『ソニはご機嫌ななめ』 ホン・サンス監督   ☆☆☆★

日本版DVDを購入して鑑賞。例によって隙間が多く風通しが良く、オフビートでつかみどころがなく、あっけらかんと観客の思い込みのハシゴを外してくるホン・サンス・マジックは健在である。

しばらく行方不明だったソニ(チョン・ユミ)が久しぶりに大学へやってくる。友人たちはみんな驚く。ソニは大学教授(キム・サンジュン)に会ってアメリカ留学の推薦状を頼み、その後フライドチキンの店で偶然元カレ(イ・ソンギュン)と再会する。最初は憮然としていた元カレは酒が入るとソニを口説き始め、ソニはその場を去る。

次に元カレは先輩である映画監督に会いに行く。映画監督は面倒くさいと思いつつ飲み屋に出かけて元カレと飲む。飲み屋のママはフライドチキンの出前を頼み、元カレと映画監督は酔っ払ってグダグダの口論になる。

翌日、大学教授にもらった推薦状をソニは気に入らず、書き直しを頼む。気のある素振りを見せるソニに、教授は舞い上がって承諾する。その後教授はカフェで映画監督と会い、名前を出さずにソニのことをのろけ、映画監督は面白がって冷やかす。

その日の後刻、ソニと映画監督は道端でばったり会い、一緒に飲みに行く。飲み屋のママはフライドチキンの出前を頼み、二人はイイ雰囲気になって路上でキスをする。

そのまた翌日、ソニは王宮で教授と会い、書き直した推薦状を受け取り、今度は気に入る。元カレから電話が入り、どこにいるんだと聞かれる。同時に、教授には映画監督から電話が入る。ソニがトイレに行っている間にみんなが王宮にやってきて、教授、元カレ、映画監督全員が鉢合わせする。

元カレが、ここにソニがいるはずだと言って探し始めたので、教授はこっそりテキストを送ってソニに警告し、ソニは王宮から逃げ出す。教授、元カレ、映画監督の三人は王宮の中をだらだら歩き回り、当然ソニは見つからない。終わり。

よく分からない、と思われるだろうが、まさにこれはそんな「よく分からない」映画である。

要するに、繋がりがある男たち三人が三人ともソニに気があり、結果的にソニに翻弄されるという話だ。結局ソニが誰とどうなるかは不明、というより、結局誰ともどうにもならないのだろうと思う。この映画の後、ソニはあっさりアメリカに留学してまた行方不明になる予感がする。

あえて誰が一番脈があったのかといえば、キスをした映画監督だった気がするが、それに特別な意味があるのかは怪しい。この映画の中で起きるあれこれは男たちにとってはその時々で深刻だったり有頂天だったりするのだろうが、結局のところ何の意味もなく、シャボン玉のようにただ生まれては消える、日々の泡沫でしかないように思えてくる。

つまり、普通の映画が意味あることを取り上げ、掘り下げて、その意味の重たさや大切さで観客にアピールするのに対し、この映画は意味のなさ、どこにも大切なものなどないという空虚な確信で観客にアピールする。登場人物たちの交流や営みを至近距離から臨場感たっぷりに描きながら、それらすべてから重々しさを剥奪し、空っぽの軽やかさを微笑みとともに差し出してみせる。

ホン・サンス監督の映画には常にそういうベクトルがあって、それが彼独特のオフビート感の源泉となっているが、本作では特にそれが顕著だと思う。これはヌーベルバーグから継承された手法のようだが、ホン・サンス監督はそこにコミカルな視点、つまり登場人物たちはみな滑稽な存在であるという観点を導入する。さらにロメール的なリアルな感情の揺らぎをドキュメンタリー風に混ぜ込むことで、意味と無意味の絶妙なバランスを現出させる。

それを達成するためのホン・サンス監督の得意技が「繰り返し」だが、これは本作でひときわコミカルな形で使われている。どこにいても出て来るフライドチキンやベタベタの歌謡曲は分かりやすいが、それ以外にも色んな人物が口にする「とことんやれ」の説教や、ソニについての人物評(「内向的だが頭がいい、勇敢、ちょっと変」)も効果的で、観客をニヤニヤさせずにはおかない。

もう一つの得意技である「飲み屋でのグダグダな会話」も、もちろん頻出する。

一方で、他のホン・サンス作品では顕著なメタフィクション性は、この映画にはほぼ見当たらない。おそらくそれも、本作が特にコミカルな印象を与える理由の一つだろう。終盤の王宮での鉢合わせシーンなど、いかにもコメディだ。

まあそんなわけで、本作はホン・サンス監督作品の中でもとりわけ軽く、肩の力を抜いて脱力しつつ観れる映画です。気軽にどうぞご覧になって下さい。

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