『フェルナンド・ペソア最後の三日間』 アントニオ・タブッキ   ☆☆☆☆☆

もう何度読んだか分からない、そして何度読んでも魔法を失わない本について書きたい。アントニオ・タブッキの『フェルナンド・ペソア最後の三日間』である。

タブッキの小説はすべてフェルナンド・ペソアへのオマージュだと言っても過言ではないけれども、本書はタイトルを見れば明らかなように、タブッキのペソア愛の結晶ともいうべき作品だ。なんといっても、主人公がペソアである。しかも最初から最後まで出ずっぱり。

ペソアが話のどこかに登場するタブッキ作品は珍しくないが、私が知る限り、ペソアが堂々たる主人公という作品はこれだけだ。

これはペソアが死ぬ前の三日間の物語であり、そこでペソアは自分の異名たちと次々と対面し、会話を交わす。ペソアのことをよく知らない人のために補足すると、ポルトガルの詩人ペソアはいくつもの「異名」を持ち、それぞれの「異名」で詩や散文を書いた。「異名」は単なるペンネーム以上のもので、架空の身分と生い立ちと経歴を持ち、加えて、書く作品の傾向や個性もそれぞれ違っている。

つまりペソアの「異名」とは、ペソアによって創作された人間たちに他ならない。架空の人間といっても、彼らは実際に世に出された作品を持っている。読者にとっては実在の詩人と何の変わりもない。彼らはただ、肉体を持たないだけだ。

このように謎めいた詩人であるペソアが、死の直前に自らが生み出した異名たちと会い、会話を交わすという、これはそういう小説である。なんともタブッキ的であり、またフェルナンド・ペソア的なテキストではないだろうか。魅惑的と言うしかない。

本書はとても短い。一冊の本になっているが、長さでいえば短篇といっていい。だから本を開くと文字が大きく、余白も多い。タブッキの文体も、いつもより簡潔である。ひとつひとつの章が短く、パラグラフも短い。しかし、だからこそタブッキ文体の音楽性が冴えわたっている。

この小説では、ペソアが自らの分身たる異名たちと会話するというアイデア、そしてそれを死の直前に設定したこと、もうこれがほぼすべてと言ってもいい。タブッキの小説はいつも幻覚的だが、本書はひときわ幻覚的であり、瞑想的だ。まさに夢かうつつか、という雰囲気の中で物語が進行する。

ペソアが目を閉じ、すぐに夢が始まる、というような文章もあって、読者は現実と夢の境界線が極限までぼかされ、弱められているのを感じるだろう。

それぞれの異名との会話内容は、たとえばオフィーリアとの生涯に一度の恋愛のこと、旅行のこと、異名が父親にして師であるということ、アゼイタンウでの生活のこと、食べ物のこと、カスカイスでの暮らしのこと、オウムのこと、闘牛のこと、精神病院のこと、作品のこと、などである。

もちろんペソアの人生や異名のプロフィール、そして彼らが書いた作品に密接にかかわるものばかりだが、詳しい説明や解説はない。どれも断片的だ。だからこれを読んで、ペソアの異名とその作品についてまとまった知識を得ようと思っても無理である。

じゃあペソアの作品を知らないとわけが分からない小説かというと、そんなことはない。少なくとも、本書の良さが分からないというようなことはない。ペソアと異名たちとの会話は、そこで謎解きがあったり重要な因果関係が出てきたり、あるいは読者を驚かすどんでん返しがあったりというような劇的な仕掛けはなく、どれも、いわばとりとめのない抒情的な回想だ。だから読者はそれらを散文詩として、ただ自分の感性を頼りに読めばいい。事前知識はあればベターだろうが、必須ではない。

そして回想の中では、当然ながら事実とフィクションが混然一体となっている。つまり、ペソアという実在の人物と、異名たちの架空の人生が溶け合っている。無論ここでもタブッキの魔術は遺憾なく発揮され、現実と夢の境界線がごく自然に、あっさりと取り払われる。

訳者あとがきに、ペソアは、今日の作家に残された小説的なものがもはや筋でなく構造であることを理解していた、とある。これはそのまま本書にも当てはまる。本書は筋や会話の内容によって成り立つのではなく、まさにその構造(死の前の分身たちと対話)によって成立している。構造の中に美しさが存在するのであって、クラインの壺を思わせるだまし絵的な構造がそれだけで読者を魅了する。

もちろん、これは本書に限ったことではない。タブッキはいつもそんな風に小説を書く。重要なのは構造や設定で、プロットや会話の内容は断片的で幻のようにつかみがたく、デリケートで意表をつく仄めかしや暗示のテクニックが最大限に駆使される。

ただ、本書では特にそれが顕著だと言っていいように思う。だからこそ、小品ではあるけれども、私はこれをタブッキのエッセンスが凝縮された珠玉の作品だと考えるのである。

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