのだ。

因果関係がなくてもストーリーに筋道がなくても、面白い映画はできる、ということを示した点でやっぱりジャームッシュは偉大だった。

ところで、真っ赤なスーツを着たホテルのフロントを演じているのは『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の中のラジオで印象的な歌声を聴かせていた、あのスクリーミン・ジェイ・ホーキンスである。このフロントとベルボーイの二人だけがすべてのエピソードに登場し、バラバラのエピソードを束ねる役を担っている。この二人がまたいい味を出しているのだが、残念ながら今回は、スクリーミン・ジェイ・ホーキンスの歌声を聴くことはできない。

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