『カササギ殺人事件(上・下)』 アンソニー・ホロヴィッツ   ☆☆☆☆☆

うーむ、これは近年稀にみる大傑作かも知れない。前評判の高さは知っていたが、ここまでとは思わなかった。アマゾンの作品紹介やカスタマーレビューを読むと「アガサ・クリスティーを思わせる古き良きミステリ」とあるので、今時珍しい黄金時代の香り、つまりクリスティーのパスティーシュ的な味が受けているのであって、当然ながら本家クリスティーには及ばず、現代ミステリの傑作と肩を並べるものでもないだろうと思っていた。

ところがどうだろう、「古き良きミステリ」の香りはあくまで装いであり、その実体はクリスティーも書いたことがないようなメタフィクショナルな仕掛けの上に、偏執狂的なまでに入り組んだリンクが縦横に張り巡らされた、すさまじく巧緻なパズル小説だった。まるで黄金時代から現代までのミステリのおいしいとこ取りしたような、恐るべきミステリ小説である。

まず、構成が凝っている。あまり説明するとネタバレになってしまうかも知れないが、これぐらいならいいだろう。名探偵アティカス・ピュントが登場する「カササギ殺人事件」は作中作のタイトルで、アラン・コンウェイという作家が書いたばかりの小説、そして語り手「私」はその原稿を読む編集者、という設定で小説はスタートする。そして、この作中作がそのまま上巻の内容となる。イギリスの村で家政婦が事故死し、その後その主人が殺される。これは連続殺人事件なのか?

ロンドンからやってきた名探偵アティカス・ピュントとその助手は村で調査を開始するが、村の誰もが動機を持ち、村の誰もが怪しい振る舞いをする。加えて大昔に溺死した子供、池に捨てられていた盗難品、秘密の日記、脅迫状など、事件は混迷の様相を深めるばかり。が、ついにアティカス・ピュントが犯人の正体を知ったと宣言した時、上巻が終わる。

下巻に入ると、今度は編集者「私」の物語となる。作中作の原稿には謎解き部分が欠けているのだ。不審に思っている私のところへ飛び込んでくる、作家アラン・コンウェイ自殺のニュース。本当に自殺なのか、そして原稿の残りはどこにある?

「私」はコンウェイの住む村へ赴き故人の周辺を調べるが、ここでまた驚くのは、「カササギ殺人事件」とコンウェイの死は密接に関連しており、ほとんど双生児的な様相を呈していることである。要するに、小説の舞台や登場人物に作者コンウェイが周囲の町や人をモデルとして使っているため、二つの事件は似通っていると同時に微妙に違う。この「相似」と「ズレ」が読者を混乱させる。

しかも、カササギ殺人事件はその外側に存在するコンウェイ事件にパズルの一ピースとして包含されている。原稿に結末部分が欠けている、というのがそもそも「私」が事件に巻き込まれていくきっかけなのだ。加えて、原稿の紛失は謎解きを最後までひっぱるためのテクニックだなと思っていると、それだけではなく、「カササギ殺人事件」という小説中のあるものが作品の外側の事件のあるものに利用される、という離れ業的にメタフィクショナルな仕掛けが施されている。

このような構成上の離れ業に加え、それぞれの事件もひどく込み入っていて、また謎解きも巧緻だ。数多くのレッドへリングがちりばめられ、ありとあらゆる登場人物が怪しく思えてくる。どうやってこれを回収するのか不安になるが、結末の謎解きではすべてきれいに収束する。

その際のレッドへリングの処理方法は確かにアガサ・クリスティーを彷彿させる手法だし、またアティカス・ピュントの推理方法もポアロ的だ。ピュントは人々の会話の断片や不思議な事実の断片をつなぎ合わせて、一つの筋の通ったシナリオを作り上げていく。彼の方法はポアロと同じく巧みな「推測」であってロジックには欠けるが、しかし一つの仮説を導入することで、混沌とした状況を明快に整理してしまう手並みはやはり鮮やかだ。

さらにさらに、本書にはさまざまな贅沢な遊びも投入されている。筆頭はコンウェイのミステリ作法として紹介されるアナグラムや、登場人物の名前の付け方に関するルール。正直、アティカス・ピュントの名前の秘密を知った時は唖然となってしまった。それからまた、編集者である「私」が語るミステリ論。実在の作家の名前に言及しつつ、ミステリ・ファンの心理をくすぐりながら物語のスパイスとして機能する。作家だけでなく、シャーロック・ホームズやモリアーティ教授、ひいてはスカーレット・オハラの名前まで出てくる。

読者を楽しませようとするサービス精神も旺盛で、作中作「カササギ殺人事件」とその外側のコンウェイ事件ともに、謎解き前に読者代表としての「私」の推理を挿入するなど、読者の関心を最大限に高めるための工夫がされている。これだけ盛り込めば、上下二巻の大作になるのも当然だ。

この、クリスティーのパスティーシュとしての完成度の高さ、巧緻なパズル、メタフィクショナルな仕掛け、アナグラムその他の記号論的遊び。しかもこれだけ盛りだくさんに詰め込んだにも関わらず、全体を包み込むかぐわしき黄金時代ミステリの芳香。

「古き良きミステリ」という装いからは想像しにくいかも知れないが、これは実のところ『薔薇の名前』並みに高度な仕掛けと企みに満ちた、驚くべきミステリ小説なのだった。ミステリ・ファンは絶対に読み逃すべきではない。

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