『クネレルのサマーキャンプ』 エトガル・ケレット   ☆☆☆☆☆

短篇集『突然ノックの音が』がとても面白かったので、エトガル・ケレットの『クネレルのサマーキャンプ』を入手。順番としてはこっちの方が初期の短篇集になる。31篇収録されている。

『突然ノックの音が』と同様にシュールで奇想天外で奔放な想像力(というかほとんど妄想力)を見せつける短篇ばかりだが、作品によっては比較的ちゃんとしたプロットがあるものも散見される。こちらの方がより初期の短篇集だからかも知れない。

表題作の「クネレルのサマーキャンプ」はその一つで、自殺者が集まる世界が舞台になっているところはシュールだが、話の展開はわりとまともである。少なくとも、「なんじゃこりゃ?」みたいな部分はあまりない。その世界で主人公が友人を作り、そこにやってきたはずのかつての恋人を探す旅に出て、あるキャンプ場に辿り着く、という具合だ。ストーリーに因果関係がある。

それからたとえば「君の男」も奇妙な話ではあるが、アイデアは分かりやすい。主人公の男が恋人と別れる都度、一人の見知らぬ小男が次の女性との出会いを準備してくれていた、という話。昔のフレデリック・ブラウンなんかの、アイデアSFみたいな味がある。ちゃんとオチがあるのもそう思わせる一因だ。

「物語のかたちをした考え」も、かつて月には溢れるほど人が住んでいた、という書き出しはいかにもケレットらしい軽やかなシュールレアリズムだが、そこからの展開はわりとロジカルというか、理に落ちるところがある。ロープの形をした絶望で住民がみんな首をくくるなどのディテールは荒唐無稽だけれども、プロットの流れはストレートで、あまり意外性がない。

その一方で、もちろん『突然ノックの音が』に負けず劣らず不条理で非論理的な短篇もある。私は断然こっちの方が好きだ。シュールでナンセンスで斜め上に曲がっていく、「ふざけてるのか?」と問いつめたくなるような短篇。その最たるものは「でぶっちょ」だろう。「君」という二人称で語られるこの短篇は、「君」の美人の彼女が夜になると毛深くてでぶの小男に変身する、という話である。なんじゃそりゃ。

たった4ページぐらいの掌編だが、心底ふざけている。理由が説明されるわけでもなく、オチがつくでもない。が、テキストはきれいに着地し、えも言われぬ余韻を残して終わる。つまりは傑作だ。

「ぼくの親友」もおかしい。これはたぶん、作者も完全にふざけて書いている。なぜなら「ぼく」の親友が留守中にやってきて、「ぼく」のアパートのドアに小便をかけていく話だからだ。そのせいで、「ぼく」はお持ち帰りしようとした女の子にふられてしまう。ジョークのようだが、最後の一行のひねりはさすがにケレット。これを書けるのは詩人だけだと思う。言うまでもなく、ケレットはブローティガンやバーセルミに通じるスタイリストなのだ。

とはいえ、「ぼくの親友」はやっぱり冗談かも知れない。お前が好きなのはそんなんばっかりかい、と言われそうなので違う短篇を紹介すると、「赤子」は誕生日のカップルの話。たった2ページの掌編で、ストーリーはなく、要約も不可能。ケレットのセンスと文体だけで成立した、美しくつかみどころがない、完全に詩的なテキストである。

「びん」も美しい。これも短くて、3ページ。人間をびんの中に入れる、というあり得ない特技に関するユーモラスな話で、これが一転して予想もつかないリリカルな結末に至る。アクロバティックで、まったく見事。ほれぼれしてしまう。

こういう短篇を読むと、ケレットの文体が持つスピード感に幻惑される。ケレットの魔法は、主として文体の運動エネルギーによって引き起こされると感じる。

それからもう一つの作品群として、ホローコーストの残像を垣間見せる短篇たちがある。ケレットはその作風から想像しにくいかも知れないが、ホロコースト第二世代の作家なのだ。その断片を感じさせる短篇がいくつかあって、その傾向はおそらく『突然ノックの音が』より少しばかり顕著だ。

代表的なものとして「靴」をあげておこう。これはユダヤ人記念館に行った少年の話で、淡々とした描写の中に痛ましさが滲む。ただしこういう話でも、どこかポーカーフェイスのアイロニー漂うところがケレットの持ち味である。

ホロコーストとは直接関係ないけれども、やっぱり痛ましさ、悲痛さがテーマとなっている短篇もある。「死んじゃえばいい」はそんな作品の一つ。寄宿舎に入った少年の話で、彼は迎えに来なかった両親に腹を立てて「死んじゃえばいい」と考える。やがて両親ではなく、兄が迎えにくる。母さんと父さんなんて死んじゃえばいい、と言った少年に、兄は思い切りビンタをする。そして泣き始める。

「善意の標的」も、静かな諦念が漂う短篇だ。主人公は殺し屋。ある日依頼された標的は、かつて彼を救ってくれた恩人だった。さて、殺し屋は彼を殺すだろうか。ハードボイルドな文体で語られる寓話、と言っていいかも知れない。

「壁をとおり抜けて」もそうだ。最後に、「彼女」が「ぼく」の顔の傷跡を見て泣く。「なんてこと、あんたって昔は本当にきれいだったのに」――このセリフは、ちょっとだけフィッツジェラルドの短篇を思わせないだろうか。

31篇もあるのでとてもコメントしきれないが、最後にもう一つ私のフェイバリットを上げておく。「壁の穴」も見事な短篇で、ケレットの才能を示すものだ。タイトルは「壁の穴」だが実際は天使の話で、全然天使らしくない天使と友達になったウディは、ある時天使が飛んでいるのを見たことがないことに気づき、天使を屋根から突き落としてしまう。

一体この短篇は何を言いたいのだろうか。教訓もなく、いい話でもなく、泣けるわけでもない。しかし確実に心のどこかを押される。読み終えて不思議なリリシズムに包まれる。これこそ、小説という芸術の謎めいたクオリティではないだろうか。

全体として本書は『突然ノックの音が』よりもアイデアや構成がシンプルで、読みやすい気がした。『突然ノックの音が』の方が込み入っていて、きつめのアクロバットという感じがする。どちらを取るかは好みの問題だが、私はどちらかというと本書の方が好みである。

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