『汚名』 アルフレッド・ヒッチコック監督   ☆☆☆☆☆

なぜかiTunesにもアマゾン・プライムにもレンタルがないので、英語版ブルーレイを購入して久しぶりに鑑賞した。主演はケーリー・グラントとイングリッド・バーグマン。1946年公開のモノクロ映画で、ヒッチ映画としては『白い恐怖』のあと、『ロープ』の前ぐらいの作品である。

父親がスパイ容疑で有罪になったアリシア(イングリッド・バーグマン)は、FBIエージェントのデヴリン(ケーリー・グラント)の要請でアメリカ情報部に協力することになる。デヴリンとアリシアは一緒にブラジルに飛び、ふたりは恋仲になるが、アリシアには父の友人だった元ナチス幹部セバスチャンに近づく任務が与えられ、やがてセバスチャンはアリシアに求婚する。アリシアは任務のためにセバスチャンと結婚し、セバスチャンの邸宅で行われる元ナチスの会合の情報をアメリカ情報部に流す。ところがセバスチャンがアリシアの正体に気づき、彼女の身に危険が迫る…。

バーグマンは当時30歳ぐらいで、まさにその美貌の絶頂期にある。輝くばかりの美しさだ。優雅なドレスに身を包むバーグマンがサンパウロの豪邸内にたたずむ、この絵だけで眼福である。Wikipediaによれば、このアリシア役は『カサブランカ』のイルザ役と並んでバーグマンが演じたもっとも有名な役と言われているらしいが、映画界の至宝バーグマンの燦然たる輝きを心ゆくまで味わえることが、この映画の大きな魅力であることは間違いない。

そして相手役のケーリー・グラントはヒチコック映画の常連だが、この映画の中の彼はいつに似ずシリアスで、暗い。いつもはヘラヘラと調子よく、平気で嘘ばかりつくプレイボーイ役が多いグラントだが、この映画では大体深刻な憂い顔をしている。これがなかなか良い。表向きはにこやかに社交的だが、実はスパイの仕事とアリシアへの愛の板挟みになっている。悩めるスパイの役だ。それにアリシアが絶対絶命になった時に颯爽と救出に現れるのもかっこいいぞ。頼りになる男である。

この大スター二人の共演の華やかさは見ものだが、ヒッチコックのストーリーテリングも冴えている。冒頭、アリシアがパーティーで酔っ払い、デヴリンとドライブに出かけるあたりからサンパウロへの旅まではちょっと長くてかったるいが、いったん任務が始まってからは惚れ惚れするような出来だ。豪邸、ワインセラー、鍵、シャンペン、ティーカップと、豪奢で意味ありげなアイテムの氾濫。それらとともに繰り広げられる裏切りと陰謀。そして任務のために愛を押し殺す、バーグマンとグラントの苦悩。

随所でサスペンス職人ヒッチコックの手腕が発揮される。例えばワインセラーの鍵を盗む場面。ワインセラーに何かあるとめぼしをつけたデヴリンは、アリシアに鍵を盗むよう指示する。アリシアはセバスチャンの隙を見て鍵束から鍵を抜き取り、掌に隠す。直後にセバスチャンがやってきて彼女を抱擁し、彼女の手を掴んで指を絡めてくる。細かいところがいちいちスリリングだ。

そしてもちろん、ワインセラーを調べる場面。パーティーの夜、デヴリンは合鍵を使ってワインセラーに忍び込む。シャンパンが足りなくなったらセバスチャンがワインセラーに降りてくるというので、アリシアはシャンパンの残り本数に気を配る。思った以上のスピードで、どんどんシャンパンがはけていく。アリシアは気が気ではなく、観客もハラハラする。ついにシャンパンがなくなり、セバスチャンと執事がワインセラーへの階段を降りてくる。デヴリンはまだ脱出できない。このシーンのハラハラ度はハンパない。

アリシアがスパイと感づかれてからは、毒を盛られる恐怖がそれにとってかわる。これは怖い。アリシアの体調がだんだん悪くなってくる。毒を盛られていることを知っている観客はぞっとするが、デヴリンも、アリシア本人ですら、それに気づかない。そしてついにアリシアがそれを悟る衝撃的なシーンでは、ティーカップとセバスチャン母子の視線の交錯が巧みに使われている。

脚本もよく出来ているが、本作ではとにかく映像編集による暗示と仄めかしが冴えている。ヒッチコックの神髄を味わえる、と言っていいだろう。

それに加えて、ラストの力強さ、不気味さもこの映画の余韻を三割増しにしている。非常に大胆な終わり方で、主役のアリシアとデヴリンは車で去るだけ。その後二人がどうなったのかは一切分からない。映画を締めくくるのは悪役のセバスチャンである。普通なら健康を回復したアリシアか、デヴリンとアリシアが結ばれたことを暗示するショットを入れ、観客を安心させてから終わるのではないだろうか。しかし本作ではそういうものをばっさり省き、セバスチャンを待ち受ける昏い運命の暗示をもって結末としている。

サスペンスの巨匠と呼ばれるヒッチコックだが、正攻法のスパイ・スリラーものは意外と少ない。このフィルムはノワール感、スリルとサスペンス、豪奢で国際的な舞台装置と三拍子揃ったところへ、メランコリックなおとなの恋愛劇を絡め、更に大スターの競演で観客を酔わせる。この上なく華やかに彩られた、不安に満ちた不気味な物語。スパイ・スリラーものの決定版と言っていいだろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。