『万引き家族』 是枝裕和   ☆☆☆★

米国のiTunesでレンタルできることを発見し、さっそく鑑賞。英語のタイトルは「Shoplifters」。パルムドールを獲ったし、大好きな是枝監督作品ということで期待して観た。結果、なかなか見ごたえはあったが同時に「うーんこれはどうだろう?」と思うところもあって、個人的には微妙だった。もう一回観たいとは、あんまり思わない。

もちろん世間的には大傑作と認知されているわけで、こんなことを言うとお前の感性がニブイんだと言われそうだが、まあ少数意見があってもいいだろう。なるべく分かりやすく、私がそう思う理由を書いてみたい。

これは『誰も知らない』『そして父になる』に連なる系統の作品だと思う。この系統の特徴をざっくり言うと、「家族」のあり方への問いがある、ヒューマンな感動エピソードがある、社会問題が盛り込まれている、などである。特に目立つのは家族というものへの問いがテーマになっていることで、『誰も知らない』では子を捨てる親を描き、『そして父になる』では血のつながらない子を育てる親を描き、『万引き家族』では血のつながらない疑似家族を描いている。

『万引き家族』のプロットを要約すると、世間的には犯罪者一家、おばあちゃんの年金目当ての疑似家族、というけしからん連中の暮らしの中に、実はあったかい家族の絆みたいなものがあった、という話である。そこにはもちろん、血がつながってさえいれば本物の家族なんでしょうか、との問いかけがある。さらに現代の社会問題、たとえば貧困問題だとか虐待だとかが盛り込まれている。家族の絆あり、問題提起あり、社会性ありという、賞を獲るべくして獲ったような内容である。

が、そもそもの話として、「家族とは?」なんて問いに意味があるだろうか。なんだか高尚めいて聞こえるが、実は大して中身のない、面白味のない問いのように思える。血が繋がってない親子は現実にいくらでもいるし、それぞれの事情に応じて幸福な家庭になったり、不幸な家庭になったりする。それは血の繋がった親子と何も変わらない。だとすれば、血の繋がらない疑似家族に家族らしい幸せな時間があったとして、それが新しい発見だろうか。

貧乏な育ての親と裕福な生みの親のどちらと暮らすのが子供にとって幸せか、というストーリーは、大昔からお涙頂戴ものの定番である。すでに手あかがついていると言ってもいい。この映画の骨格は、そのバリエーションとも言える。

また、極端な話、どんな映画だって「○○とは?」と問いかけている、と言うことだってできる(○○には好きな言葉を入れて下さい)。たとえば、フェリーニの『道』において、ザンパノとジェルソミーノは「家族」なんだろうか? これは本作の「疑似家族は家族か?」以上に難しい問いだと思うけれども、にもかかわらず、『道』は別に「家族とは?」を問う映画ではない。この二人の関係を踏まえて繰り広げられる、ザンパノとジェルソミーノの物語、つまり登場人物たちの具体的なアクションが映画の感動を生み出す。

何が言いたいのかというと、「家族とは?」なんてテーマは実はどうでもいいことであり、テーマとしても陳腐だ、ということである。家族でも疑似家族でもなんでもいいから、そこでどんなドラマを展開するかが問題だ。

では、この映画ではどんなドラマが展開されるのか? 本物の親が虐待した少女を偽装家族が救ってやって、愛情を注ぐ、というドラマである。一家が少女に水着を買ってやったり、波打ち際で手をつないで笑い合ったりする。エピソードとしては結構ベタな部類で、誰がどう考えても、本物の親に虐待されるよりこっちの方がいいに決まっている。これで「本物の家族って何でしょう? 考えさせられますね」と言われても、私にはどうもピンと来ない。いや、もちろんいい話なんだけどね。

つまり、「家族」を掘り下げるためのストーリーが安直だし、あざといし、凡庸なヒューマニズムの域を出ない。これは是枝監督の他の作品でも感じることだが、彼はストーリーを組み立てることや、コンセプトを発展させることはあんまりうまくない。彼がうまいのは日常的ディテールの精緻な描写であり、そこから詩情を生じさせることだ。

従って、本作の美点ももっぱらそこにある。つまり映像の美しさ、芝居の生々しさ、自然さであり、そこから生じる情感とニュアンスである。それについてはさすがに手堅く、是枝監督のテクニックは確かだ。映画としての多義性もちゃんとあり、あからさまなお涙頂戴にはならず、ヒューマンな心暖まるエピソードとともに一家のダークサイドも描かれ、観客を適度に惑わせる仕掛けになっている。

そういう意味で、皮肉を込めていえば、本作は非常に八方美人的な、色んなところ(海外の映画祭含め)への配慮が行き届いた映画だとも感じる。

特にこの映画で評判なのは役者の芝居の素晴らしさで、その点に異論はない。安藤サクラはケイト・ブランシェットに「彼女のお芝居、特に泣くシーンの芝居がとにかく凄くて、もし今回の審査員の私たちがこれから撮る映画の中であの泣き方をしたら、安藤サクラの真似をしたと思ってください」と激賞されたらしいし、是枝監督は「みんな素晴らしいんですけど、サクラさんの泣くシーンは、現場でカメラの脇で立ち会っていても『特別な瞬間だ』と思った」と言ってやはり絶賛している。それ以外でも樹木希林は安定の凄みを見せつけるし、松岡茉優は体当たり演技を披露している。

しかしですね、だからって映画が傑作になるものだろうか。映画って演技力の品評会でしたっけ? もちろん演技は映画の重要な要素だが、本来、演技はストーリーに説得力を持たせるためのもののはずだ。ストーリーそっちのけで役者の演技を褒めるのは、曲の音楽性そっちのけで「ギターソロの速弾きがすげえ!」と興奮するギターキッズと同じではないだろうか。役者がどれだけいい演技をしても、物語や脚本が面白くなければ意味がないと思う。

まあ、私はもともと「渾身の演技」みたいなものにさほど惹かれず、むしろブレッソンやカウリスマキ、あるいは初期の北野映画みたいなマリオネット式演技を好む人間なので、偏った意見かも知れない。が、やっぱり映画は脚本と演出だと思う。

その観点で言うと本作は、犯罪者が集まって家族のふりして暮らしているというアイデアは悪くないが、そこで開き直って面白いプロットで勝負するのではなく、「家族とは?」みたいな大して面白くないテーマ性を志向し、そのために凡庸なヒューマン・エピソード主体となってしまったことが、個人的に微妙と感じた理由である。

ぶっちゃけ「演技や映像はいいけど、肝心の話があんまり面白くなくね?」と言いたいのである。しかしネットを見ると大多数の日本人が感動したらしいので、やっぱり私がニブイのかも知れない。昔から「ヒューマニスティックな感動を呼ぶ」とか、「泣ける」と言われる映画を観て、面白いと思ったことがあんまりないもんなあ。

日本人が獲ったパルムドールとしては今村昌平監督『うなぎ』以来らしいが、どう考えても『うなぎ』の方が圧倒的に面白いと思います。

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