『カビリアの夜』 フェデリコ・フェリーニ監督   ☆☆☆☆☆

前々から観たいと思いながらソフトが入手できず、涙をのんで我慢していた『カビリアの夜』。ついに日本版ブルーレイが発売されたのでさっそく取り寄せた。私の大好きな『道』と同じくジュリエッタ・マシーナ主演の、1957年公開モノクロ映画である。

ざっとあらすじを説明すると、恋人と楽しげにデートしていた娼婦カビリア、いきなり男にバッグを奪われ川に突き落とされる。水遊びしていた子供たちに助けられ、悪態をつきながら家に帰って男を探し回るが男は逃げた後。怒り狂いながら男のものを全部捨てる。夜になる。商売のため、仲間たちがたむろする通りに出る。フィアンセに逃げられた有名俳優に気まぐれに声をかけられる。一緒にバーに行き、俳優の豪邸へ行く。が、俳優のフィアンセが戻ってきたため洗面所に朝まで隠れる。早朝こっそり追い払われる。

荒れ地をとぼとぼ歩くカビリア、穴の中に住むホームレスに施しをする男に出会う。かつてカビリアが知っていた裕福な女が、ぼろをまとって穴暮らしをしている。カビリアは男の車に同乗し、ローマへ戻る。

数日後、カビリアは仲間たちとマリア像参拝に出かける。群衆と喧騒。仲間たちに「自分は何不自由ない」と言っていたカビリア、マリア像の前でひざまづいて涙を流し、人生を変えて欲しいと祈る。その後外に出て楽しくピクニックする仲間たち。カビリアは何も変わらないと怒り、仲間たちに呆れられる。

別の日、カビリアはひとりで見世物小屋に入り、マジシャンのショーで舞台に上げられ催眠術をかけられる。通りに出て、オスカルと名乗る男に声をかけられる。その後デートを繰り返し、やがて求婚される。最初は「私みたいな娼婦なんかと」と拒んだカビリアだったが、オスカルの情熱にほだされて結婚を決意する。家を売って金を作る。そして友人に別れを告げ、幸せになると言い残し、オスカルとの結婚に向かう…。

その後どうなるかは書かないが、まあ大体想像はつくだろう。決してハッピーエンドではない。この物語の冒頭と結末は、いわばシンメトリーの関係にある。

この映画はとにかくカビリアの魅力、これに尽きる。彼女は娼婦として荒れた生活をしているが、心の中には手つかずの無垢と純真を持ち続けている。彼女ほど自分の喜怒哀楽に忠実な女はいない。頭にくれば目を吊り上げて怒り、罵倒し、悲しければ泣き、幸福な時は子供のように天真爛漫に笑う。常に表情豊かで、衝動的で、直情的だ。

だから私たち観客は、そんなカビリアを愛さずにはいられない。フェリーニが創造したこのカビリアというキャラクターの複雑さ、多面性はほとんど奇跡的である。彼女は常に子供のようにわがままに、ほとんど激情的に振る舞うが、にもかかわらず、観客すべての心の琴線に触れるデリケートな屈折と内面性をあわせ持っている。

仲間にマリア像参拝に行こうと誘われたカビリアは、「まあ、自分は生活に特に不自由はないし」と余裕の笑みを浮かべるが、実際にマリア像を目の前にすると「どうか私の生活を変えて下さい」と祈りながら涙を流す。この祈りの切実さに打たれない観客はいないだろう。また彼女は誘われて俳優の家までついていった時、俳優が脱ぎ捨てた服を(何も言われてないのに)片づけようとして、俳優を苛立たせる。「そんなものは召使がやるから、放っておけ!」

おそらくカビリアは古今東西の映画に登場するヒロイン中、もっとも愛らしく、痛ましい女性なのだ。そしてそんなカビリアを全身で表現するジュリエッタ・マシーナの万華鏡のような魅力が、この映画全体を支配している。この映画を観れば誰だって、小柄な、目鼻立ちがはっきりした、子供っぽい、エネルギーに満ちた、喜怒哀楽を全身で表現するジュリエッタ・マシーナの虜になるに決まっている。

本作は『道』の姉妹編とも言われるが、やはりジュリエッタ・マシーナが演じた『道』のジェルソミーナも、愛らしく痛ましい女性だった。しかしジェルソミーナが運命に従う素朴で無知な女だったのに対し、カビリアは人生と戦う女だ。ジェルソミーナは運命につぶされて死ぬが、カビリアはどこまでも生き抜こうとする。人生が残酷であることに怒り、打ちのめされながら、それでも戦うことをやめない。

ところで、あまりに残酷なこの物語のラストで、カビリアの顔に不思議な微笑みが浮かぶ。あれを「それでも生きていく」というカビリアの意志と希望の表現だと解釈する向きもあるようだが、私は半分賛成、半分懐疑的である。それだけではあまりに教科書的で、都合が良すぎると思う。

カビリアは絶望のどん底にいる。その彼女を、生きる歓びに満ちた若者たちが取り巻く。カビリアは若者たちに同調し、つい笑みを浮かべてしまう。それは生命への賛歌(今後カビリアがたくましく生きていくことの暗示)かも知れないが、同時に、絶望しつつ笑わなければならないという更なる残酷さでもある。世界は残酷であり、同時に美しい歌や踊りに溢れている。優れた映画とは多義的なものなのだ。

それからまた、貧しい者たちの世界と富める者たちの世界の両方が描かれているのも、この映画の魅力の一つだろう。貧しい者たちは苦しみ、祈っている。しかし富める者も決して幸福ではない。空っぽの豪邸で暮らす俳優は、死と同じほどに深刻な倦怠に蝕まれている。彼は決して心から笑うことはない。

富める者を蝕む退廃というこの病は、後の傑作『甘い生活』の中で、徹底的にグロテスクに描写されることになる。

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