『インターネット的』 糸井重里   ☆☆☆☆☆

とあるビジネス系のブログで紹介されているのを読んで興味を惹かれ、アマゾンで取り寄せてみた。もともと2001年に出版された本の復刻版である。当時糸井氏は「ほぼ日刊イトイ新聞」を立ち上げたばかりで、その頃まだ新しかった「インターネット」というものについて色々と考えたことをこの本にまとめつつ、そのアイデアを実践するために「ほぼ日」を立ち上げたということのようだ。

ネットの世界の時間軸で2001年といえばもう石器時代みたいなもので、そんな昔に書かれた本を今さら読んで意味があるのかと思われるかも知れないが、驚いたことに、この本は今読んでも十分啓発的である。というか、今読むとまさにドンピシャリという感じだ。やはり糸井重里という人、只者ではない。

これはやはり、糸井氏がインターネットというツールの機能や仕組みではなく、その本質を語っているからだろう。彼は一貫して「インターネット的」とは何か、ということを考察するのだが、注意すべきは「インターネット的」と「インターネット」は別物だということ。極端な話、インターネットを全然使わず、紙と鉛筆で仕事している人が実はきわめてインターネット的、ということだってあるのだ。

だからこの本で糸井氏が言う「インターネット的」なるものは、別にインターネットを使わなくてもできる「方法論」や「考え方」であり、従って、時代とともに機能やサービスや主要プレイヤーが変わっても、インターネットの本質が変わらない限り本書の内容が古びることはない。

とはいえ、まだいわば黎明期だったインターネットの本質を、2001年当時にここまで的確に見抜き、今ようやく人々が気づき始めた社会の大変革をすでに予見していた、というのはまったく驚きである。本当に頭がいい人なんだなあ。

さて、ではどんなことが書いてあるのか。まずインターネット的なものの大きな特徴として、三つ挙げてある。リンク、シェア、フラット。加えてもう一つ、グローバル的。

たったこれだけである。まあ確かに他のメディアに比べて新しい特徴かも知れないが、そう大したことのようには思えない。ところが、これが十数年後の現在、メディアと情報流通のあり方を変え、さらには社会の仕組みすらひっくり返そうとしている。

リンク、シェア、フラットの言葉の意味は大体分かると思うので省くが、要するにこれらの特徴を持つインターネットとテレビ雑誌新聞という従来型メディアとの違いは、紙面や時間が限られていないのでコンテンツを編集しなくていい、まるごと発信できる、ということ。いくらでもディテールに深入りできる。

かつ、緩い関係の情報同士でリンクを張れば、情報の網目は無限に広がっていく。その広がりは、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の思わぬ展開をもあらかじめ内包している。たとえば観光旅行に行こうと思った人がインターネットで情報収集し、パリ観光>おいしいクロワッサン>料理学校>体験入学、みたいな経緯をたどって料理学校に体験入学することになった、みたいなハプニングが起きることだってある。

これによって情報社会のあり方が変わり、ひいては消費の形も変わる。つまり、これまで世の中でヒットするものはブランド価値が決まっているか、あるいは勢いがあるものに限られていた。「旬だ」とか「旬じゃない」というのがこれである。そして必然的に、「面白い」とされるものがものすごいスピードで消費されていく時代だった。

しかし、と糸井氏は言う。そんな時代にだって、実は面白いのに評価されていないもの、勢いがなくても豊かなものがたくさんあった。紙面の制限やらなにやらで受け手に届かなかっただけである。インターネット的なるものでは、それらを拾い上げることが可能になる。勢いで大量生産、大量消費されない形のビジネスが可能になる。

また、いわゆるヒットするもの、売れるものの構造も変わる。これまで多くの人々は仕事や私生活で忙しいので、たとえば面白い映画を観よう、いい音楽を聴こうと思ったら「売れているものランキング」を参考にした。そして「売れているものランキング」を作っていたのは、ひとつずつチェックする時間を持っている暇な人々だった。ゆえに、市場の動きは暇な人々が作っていた、と言える。

が、インターネット的なものはこれを壊す。リンク、シェア、フラットが特徴のインターネットにおいては、情報は網羅的でなくとも良いし、選択肢は一様ではないし、優先順位をつけなくても良い。そもそも、私たちはもう優先順位付けに疲れている。膨大な情報の中から選択肢を拾い上げて、どれを拾ってどれを捨てればいいのか判断するのは大変な労力だ。一部には早々に諦めて、氾濫する情報に耳をふさぎ、狭い世界に閉じこもってしまう人もいるが、それはそれで問題がある。

しかしながら、リンク、シェア、フラットのインターネット的世界では、網羅的にやってヘトヘトになるでも、情報に耳をふさぐでもない、第三のアプローチが可能になる。あるものに関心を持ったら、もっといいものを探したり待ったりせずにすぐ試してみればいい。当たったらオーケーだし、間違ったらまた違うものを、何度でも試す。

たとえばある映画を面白そうだと思ったら、「他にもっと面白い映画があるかも」「ネットの評判はどうだろう」などと時間をかけてチェックすることは止めて、すぐ観に行く。そして面白くなかったら「今回は外れたな」と学習し、次に面白そうなものをまた観に行く。これだったら外れても大して痛くないし、そもそも映画を観たかったんだから丸ハズレにはならないはずだ。

この第三の方法については糸井氏も、まだ自分でも確信はないが、と断りを入れている。ただ、こういうやり方がいいような気がする、ということだが、要するにこれは「事前に下調べをしてから動く」ことの否定、つまり「情報を集めれば集めるほどより良い結果が得られる」という過去の考え方の否定、ないしそれに対する懐疑である。

リンク、シェア、フラットのインターネット的世界では情報量に際限がなく、優先順位もなく、そのかわりハプニングが起きやすい。こういう世界では、未熟でもいいから早く恐れず試すことが大事になる。要するにどんどんトライアル&エラーしろ、ということだ。網羅的に情報を集めてじっくり見定めて、なんて方法論はどんどん非効率になっていく。

そして、そういうインターネット的な生き方においては、自分がやりたいことは何なのか、を探すことがもっとも大切で、かつ難しいことになる。それができれば、あとは失敗はあり得ないとさえ言える。

言葉を変えると、インターネット的世界ではどの映画が面白いか、どの商品がお買い得か、どの会社に就職すべきか、みたいな選択肢を考える以前に、そもそも自分は人生で何をしたいのか、どんな価値を求めているのか、の見極めが重要になる。言い換えれば、自分が生きていく上でのプライオリティが問われている。

なんだか壮大な話になってきた。そんな大きな選択は大変だ、とても決断できないよ、という人もいるだろうが、そんな人に対しては糸井氏はこうも言っている。選択に迷ったら、「どっちでもいいんじゃないの?」

なんじゃそりゃ、と思われるかも知れないが、私の解釈はこうである。どうやらインターネット的世界においては、人間が物事を予測したり結果をコントロールする、またはコントロールすべき、という考え方を、ある程度捨てなければならないようなのだ。偶発的なもの、ハプニング的なものが豊饒さにつながっていくのである。

更に論考は続く。こうしたインターネット的なるものの登場は、社会のあり方を次のステージに移行させる。糸井氏はこれを生物組織に例えていて、食うことが第一だった時代は内胚葉時代(口と腸ができる)、ものを作る工業化社会は中胚葉時代(食い物を得るために筋肉をつける)、そして情報化社会は外胚葉時代(脳と脊髄が発達する)と称している。ところが今の社会では、脳が発達し過ぎて体がついていかなくなっている。では、次に来るものは何か?

糸井氏はそれを、魂を満足させる社会ではないか、と言っている。そしてそれを実現させるのが、インターネット的なるものなのである。

本書の大筋は大体こんなところだが、その他細かいところでも面白い論考がたくさん出てくるので、そのいくつかを紹介して終わりにしたい。まず印象的だったのは「正直は最大の戦略」という一節。

これはどこかの動物学者が実験して導き出した科学的な結論らしいが、糸井氏はこれを聞いて救われたような気になったという。どういうことかというと、一般的にはなんとなく「正直者はバカを見る」「ズルがしこく立ち回る奴が結局は得をする」と思われている。勝負事にしても、「フェアに正々堂々と」なんて言ってるお人よしは、勝つために汚い手を使う奴にはかなわないと思われている。

が、実はそうではない。長い目で見れば、正直に振る舞うプレイヤーの方が勝つ確率が高いというのだ。科学的に実証されたのだから間違いない。正直者の皆さんには朗報である。

それから、インターネット的なるもののたとえとして面白く、かつ興味深かったのは、インターネットはエレキギターのようなもの、というくだり。たとえば学校の音楽の成績は最低だった奴が、エレキギターを持ったらすごいギタリストになった、というようなことがある。インターネットでも同じようなことが起きるだろう、と糸井氏は言う。

つまり、従来メディアの価値観では売り物にならない、評価されないようなものが、インターネットという場の作用ですごいものに化ける、ということが起きる。糸井氏がこれを言ったのは2001年だが、皆さんどうですか。そういうものに心当たりありませんか?

とても内容を全部は紹介しきれないが、まだまだ啓発的なアイデア、示唆に富む文章が詰まっている。上に書いたことのどれかが琴線に触れた人は、本書を手に取って読んでみることをおススメします。

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