『ナイトクローラー』 ダン・ギルロイ監督   ☆☆☆☆★

Amazon Primeで再見。前観た時もすごい映画だと思ったが、二度観てもやっぱり迫力がある。迫力だけでなく、ギラつく刃のような剣呑さがみなぎっている。どう考えても傑作だ。Amazon Primeの会員はみんな観た方がいい。

ロスアンジェルスでコソ泥をやってその日暮らしをしているルウ(ジェイク・ジレンホール)は、ある夜、交通事故現場でTV局に売るビデオを撮影しているフリーランスのクルーを見かけたことから、見よう見真似で自分もニュースビデオを撮り、TV局に売る仕事を始める。そして視聴率のために刺激的な映像を欲しがるディレクターのニナの求めに応じ、ルウの撮影は次第にエスカレートしていく。

たとえば、被害者の家に勝手に侵入する、郵便物を盗む、警察官の邪魔をする、死体を勝手に動かす、捏造する。しまいには、刺激的な「絵」を撮るために犯罪を創り出してしまう。

言うまでもなく、ルウは完全なソシオパスである。まず、彼には人間関係というものがない。一日中家に閉じこもってTVとパソコンを相手にしている。夜になると魅入られたようにストリートに出ていき、事故や犯罪現場のビデオを撮る。また彼は道徳観念というものをまったく欠いていて、他人の感情を思いやることがない。更に、真実が何であるかをまったく意に介さない。TV局が高く買い取ってくれるビデオが撮れるなら、捏造や犯罪の助長にも平然と手を染める。

一方で、彼は野心家であり、勉強家であり、ある意味とても勤勉である。事故現場に誰よりも早く駆けつけたいという彼の熱意はほとんど狂的で、スピード違反や信号無視を繰り返す。その自殺的な彼の運転に、薄給で雇われたアシスタントは悲鳴を上げる。また、まとまった収入があるとすぐにカメラや機材をアップグレードする。この道を極めたいという彼の熱意とモチベーションの高さは徹底している。

もともと彼が勉強家であることは、オンラインでビジネスコースを取ったことをニナに告げ、学んだことを雄弁に、自信たっぷりに披露してみせるエピソードからも分かる。それでなぜコソ泥なんだと思うが、それは彼の欠落部分のなせるわざだろう。まともな人間関係を築けず、倫理観がないので法を破ることに何のためらいもない。一番手軽に金が稼げる方法に飛びついたに違いない。

ルウは常に雄弁である。盗品である自動車を売りつける時も、自分を売り込む時も、アシスタントに説教する時も、ニナに金額交渉する時も、そして警察の取り調べの時も。彼はいっぱしの実業家のように喋る。ペラペラと、理論的に、流暢に、あたかもビジネスの世界で生きてきたかのように。彼が犯罪者でありチンピラであることを知っている私達観客は、そこに強烈なアイロニーを見る。

本作が優れた映画である第一の理由は、ほとんど完璧と思えるルウのソシオパス造形とその説得力にある、と私は思う。彼はチンピラやストリートギャングのようにではなく、成功したビジネスマンのように喋る犯罪者だ。彼は勉強熱心で、チャンスに貪欲で、交渉スキルに長け、どこかカリスマ性すら備えているが、完全にモラルと良心を欠いている。彼が最後に実質的な殺人に手を染めるのも、まったく意外ではない。あれは、彼のソシオパス的行動の必然的な結末である。

ソシオパスの特徴は人間関係において搾取的であること、嘘つきであること、反省がないこと、他人の感情を意に介さないこと、ルールに従わないことなどだそうだが、必要とあれば(つまりその方が得なら)他人に愛想良くすることもできる。ルウの目はいつも黒目が収縮していて異常なテンションを感じさせる(一体どうやって演じたのだろうか?)が、時折唐突に見せる笑顔はごく普通の人好きのする青年と変わらないし、TV局でキャスターとすれ違いざま彼のネクタイについて冗談を言ったりもする。ちゃんと社交スキルを持っている。

にもかかわらず、彼の人間関係の維持能力は壊滅的という他はない。この矛盾に満ちた人間像がくっきりと描き出されている。彼のソシオパスとしての緻密な造形とリアリズムは、ほとんど比類がないレベルだ。ルウに似たタイプの映画の登場人物を、少なくともここまで緻密に作り込まれた例を、私はすぐに思い浮かべることができない。

ところがその一方で、今や現実社会にはこうしたソシオパス的人物が溢れているのである。ルウは極端な例だとしても、ルウを薄めたような人間は誰でも一人や二人、身近なところで思い出せるのではないだろうか。身近にいなくても、YouTubeやTwitterで彼そっくりのムードで、彼そっくりの内容を喋る人物を見かけないだろうか。先に書いた通り、彼はビジネスコースを取ってそれを体中に貼り付けた人物のように喋る。熱意と確信と、無神経な強引さをもって。

この映画の中でも、TV番組ディレクターのニナは明らかにルウ的人物である。映画の終盤、彼女は視聴者好みのストーリーに合わせて真実を歪曲しようとする。それを聞いた男性職員は「まるでルウと喋ってるようだ」と呟く。彼女はまだソシオパスとまでは言えないだろうが、明らかにその傾向を持っている。

そしてそれはTV業界やジャーナリズム全体が体質的に持つ傾向であることを、この映画はぞっとするようなやり方で仄めかしている。

もう一つ注目すべき点は、ルウは身の毛もよだつソシオパスだが、連続殺人犯でも変質者でもないということだ。彼はただ、刺激的な映像のためなら捏造やでっちあげも辞さない人物なのである。

殺人犯や変質者は他にいる。彼はそこに群がるハイエナの中の一人である。こういったイエロージャーナリズムの問題点はもちろん昔から指摘されていたが、この映画の新しさは、ある意味では凶悪犯罪そのものよりもソシオパス的ジャーナリズムの方が恐ろしい、と気づいたことにある。ソシオパス的ジャーナリズムは人殺しやギャングですら食い物にする。そしてその恐ろしさを一身に体現する人物が、ルウなのである。

この映画のオーディエンスは、ルウという恐るべきソシオパスが中心にいて、彼の毒素が社会の中を放射状に広がっていくような印象を受けるだろう。映画のラスト、ルウの会社は更に拡大し、インターンが三人に増えている。彼らの前で(いつも通り雄弁に)喋るルウは、それまでよりもずっと、本物の「成功したビジネスマン」らしく見える。彼は成功者になりつつあるのだ。そして彼らのバンが二台、ロスの町に消えていく場面でこの映画は終わる。

前述の通り、本作の成功を支えるのはルウの造形の確かさだけれども、それについては脚本や演出に加えて、ジェイク・ジレンホールの演技が圧巻であることに誰も異論はないだろう。まるで何かにとりつかれたような演技で、普通の見かけの下にぞっとするソシオパスの顔を隠し持つルウという異常な人物になりきっている。画面から、ルウの体温や息遣いすら伝わってくるようだ。

以前に私はこの映画でほぼ初めてジェイク・ジレンホールを見て、もともとこんな雰囲気の俳優さんなのかなと思ったものだが、他の映画で見るとまるで違う。これには驚いた。目の色からしてもう違うのである。一体どんな役作りをしたのか、非常に興味がある。

ある意味、そこらのホラー映画よりもぞっとさせられる映画である。心温まる映画でも癒される映画でもないが、優れた映画を観る快感と興奮は十分以上に味わえる。やっぱり、Amazon Primeの会員はみんな観た方がいいと思う。

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