『忍びの卍』 山田風太郎   ☆☆☆☆★

かなり前に読んですっかり内容を忘れていた風太郎の忍法帖もの、『忍びの卍』を、本棚の奥から引っ張り出して再読。記憶に残っていなかったのが不思議なほど濃厚かつ充実した作品で、数ある忍法帖の中でもかなり上位にくると思う。多分、忍法帖を乱読していた時期の終わり頃に読んだので「忍法帖づかれ」していたのだろう。こういうことがあるから、やっぱり傑作と言われる小説は再読してみなければならないんだなあ。

さて、あらすじは大体次の通り。主人公であり若き侍の椎ノ葉刀馬は上司である大老から、根来・伊賀・甲賀の三つの流派の忍法比べを命じられる。事情により、一つだけ残して他は取り潰すという。

それぞれから代表選手が選ばれ、忍法を披露するので見極めた結果を報告せよとの命令。代表選手は根来から虫籠右陣(むしかご・うじん)、伊賀から筏織右衛門(いかだ・おりえもん)、甲賀から百々銭十郎(どど・せんじゅうろう)の三人で、それぞれ女(というか女体)を武器として使う奇怪な忍法を見せる。刀馬はそれら悪魔的忍法の凄まじさに慄然としながら報告を終え、大老は甲賀を選ぶ。

数ヵ月後、選ばれなかった根来・伊賀の右陣と織右衛門はこれを不満として手を組み、直接大奥に入り込んで将軍家光に取り入ろうとするが、大奥の警護をしていた甲賀の銭十郎に阻まれて失敗。次に駿河にいる将軍の弟・徳川忠長を訪ねて、不遇ながら人望ある忠長をいただいて家光転覆を画策する。

若い理想主義者の忠長をたきつけ、家光への対抗心をあおった上で、今度は家光暗殺を目的として再び大奥へ潜入する。それを守るのは銭十郎と刀馬。女だらけの大奥で、女体に乗り移ったり女の血を取って武器にしたりという、魔界の如き死闘が繰り広げられる。

が、これも失敗した右陣と織右衛門は駿河に戻り、銭十郎と刀馬はそれを追う。刀馬のいいなづけ・お京も刀馬を追って駿河に向かい、こうして最終決戦の場は駿河に持ち越される。凄絶な戦いの中で忍者は一人死に、二人死に、ただ一人残った者も姿を消す。お京は色々あって忠長の元に残り、刀馬は江戸の大老のもとへ報告に赴く。そして、大老の口から、これまで隠されていた一大謀略のからくりを知るのだった…。

読後感は相当ハードで、ずっしりと重い。忍法帖の中には(戦いの描写は常に血みどろだが)軽くてユーモラスなノリのものもあるが、本書には一種独特の重苦しさがある。そして濃厚だ。コーヒーで言うならアメリカンではなく特濃エスプレッソの味。

ストーリーの特徴としては、まず忍者三人と侍一人しか出てこない少数精鋭型であること。風太郎忍法帖では多数の忍者が登場し勝ち抜き戦をやるのが王道フォーマットで、だから忍者がバタバタ死んでいくのが普通だが、本書はたった三人なので、最後の最後になるまで一人も死なない。それだけに一人一人の忍者のキャラクター、そして技が深掘りされる。

ここで三人の忍法をちょっと説明しておこう。例によって、もはや人間技ではない悪魔的忍法ばかりだ。

まず虫籠右陣が使う忍法・ぬれ桜。これは女の肌を舌で舐めて性器の如く敏感にし、フェロモンの化身へと変化させ、本人とその周囲の男を狂わせる忍法。筏織右衛門の忍法・任意車は性交することで女の体に乗り移ってしまう、というボディ・スナッチャー並みのあり得ない忍法。ただし一昼夜たつと効果が切れるという残念な時間制限がある。三人目の百々銭十郎は、体中に精液がたまるという特異体質であらゆる女を狂わせ惹きつける忍法・白朽葉と、交わった女の血を飛ばすことで人を斬る忍法・赤朽葉。どれもこれも、忍者というより妖怪にふさわしい技ばかりである。

さて、お気づきの通り、三人とも女を使う忍法という点が共通している。この三人が大奥に入り込み、美女たちの体を消耗品のように使いまくって血みどろの戦いを繰り広げるわけだ。三つの忍法の特徴や、相性や、組み合わせるとどうなるかというあの手この手がこれでもかと繰り出される。しかも戦いは何度も繰り返されるので、どんどん忍者が死んで選手交代していく他の忍法帖と比べて、三人の忍法の掘り下げ方ははるかに濃密で工夫と奇想を凝らしたものとなる。

三人のキャラもまったく違い、小太りで口が達者な右陣、寡黙で古武士の風格を持つ織右衛門、妖艶で悪魔的な美男子の銭十郎と個性的だ。映画化するなら私のキャスティングは右陣が伊集院光、織右衛門が宇梶剛士、銭十郎が玉木宏だろう。しかも、この性格の違いが実は裏のからくりに重要な役割を担っている。この仕掛けにも感心した。

それから話を更にスリリングにしているのが、忍者たちの関係性(敵・味方)が一定でなく話の流れに応じて変化していくこと。これも忍法帖にしては珍しい。たとえば右陣と織右衛門は最初パートナーだが、後半は対立する。要するに三人はその時その時の都合で手を組んだり敵対したりしているだけで、裏では壮絶な駆け引きが繰り広げられているのだ。これがまたすごい。

そして、その裏の仕掛けのすべての謎が解き明かされるラスト。これが何と言っても圧巻である。読者はそれまで読んできた物語のすべてがただ額面通りではなく、恐ろしいまでの深慮遠謀の裏打ちがあったことを知る。そして、物語の途中でばらまかれた様々なミステリーの真実を知る。この策謀の深さ、そして底知れなさ。政治とは、そして権力者の駆け引きとは、ここまで凄絶なものかと読者を戦慄させずにはおかない。

本書の読後感のベースはまさにこれで、肌が粟立つような政治謀略の深さと恐ろしさである。他の忍法帖では若さ故の理想と情熱で策謀など吹き飛ばす主人公もいるが、本書の刀馬はそうではない。むしろ策謀の重みに押しつぶされ、途中で相貌まで変わってしまう。ヒロインのお京も刀馬から忠長に鞍替えしてしまうし、本書のラストにまったく爽快感はない。悲愴感と戦慄があるばかりだ。ここまで重たく悲劇的な結末を迎える忍法帖は稀である。

忍者とは、忍の一字。この言葉が何度も繰り返し出て来るが、つまり忍者とはただ権力者の道具でしかなく、道具に徹するべき存在であり、自分の意志も人生も生き甲斐もない。もちろん、上司に仕える侍も同じことだ。この虚無感とやり切れなさ、そして権力というものの恐ろしさが本書最大のテーマである。そのテーマはこの無残な物語の中で見事に、華麗に、完膚なきまでに描かれ尽くしていると思う。

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