『ナポリ湾』 メルヴィル・シェイヴルソン監督   ☆☆☆★

昔買った手持ちのDVDで再見。公開は1960年、主演はクラーク・ゲーブルとソフィア・ローレン。まあ他愛もないロマンティック・コメディなんだけれども、私は結構好きだ。あらすじは以下の通り。

フィラデルフィアの弁護士マイケル(クラーク・ゲーブル)は、死んだ兄の財産整理のためナポリ湾のカプリ島を訪れ、そこで貧しいながらも明るく暮らす兄の遺児ナンドと、その叔母ルチア(ソフィア・ローレン)に会う。マイケルはナンドが学校にも行っていないことを知り、ナポリの学校に行かせようとするが、ナンドと離れたくないルチアと裁判沙汰になってしまう。が、調子のいい弁護士(ヴィットリオ・デ・シーカ)がけしかけたせいで二人はお互いに相手が自分のことを好きだと思い込み、デートを重ねるようになる。

ところが結婚の話題が出たせいで喧嘩した二人は、再び裁判で対立。結局ルチアが勝つが、「裁判には君が勝ったが、ナンドは負けた」というマイケルの言葉に動揺したルチアは、ナンドがマイケルとともにアメリカへ行くように仕向ける。一度はルチアのもとを去り、マイケルと一緒にアメリカに行こうとしたナンドだったが、すべての事情を知ったマイケルは…。

この映画にはいくつか特筆すべき魅力があるが、まずはナポリとカプリ島の風物詩を上げたい。陽光と人情味に溢れ、ひなびた風情を漂わす60年前のナポリ、そしてカプリ島は、ほれぼれするほどに美しい。名所旧跡観光映画としてもちゃんとツボを押さえていて、あの有名な「青の洞窟」もちゃんと登場する。その他にもナポリ駅や、港や、海を見下ろすテラスや、夜の歓楽街や、高級ホテルや、石畳の街路など、絵になるシーンがゾクゾク出て来る。イタリア好き、南欧好きにはたまらない。

とはいえ本作最大の魅力は、なんといっても若きソフィア・ローレンの瑞々しい美貌であり、はちきれんばかりの肉体美であることに誰も異論はないだろう。ゴージャスで溌剌としていて、セクシーで、しかも可愛らしさもあり、本当に魅力的だ。製作陣も当然そのことは重々承知で、彼女がナイトクラブの舞台で踊るダンスシーンはご丁寧に二回もある。

それから色んな衣装をとっかえひっかえ着用してくれて、まさに着せ替え人形状態。仮装行列の女王姿から、ナイトクラブでのヘンなセーラー服姿、質素な島娘姿や上品なドレス姿まで、彼女のコスプレ大会としてもたっぷり愉しめる。眼福である。

それに対し、潔癖症で短気な弁護士を演じるクラーク・ゲーブルもまた良い。この時59歳のゲーブルは、確かにうら若いローレンの相手役にしては貫禄あり過ぎかも知れないが、さすがは往年の色男俳優、とてもそんな歳とは思えない色気がある。大体この映画の中で、彼はフィラデルフィアに婚約者を置いてきていて結婚間近という設定なのだ。

それに、マイケルが年季の入ったプレイボーイ然としたキャラではなく、潔癖症でイタリア人のいい加減さに我慢できず、おなかを壊すからといって水を飲まなかったり一刻も早くアメリカへ帰りたがったりする、神経質なキャラなのも面白い。

彼がルチアと口喧嘩する時にそれぞれのアパートの窓から顔を出して、口々にマイケルを罵倒する近所のイタリア人たちもおかしい。「お前は何が欲しいんだ? 石油だろ?」「私の娘がアメリカへ行って一体どうなったと思う? 妊娠したよ!」言いたい放題である。

25歳のソフィア・ローレンと59歳のクラーク・ゲーブルの年齢のバランスを気にする人もいるようだが、私はあまり気にならなかった。確かに歳の差カップルだが、欧米ではこんなカップルも珍しくないし、溌剌とした若さと大人の渋さのコントラストがあって、むしろ若者同士のカップルより映画に奥行きが出たような気がする。

ストーリー展開も、この二人がまず対立し、融和し、また対立し、最後にハッピーエンドという関係性の変化が観客を飽きさせない。まあロマコメのお約束ではあるが、観客は愉しく物語を追うことができる。

それともう一つ、忘れてはいけないのがルチアの甥ナンドの存在である。この映画はロマコメだけれども、ルチアとナンドの疑似母子関係を描く人情ものでもある。二人はカプリ島の自然の中で貧しいながらも仲良く、生き生きと暮らしている。そこにアメリカの大都会からやってきたエリート弁護士のマイケルが、ナンドの将来を考えるなら学校にやらなくちゃだめだ、と言い出し、葛藤をもたらす。

これは古くからある疑似親子もののパターンで、たとえば山崎貴監督の『ALWAYS 三丁目の夕日』でも吉岡秀隆演じる茶川とそこへ転がり込んだ淳之介のエピソードで、典型的な使われ方をしていた。疑似親子がお互いを思いやるがゆえにいったん引き離され、最後に再会して涙なみだとなるのがお約束だ。

本作でももちろん先は読めるのだが、ロマコメと組み合わさることで面白くなっている。ルチアとナンドの仲を引き裂こうとするのが単なる憎まれ役でなくマイケルであるところも良く、彼がナンドのことを心配する気持ちももっともだし、ルチアがナンドと暮らしたい気持ちももっともだという、なかなか難しい綱引きとなる。終盤マイケルがナポリ駅でナンドと会話する場面は、マイケルが成熟したおとなの男性であるがゆえの渋みと説得力があって、そういう意味でもゲーブルの起用は正解だったと思う。

先に書いた通り、他愛もないといえば他愛もない映画だが、たまにこういう映画を観るのは本当に愉しいし、心からホッとする。60年代のナポリに、カプリ島に、美しい海にナイトクラブ、そして若きソフィア・ローレンといぶし銀のクラーク・ゲーブル。現代のおとぎ話にこれ以上何が必要だろう。日常の憂さを忘れるには最適だと思いませんか?

ちなみに、二人をくっつけようとけしかけるいい加減な弁護士ヴィターレを演じているのは、イタリアの映画監督ヴィットリオ・デ・シーカである。あの『ひまわり』の監督だ。チョイ役かと思ったら主演二人とナンドに次ぐ重要な役で、出番もセリフも多いので驚いた。ちゃんと俳優してる。

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