『絶叫』 葉真中顕   ☆☆☆☆

著者名は「はまなか・あき」と読む。この著者の本は初めてだったが、本の内容と名前から女性かと思っていたら男性だった。しばらくブログやライターをやっていて、ミステリ小説で賞を獲ってデビューした人らしい。デビュー作は『ロスト・ケア』。

「絶叫」なんてタイトルは全然趣味ではなかったのだが、あの宮部みゆきの名作『火車』に似ているという評を目にして、興味を惹かれて読んでみた。なるほど、確かに多少似ている。しかしあっちよりもっと寒々としている。

『火車』の出版は1998年、『絶叫』は2014年。この低温化はこの間の時代の変化の反映だろうか。だとしたら、日本社会は『火車』の頃より更に閉塞し、病が進んでいることになる。

『火車』と同じく、本書も構成がきわめて重要だ。まず最初に物語の結果が示される。結果とはつまり、二つの事件とそれぞれの死体である。それがまず、報道の形でぽんと呈示される。これらの事件=二つの死体は一見無関係に見えるが、実は裏で繋がっている。その繋がり方をことの発端からじっくり物語っていくのが、即ちこの小説である。従って、最初の結果にどうつながるんだろう、と思いながら読者は読み進めていくことになる。

更に、ストーリーは三つの視点が絡み合いつつ進む。一つ目は女刑事の視点で、これはもちろん捜査陣の目から見た事件の展開を追っていく。二つ目は本書のヒロイン・鈴木陽子の視点で、これが物語の体幹部分となる。ただ正確に言うと語り手は鈴木陽子ではなく、別の人間だ。「あなた」という二人称で誰かが鈴木陽子の人生を語っていくのだが、これが誰かは最後にならないと分からない。

これもまたこの小説の巧緻なからくりの一つで、ただの文学的な装飾ではなく、最後に読者をうーんと唸らせる理由が開示される。謎めいているし、結末の伏線にもなっているという見事な仕掛けだ。ミステリ・ファンのスイートスポットをついてくる。

そして三つ目の視点は、関係者の証言。これは変化球で、斜めからこの事件に光を照射していく。これら三つの視点から事件を描くことで、ストーリーが複合的に、立体的に立ち上がってくる。このストラクチャは『火車』よりも更に複雑である。

が、『火車』のようにヒロインがずっと姿を隠しているのではなく、二つ目の視点でその人生が詳しく描かれるので、読者はヒロインをむしろ身近に、その息遣いさえ聞こえるほどに生々しく感じることになる。そこが大きな違いだ。

彼女の人生の物語はごく普通にスタートする。派手でも華やかでもなく、そもそも平凡以下の冴えない人生だが、そこからどんどん落ちていく。容赦なく社会からずり落ちていく感覚が、読者の気持ちを冷え冷えとさせる。

特に、保険のセールスレディーになって上司からパワハラまがいに洗脳され、追い詰められ、禁じ手の枕営業に手を出し、次はデリヘル嬢になって、という救いのない落ち方はリアリティがあってやりきれない。

これに加えて貧困ビジネスなるものも出て来て、現代日本社会の閉塞感や生きにくさを全部持ってきて凝縮したような、薄気味悪い仕上がりになっている。鈴木陽子と母親の関係も醜さたっぷりで、ホッとさせるものが何もない。

そんな風にヒロインがどんどん落ちて行き、底の底まで落ち切って終わりという鬱小説なのかと思っていると、最後に意外な一ひねりがある。これも『火車』を連想させるが、『火車』で(ヒロインにとって)一番困難だった部分がここではスルーされている。

ただし十分に下ごしらえをしてあるので、不自然さや安直さは感じない。どっしりした重たさとある種の感慨とともに、この人の心を消耗させる物語は終わっていく。

まあ、相当な力作であることは間違いない。リーダビリティも素晴らしいし、読みながら作品世界に搦めとられる気分になる。読後感もずっしりくる。バラバラの三つの線がだんだんつながっていく知的スリルもある。面白いし、巧緻だ。

が、その反面とにかく気が滅入る。閉塞感たっぷりなので、読んでてげっそりする。『火車』も怖い話で戦慄させられたが、どこかに凛とした品格があった。おそらく捜査をする刑事のキャラクターだと思うが、本書にはそれがない。捜査官である女刑事は、逆にヒロインとどこか共通する奇妙な鬱屈を持っている。

この、あまりに寒々とした感覚が個人的にはネックである。メランコリックというだけでなく、どこか歪んでいるし、病んでいる。しかしこれも、現代日本の病理をうまく表現しているということなのかも知れない。

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