『国語教師』 ユーディト・W・タシュラー   ☆☆☆☆☆

ドイツ推理作家協会賞受賞、「このミステリーがすごい!2020年版」海外編第10位、「ミステリが読みたい! 2020年版」海外篇第4位&新人賞、という売り文句につられて買ったので完全にミステリだと思って読み始めたが、実のところこれはミステリの手法を縦横に駆使した文学作品だった。本書から得られる感動の質は明らかに文芸作品のそれだ。

と同時に、テーマを表現する手法の斬新さに感動できるという現代文学の特徴も備えている。私が本書を読んで思い出したのはミラン・クンデラの諸作品や、アントワーヌ・ローランの『ミッテランの帽子』だった。

あらすじは大体次の通りだ。かつて10年以上一緒に暮らし、別れて歳月をへた男女がふとしたきっかけで再会することになる。男は作家、女は国語教師になっている。ある文学イベントで、男が女の働く学校へやって来ることになったのである。男はなつかしがり、再会が楽しみだと言ってはしゃいだメールを送ってくる。女の方は勝手に去っていった男を恨んでいて、過去のことを非難する返信を返す。

以上の状況がまずは二人のメールのやりとりで呈示された後、時系列がシャッフルされたいくつかのプロットが並行して進んでいく。つまり再会前の二人のメールのやりとり、再会後の二人の会話、過去の出会いから別れまでの物語、そして男が書いている祖父を主人公とする小説の内容、などである。読者はこれらの間を行きつ戻りつしながら読み進めることになる。

もう一つの特徴は、異なるテキストの混在である。通常の三人称叙述、eメール、会話文、調書など、色んなタイプのテキストがパスティーシュ的に羅列される。こんな風に複数プロットと複数テキスト、そして時系列シャッフルなどによってかなり技巧的な印象を与える小説だ。が、決して読みにくくはない。

さて再会後、二人はそれぞれが相手に物語を語って聞かせる。男は今自分が書いている小説を、女は架空の物語を。男の小説は彼自身の祖父が主人公で、ドイツからアメリカに渡り、愛する女をアメリカに残してドイツに一時帰国する。ドイツでもまた別の女を愛し、家族への責任を果たすためにドイツに残るか、家族のしがらみをふりきってアメリカに戻るかを迷う。つまりこれは「人生の選択」についての物語である。

女が語る物語は一層ミステリアスで、少々不気味だ。最初は何のことだかよく分からない。そしてこのあたりからクローズアップされてくる重要なモチーフが、作家が過去幼い息子を誘拐され、亡くしたという悲劇的な事件である。この事件は犯人が捕まっておらず謎のままだが、これと女の物語は果たして関係しているのか否か。そういうスリルが次第に盛り上がってくる。

男と女の過去のいきさつ。忘れ去っている男と捨てられたことにこだわっている女の温度差。過去の誘拐事件の謎。女の物語とそこに隠された意図。二人はこれからどうなるのか。こうしたさまざまな謎やモチーフが複雑に絡み合い、ジグソーパズルのように組み合わさって、先の読めないストーリーを紡いでいく。非常に盛りだくさんで、トリッキーである。錯綜する物語の数々はともすれば拡散し、断片的で、とてもひとつにまとめることは不可能と思えるほどだ。

ところがそれらが、見事に収束していく。読者がそれを目の当たりにする終盤は壮観と言う他はない。

ミステリの賞を獲っただけあって、確かにミステリとしても上質だ。事件の結着も意外だし、伏線の回収や錯綜したプロットの結合も見事。が、それよりはるかに素晴らしいのはこの二人の愛の結着である。単に辻褄が合ったとか謎ときがなされたかいうことではなく、人が人生において何かを選択することの不条理と美しさが、一つの大きな絵として立ち上がってくる。哀しみと幸福が一体となったそのありようが、私達を感動させずにはおかない。

この魔法を可能にした最大の要素は、この作家が二人の登場人物の心理の綾を解剖していくテクニックの確かさである。タシュラーの品格ある文体は切れ味の良いメスとなり、的確に二人の心理の内奥へと分け入っていく。本書はロマンティックであると同時に理知的であり、明晰でありつつ優美である。

先に書いた通り、私は本書を読んでミラン・クンデラとアントワーヌ・ローランを思い浮かべたが、彼らのトレードマークはエレガンスと理知性。本書もまたしかり。これはフランスではなくドイツの小説だが、間違いなく、ヨーロッパ小説の馥郁たる香りを放っている。

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