『人生模様』 ヘンリー・コスター / ヘンリー・ハサウェイ / ジーン・ネグレスコ / ハワード・ホークス / ヘンリー・キング監督   ☆☆☆☆

iTunesのレンタルで鑑賞。原題を直訳すると「O・ヘンリーのフルハウス」で、要するにO・ヘンリーの短篇五本を映画化したオムニバスである。五篇のタイトルは、「警官と賛美歌」「クラリオンコール」「最後の一葉」「酋長の身代金」「賢者の贈り物」。大体において有名作をピックアップしてある。

まあ一篇一篇の出来は大したことはないが、五つの物語が響き合うアソートメントとして見ると悪くない。各篇に入れ替わり立ち替わり登場するスターたちの華やかさは魅力だし、テイストが異なる物語のハーモニーも愉しい。

どんなテイストかというと、「警官と賛美歌」はニューヨークのローライフ喜劇、「クラリオンコール」は刑事と犯罪者のノワール風物語、「最後の一葉」はビレッジのボヘミアンたちの悲しい寓話、「酋長の身代金」は田舎のドタバタ・コメディ、そして「賢者の贈り物」は再びニューヨークが舞台の、貧しい夫婦のささやかなクリスマス・エピソード。まあ、そんな風に言っていいんじゃないか。

ひとつひとつ見ていくと、まず「警官と賛美歌」はなんといっても主演のチャールズ・ロートンが最高。名作『情婦』で弁護士役をやった俳優さんだが、彼の茶目っ気たっぷりの芝居を見るのはえも言われぬ愉悦である。

ここでロートンが演じるのは、冬の間あったかくてタダめしが食えるムショに入っていたいという前科者で、いろんなチンケな犯罪を犯しては警官に逮捕されようと試みる。文無しなのに高級レストランで堂々とご馳走を平らげる場面が最高だ。それから、一瞬だけ登場するマリリン・モンローが目が覚めるほどに美しい。まだ無名の頃だが、すでに特別なオーラを発散している。

「クラリオンコール」はかつての友人を逮捕できずに悩む刑事が主人公で、「警官と賛美歌」よりシリアスなムードだが、個人的には悪役のリチャード・マークスの下品な笑い方が一番記憶に残った。O・ヘンリー得意のどんでん返しのキレも今一つで、この五篇の中ではもっとも地味な作品だろう。

「最後の一葉」は言うまでもなく、O・ヘンリーの短篇中指折りの有名作。原作を読んだのはすごく昔なので記憶が定かじゃないが、舞台を病院からビレッジのアパートに変えてあるようだ。やさぐれた画家のキャラが私のイメージと違っていたことと、最後の泣かせどころの演出にいまいち不満が残ったけれども、やはりこの結末には感動する。寝込んで死にそうになる娘を演じるているのはアン・バクスター。

四つ目の「酋長の身代金」は、ハワード・ホークス監督の手になるドタバタ喜劇。原作も喜劇だが、原作より更に完全なドタバタ・コメディと化している。二人組が子供を誘拐して身代金を要求する話だが、子供が手に負えない悪ガキで、結局自分たちが金を払って引き取ってもらう羽目になる、というふざけた話。アホだなあ、と笑いながら観ていればいい一篇。

そして最後の「賢者の贈り物」も有名作。若く貧しい夫婦を演じるのは、ファーリー・グレンジャーとジーン・ピーターズという美男美女スターのカップル。

貧しいけれども愛し合う二人には、それぞれ宝物があった。妻は美しい髪、夫は祖父の形見の懐中時計。二人は、お互いにステキなクリスマス・プレゼントを贈りたいと願う。妻に対しては、美しい髪を飾る髪飾り。夫へは、見事な時計を引き立てる鎖。しかしお金がない。だから二人はそれぞれ、自分のもっとも大切なものをお金に換えようとする…。

良い出来だと思うが、私が思うに原作でもっとも大切なのは最後のパラグラフなのだ。つまり、愚かに見えるこの二人こそ実は本当の意味での賢者なのだ、と解説する一節だが、映像作品には当然それがない。

従って結末が単なる残念なオチになってしまい、さらに、それを糊塗するためか二人が抱き合って笑う。これはちょっと違うんじゃないかと思う。ただし、やはり物語がしっかりしているので満足感はある。

O・ヘンリーの短篇はどれも最後にオチがあり、それも大体において「意外な結末」だ。今となっては古臭い短篇作法であり、文学的には時代遅れとされるものだが、しかし娯楽作品として見れば、これにはこれの良さがあるなと今回思った。

こういう短篇では、要するに物事や出来事にはっきりした意味があるのだが、現実の人生や日常には当然はっきりした意味などなく、すべては相対的だ。だからこういうタイプの短篇は人工的で浅いとされるのだが、しかし人間とは、森羅万象あらゆるものに意味を求める生き物である。

意味がないものになんとか意味を見つけようとするし、見つけずにはいられない。暗合や偶然というものがあれほど魅力的なのもそのためである。百分の一の確率で偶然に再会した男女は、これを運命のメッセージだと考えずにはいられない。無意味な人生の中に、どうしても意味を探し求めてしまう。

そしてO・ヘンリーが書くこれらの物語、エピソードのすべてが一つの意味=結末を目指してつき進む物語たちは、人生に意味を探し求めるという人間のやみがたい根源的欲求を満たしてくれるのではないだろうか。これらの短篇の中で人々が悩み、決断し、行動する時、私たちはすべてを導く運命の手をそこに感じる。あらゆる細部が目的を持ち、定められた一点に向かって収斂していく、心地よい感覚を得ることができる。日常の中では、なかなか得られない感覚だ。

それこそが物語というものの魅力なのかも知れない、と今回これを見てあらためて思ったのだが、皆さんどう思われますか。

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