『推定無罪』 アラン・J・パクラ監督   ☆☆☆☆★

iTunesで購入し、再見。私はいまだにクラウドに不信感を持っているので、気に入った映画は大体DVDかブルーレイを買うようにしているが、最近は置く場所に困るようになり、ダウンロード購入も増えてきた。といっても、まだiTunesで購入した映画は全部で5本ぐらいだ。

この映画は重厚でメランコリックな雰囲気が好きで、これまで何度も観たがやっぱり飽きないので、これだったら買おうと思って今回購入した。ご存知の方も多いだろうが、原作は法廷ものの名作として有名である。一度人から借りて読んだが、作者が本職の弁護士出身だけあって法曹界のことがかなり詳細に、リアリスティックに盛り込まれていた記憶がある。

この映画も、そんな原作の雰囲気をかなり忠実に映像化している。何よりの特徴は、重厚さ、やりきれなさ、メランコリックな雰囲気である。明らかに鬱映画だ。法廷ミステリには痛快な勧善懲悪やスカッとするものも多いが、これはそういう映画の対極にあると思っていただきたい。全篇グレーで、薄曇りのムードに包まれ、終わった後も観客の心の中に重たいしこりを残す。そんな映画である。

そんな映画イヤだ、という人もいるだろうし、そういう人はこの映画は避けた方がいいと思う。私も、これはもう観たくないなと思う鬱映画は色々あるが、この映画についてはなぜか好きである。くらーい、どんよりした雰囲気がたまらなくイイ。イイ鬱映画とワルイ鬱映画はどこが違うのかと考えたことがあるが、よく分からない。どこかに決め手となる要素があるんだろうが、それがなんだかよく分からない。自分でも不思議だ。

ちなみに私が好きな他の鬱映画はと聞かれると、たとえば『薔薇の名前』や『戦慄の絆』などが思い浮かぶ。クローネンバーグ作品はどれも鬱映画だが大体好きで、評判が悪い『マップ・トゥ・ザ・スターズ』でさえ好きだ。

溝口の残酷物語も『赤線地帯』『西鶴一代女』『近松物語』などとても良い。その他『エイリアン』『殺しのドレス』『ローズマリーの赤ちゃん』『シャイニング』なども好きだが、まあホラー映画はもともと恐怖で楽しませるものなので「魅力的な鬱映画」からは除外しておくべきだろう。

かなり脱線したが、要するにこの『推定無罪』は私にとって魅力的な鬱映画だと言いたいのである。法廷ミステリということで、ストーリーの中心は殺人事件だ。主人公の検事ラスティ(ハリソン・フォード)と不倫関係にあった同僚のキャロラインが殺され、ラスティがその事件の担当となる。レイプ殺人に見えた事件には、色々と不可解なところがあった。死んだキャロラインが過去の収賄事件に絡んでいたことから、ラスティはレイプ殺人は偽装で、背後には検察内の陰謀があると目星をつける。ところがラスティ自身の指紋が現場から発見され、彼は逮捕される。そして殺人事件の被告として、裁判にかけられることになるのだった…。

プロットだけ見るとありがちである。にもかかわらずこの映画がユニークな鬱映画である理由は、まず清廉潔白な人間がどこにもいないこと。主人公のラスティも不倫していて、奥さんにもバレており、家庭は微妙な雰囲気だ。被害者のキャロラインは美人でセクシーで有能だが野望むき出し、出世のために男を道具扱いするような非情な女。いわばファム・ファタルである。ラスティの上司のレイモンドも実はキャロラインと関係を持っていて、平然とラスティを裏切ったり、ろくな人間じゃない。

おまけに公正で頼もしく見えた判事も実は…という具合に、とにかく人間裏じゃ何やってるかわかったもんじゃない、という、人間不信的世界観が充満している。

法廷で繰り広げられる戦いのあれこれも、敵味方ともに釈然としない。主人公のラスティ側には凄腕弁護士(ラウル・ジュリア)がついてさすがの法廷テクニックを駆使し、彼の活躍ぶりはこの映画の中で唯一痛快な部分なのだが、彼の戦術も結局「うーん、これでいいんだろうか?」と観客に思わせるような、グレーなものである。

ラスティに協力する捜査官の、証拠隠滅といっていい行動もしかり。つまり、この映画には法廷の現実ってこうなんだろうな、と思わせるリアリティがあると同時に、まるで観客にこう問いかけているようである。果たして、この裁判で正義はなされたのだろうか? そもそも、法廷の真実なんて本当に存在するのだろうか?

どこまでグレーな人間たちが、どこまでグレーなシステムの中で亡霊のように右往左往する。それが本作の基本的な世界観であり、その上に殺人事件の謎、検事局内の錯綜した人間関係、法曹界の政治力学、過去のスキャンダルなどが積み重なりもつれあって、ますます混沌とした状況を作り上げていく。まるでカフカのような欺瞞と迷宮の世界、それがこの映画の本質だ。エンタメ的痛快法廷ミステリとはかけ離れていることが、分かっていただけることと思う。

そしてとどめに、観客全員を暗澹とさせる、あの救いのないラストがやってくる。あの二人はその後どうなるのか。罪はどこにあり、そして罰はどこにあるのか。なんとも重い結末である。まるで正義などどこにもないとダメ押しするかのような結末だ。

監督のアラン・J・パクラは『大統領の陰謀』『コールガール』の監督で、この物憂いムードはそれらに共通するものがある。そういえば、ジェーン・フォンダとドナルド・サザーランドが静謐な演技を繰り広げる『コールガール』も、私のお気に入りの鬱映画の一つだった。

おそらく鬱映画の魅力はストーリーやテーマではなく、映像、演出、音楽、テンポ、間の取り方、などが混然一体となって醸し出す、映画の基調となるトーンにあるのだと思う。本作も、映像や音楽は一貫して重厚。検察局や法廷の重々しさがそれと調和している。いつも物憂げな表情のハリソン・フォードも、このたそがれた世界観に見事にフィットしている。

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