(前回からの続き)

ところで、原節子の女優としての資質を最大限に開花させ、その代表作を撮ったのが小津安二郎監督であることに誰も異論はないと思うが、まったく意外なことに、原節子は小津作品を自分の代表作とは見なしておらず、それどころか自分が演じた役柄に不満だったという。彼女は意志が強い女性を演じたいと一貫して望み、だから「お嫁に行き遅れたお嬢さん」のような役は本意ではなかった。彼女はインタビューでも正直にそう答えていたらしい。もちろん小津映画の評価の高さ、そして小津映画に出ることが自分の女優としてのキャリアにどれほど有益かを十分に知りながら、である。

とにかく本書を読むと、原節子という女性はきわめて意志と信念が強く、しかもそれをきわめて率直に、正直に表現する人だったことが分かる。

では、彼女は一体どんな役をやりたかったのか。長い間彼女自身が公言していたのは、細川ガラシャの役であった。明智光秀の三女で細川家に嫁ぎ、後にキリシタンとなって壮絶な最期を遂げた歴史上の女性である。「強き女」とも呼ばれるこの女性の映画を、歴史ものが得意な黒澤監督あたりと組んで撮りたいと原節子はずっと望んでいたようだ。が、結局この夢は果たせないまま終わる。

実のところ、彼女が本当に成功したいと思っていたのは、もともと映画界に入るきっかけを作った義兄の映画だった。義兄の映画に自分が望むような役柄で出演し、その映画が成功し認められることを夢見ていたのである。ちなみに本書を読むと、映画監督だった義兄と原節子の宿縁と言えるほどの関係に只ならぬものを感じずにはいられない。実際にそういう噂もあった(一時期義兄の妻が田舎にいる間、二人は同じ家で一緒に暮らしていた)ようだが、二人の間に義兄・義妹以上の関係があったかどうかは分からない。

しかし、原節子が映画監督としての義兄の最大の支援者であったことは間違いない。彼女は義兄を尊敬し、その思想にも強い影響を受けていた。今となってはほとんどその作品は残っておらず、当時の評価もさほど芳しくなかった彼の映画に、大スターである原節子はノーギャラで、それどころか自分が出資してまで出演し、メディアに対しても強くプッシュしていたことが書かれている。彼女は義兄の映画を全力で支援したのだ。尊敬する義兄が撮った映画でこそ、自分の女優としての代表作を残したいというのが原節子の悲願だったようだ。

しかし残念ながら、義兄には映画監督としてそこまでの技量がなかった。今となっては、彼の映画で時の試練に耐えたものは一つもない。原節子の夢はここでもまた、叶うことはなかった。

果たして大スター・原節子は幸せだったのだろうか。勝手な推測だが、本書を読むとあまりそうは思えない。確かに彼女は十代にして見出され、たちまちスターダムに祭り上げられた。当時としては珍しかった洋行も果たした。が、そのせいで外国かぶれと言われ、大根女優と言われた。映画界を好きではなかったにもかかわらず、家族を養うために女優を辞められなかった。女優としては戦前、戦時中、戦後を通して常にその時代の「正しい生き方」をスクリーン上に体現させられ、自分の意志とは無関係に時代を背負わされた。その一方で、代表作を残したいという自分自身の思いはかなわなかった。

私生活では、大スターゆえにたった一度の恋もかなわず、カメラマンだった実兄を自分の撮影現場の事故で亡くし、そればかりか、若くして健康さえ失った。大きな目が女優として自分の売り物だと知っていた彼女は強い照明を受けても瞬きしないように自分を訓練したが、その結果、失明の危機にさらされたのである。

そして若さと美貌を失った女優がどんな扱いを受けるかを知り尽くしていた彼女は、42歳にしてすべての公的生活から引退し、95歳でその生涯を終えるまで、自分で自分を「幽閉」した。引退の事実すら、世間に隠していた。「幽閉」期間中、莫大な財産を持つ彼女は自炊し、質素な生活を送っていたという。

なんと、53年に及ぶ「幽閉」期間。彼女が生まれて女優として頂点をきわめて引退するまでよりも、更に長い歳月。この歳月は、會田昌江(原節子の本名)という一人の女性が銀幕の大スター・原節子に捧げた供え物である。こうして原節子は神話になった。彼女のような女優が、今後果たして二度と出て来ることがあるかどうか。

石井妙子氏は本書を著すにあたって膨大な資料を渉猟した際、原節子のポートレート写真が極端に少ないことに驚いたという。日本映画界の頂点を極めた女優である。そのポートレートが少ないなんて、そんなことがあり得るだろうか。しかし、かつて原節子は親密なカメラマンにこう言ったという。「ポーズをとって、にっこりと微笑んで、『私美しいでしょう』だなんて、こんなに醜悪なことはないわ」

そして、ことさらに美しく撮ろうとしないで欲しい、自然に、ありのままの私を撮ってほしい、と何度も念を押したという。

本書を読むと、原節子という女優の異常さが分かる。異形性と言ってもいい。彼女は希代の女優であると同時に、女優という職業または生き方に対して突き付けられた鋭い刃のような存在だった。あまりにも際立ったその美貌、生まれながらの女優としての数々の素質と、あまりに女優らしくないその内面性。

目立つことを嫌い、映画界を嫌い、虚飾や嘘を嫌ったこと。にもかかわらず、映画産業の虚像と虚飾を誰よりも担わされたこと。昂然と顔を上げ、どこまでもそれと戦い、そしておそらくは、敗れたこと。いったん敗れた後は従容としてそれを受け入れ、自らの余生を映画界と、そして原節子という虚像への供物として捧げたこと。

そして本書の読者はまた、彼女が「聖女」と呼ばれるのはただその容貌ゆえだけではないことを知るだろう。彼女は強い倫理観と、それに徹する強さと、戦う意志を持った女性だった。彼女の人生は、ジャンヌ・ダルクのそれを思わせる。

石井氏は最後にこう書いている。原節子とは何だったのかと問われれば、私は迷わず「日本」と答える、と。本書は原節子、そして原節子を生涯かけて演じた會田昌江という一人の女性に関する無類のドキュメントであると同時に、かつて彼女に夢を託して笑い、泣き、心を震わせたすべての日本人から彼女に捧げられた、鎮魂歌であるように思えてならない。

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