『ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー』 ロン・ハワード監督   ☆☆

去年映画館で観たが、Netflixで観れるようになったので再見。この映画は思ったほど売れず、そのせいでスターウォーズのスピンアウト作を毎年リリースする計画が白紙に戻ったという、いささか不名誉ないわくがついた映画である。が、実は結構イイよという人もいて、毀誉褒貶が割れているようだ。

私の意見を言わせてもらえば、やっぱりこれは失敗作だ。ハリウッドのSFアクション作としては水準かも知れないが、スターウォーズ・シリーズというビッグバジェット作、かつ人気シリーズの世界観と豊富なキャラを活用できるメリットを考えれば、とても「よくできました」とは言えない。『ローグ・ワン』が傑作だったのでハードルが上がっていた点を考慮しても、やっぱり失敗と言わざるを得ない。

理由は大きく二つある。一つは言うまでもなく、ストーリーの出来が残念すぎる。新鮮さ、斬新さ、オリジナリティがほとんど感じられない。どのエピソードも既視感バリバリで、ステレオタイプなプロットの流用、つぎはぎと言われても仕方がない。だからまったくハラハラしないし、驚きも興奮もない。なんとなく、ハリウッドのSFアクションてこんなだよね、という凡庸なエピソードがだらだらと続く。

そしてもう一つは、この企画の根幹にかかわるものだが、要するに主人公がどう考えてもハン・ソロじゃない。少なくとも、オリジナル『スター・ウォーズ』つまりエピソード4に颯爽と登場した、あのハン・ソロを思わせるところがほとんどないキャラになっちゃってる。名前だけ一緒にしてもダメなのである。

人気キャラのハン・ソロの若い頃を描けばヒットするだろう、という企画はまあいいとして、それならばあのハン・ソロのキャラクターを全篇にフィーチャーしなければならない。名前と設定だけハン・ソロにすればファンは喜ぶだろう、というのはファンをバカにした態度だ。そんな簡単な話じゃない。この企画を成功させるためには、何よりもこれを観たファンに「これこそまさにハン・ソロだ!」と思わせなければならなかったのである。

ところがどうだろう、この映画の主人公は一人の娘を一途に思い、パイロットを夢見てアウトローの舎弟になり、まわりから「キッド(小僧)」などと呼ばれるような、純情熱血青年である。これのどこがハン・ソロなのだろう。アウトローという設定だけでハン・ソロになるわけではないのだ。

いや、若い頃の話だから後年のハン・ソロとキャラが違うのは当たり前だ、というなら、それはもうハン・ソロをフィーチャーした映画ではない。ハン・ソロになる前の見知らぬ誰かの映画である。それではダメで、あのハン・ソロをそのまま主役にするべきなのだ。

ハン・ソロの魅力とは何か。まず第一にルークやオビワンのような優等生キャラにはない不良性、アウトローとしてのたくましさ、非情さ。危ない橋を度胸ひとつで渡る賞金首であり、エピソード4初登場時に印象的だったように酒場での撃ち合いも辞さず、敵を殺して顔色一つ変えないタフな男。

そしてもう一つが愛嬌。大ぼら吹きで誰にでも喧嘩を吹っ掛け、打算とがめつさのカタマリなのにどこか憎めない。徹底した自己チュー野郎と見せかけて、その奥に実は熱いハートを秘め、ギリギリのところで思いもかけずヒロイックな行動に出る、この意外性。これらがハン・ソロの魅力だろう。

で、そういう魅力が本作の主人公の「キッド」にあるだろうか? いや、まったくない。

ディカプリオみたいな俳優が、しゃべり方やしぐさだけ似せてもダメなのである。パイロットに憧れ、年長者に弟子入りし、チームワークでミッション遂行。ルークとどこが違うのだろう。大体まわりの大人から「キッド」などと呼ばれて、従順に言いつけに従って動くような青年がハン・ソロであるものか。主演俳優もミスキャストだった。ニヒルっぽく振る舞っているが、どうしても少年っぽさが抜けない。

ハリソン・フォードがあまりにハマっていたのでキャスティングが難しいのは分かるが、たとえば『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』の冒頭に登場したリバー・フェニックスは、ハリソン・フォードの若い頃の雰囲気、つまりニヒルさと愛嬌のミックス感が出ていた。ああいう俳優は見つからなかったのだろうか。

私は筋金入りのスターウォーズ・ファンではないが、やっぱりハン・ソロが主役をつとめるスピンアウト作なら、クールで、したたかで、利己的で、憎まれ口を連発し、時々マヌケで、そのくせここぞというところでカッコよく決めるハン・ソロを見たかったよ。

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