『掏摸』 中村文則   ☆☆☆☆

中村文則という作家さんの小説を初めて読んだ。本書は大江健三郎賞受賞作にしてLAタイムズ文学賞候補作、更にウォール・ストリート・ジャーナルの2012年ベスト10小説に選ばれたというお墨付きの傑作。おまけに、米アマゾンの「Best books of the month(March)にも選ばれている。海外での評価が高い、というのはやっぱりそれだけ普遍性があるのだろうな。

短い小説で、文庫本も薄っぺらく、すぐに読み終えてしまう。主人公はスリを生業とする青年で、かなり凄腕のプロフェッショナルだ。海外の有名なスリ師などにも詳しく、ただの犯罪者というよりスリ道を究める求道者タイプである。この青年スリ師の一人称(「僕」)で、この物語は紡がれていく。

「僕」はふとしたきっかけで、親の指示で引きをさせられている少年とその母親に出会う。一定の距離感を保ちながらも、いつしか少年に親しみを感じ始める「僕」。並行して、ある仕事に絡んで仲間が一人殺され、木崎という不気味な男の存在を知る。木崎は闇の社会に生息する犯罪者でありながら、政界にも食い込んでいる実力者だった。やがて喪失感の中で生きる「僕」に、再び木崎とその組織が接近してくる。あの少年と母親を殺されたくなかったら、自分の言う通りに仕事をしろ。木崎はそう脅迫してくるのだった…。

あらすじだけ見ると骨格はごく普通のノワール風エンタメみたいだが、文体と、それが醸し出すムードが独特だ。主人公の青年が折に触れ感じる幻めいた「塔」の存在、すでに亡き「佐枝子」の断片的な記憶、そしてそれらすべてを包み込む灰色のトーン。「塔」や「佐枝子」については物語を読み解くキーとなるイメージでありながら、はっきりした説明はない。そういうところはエンタメというより、少々アナクロなまでの「純文学」の匂いがする。軽やかさを好むこの時代に、この陰鬱さ、どんよりした世界観は希少ではないだろうか。

ネットで検索すると、著者の初期作品はもっと純文学寄りだったが、本書からぐっとエンタメ的になり、読みやすくなったということのようだ。つまり、ここから万人に受け入れられるための方法論が導入されたのかも知れない。その結果、エンタメと純文学のバランスがとれ、本書は大勢の読者にアピールする普遍的な小説になった、とも考えられる。といってもまだこれ一冊しか読んでいないので、単なる私の推測だ。

エンタメとして見た時、本書のジャンルはノワール小説になると思うが、主人公が組織に脅されて、困難なタスクを一つ一つこなしていくところはスリリングだ。そういうエンタメ要素を絶望や閉塞感という暗い情緒でくるんでいるのが本書だが、その暗さが、おそらくは現代日本社会の生きづらさや息苦しさにヒットした、ということだろうか。だとしたら日本社会、かなりやばい。

不気味な男、木崎もありがちなヒールではなく、独特の哲学を持った底知れない男という印象だ。自分の哲学を饒舌に語るところはマルキ・ド・サド的な、思想犯的な悪人である。彼は他人の運命を支配することが最高の快楽だと確信している。

ラストがオープン・エンディングになっているのも、この手の小説としては洒落ている。一応の続編として『王国』という小説があるそうだが、そっちを読むかどうかはまだ決めかねている。スタイリッシュな小説ではあるけれども、個人的にはこの気力が萎えるような低温ぶり、灰色ぶりにちょっと胃もたれしてしまいました。

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