90年頃のニューヨークで私が遭遇した、ちょっとした出来事について書きたい。まだ私がアメリカに来たばかりの頃の話だ。

ある週末の午後、私は友達の女性二人と一緒にイースト・ヴィレッジの映画館に行った。なんの映画だったかはもう覚えていないが、ハリウッド製の他愛もない娯楽映画だったと思う。ヴィレッジはいつものように若者たちでごった返していた。

(若者たちでごった返すイースト・ヴィレッジの光景)

映画を観たあと路上に出た私は、連れの二人とちょっと離れた場所でタバコに火をつけた。当時私はまだタバコを吸っていたのです。すると、20代後半か30代はじめぐらいの白人の男が近づいてきて、道を尋ねるような気さくな調子で私に聞いた。

「中国人の小さな女の子(Chinese little girl)を見なかったかい?」

心当たりがなかった私は、「いや、見なかった」と答えた。するとその男は、まるで打てば響くように「ただ聞いているだけだよ(I’m just asking)」と言うのである。私の顔を見ながら。

私は、一瞬ぽかんとなって彼の顔を見つめた。意味が分からない。ちょっと首を傾げて、また答えた。「中国人の小さな女の子は、見ていない」
すると再び彼が言う。「ただ聞いているだけだよ」

なんだこれは? 私はすっかり困ってしまった。青年は私の顔を淡々と、ごく当たり前のことを聞いているだけ、という風に見ている。

人を探しているにしてはまったく周囲を見ないのが変だったが、ちょっとカールした金髪を無造作に伸ばし、穏やかで知的な目をした彼は喋り方もとても感じが良くて、アイビーリーグの大学生みたいな雰囲気を漂わせていた。まだアメリカに来て間がなかった私は、これはきっと自分の英語力の問題だ、と思って慎重に問い返した。

「えーと、君は中国人の小さな女の子を探してるんだよね?」
「そうだよ」
「なるほど。とすれば、ぼくは、中国人の小さな女の子には心当たりがない」
「ぼくはただ君に、聞いているだけだよ」

もはやお手上げだった。私はどこかこの近くにいるらしい、中国人の小さな女の子の幻を探し求めて絶望的にあたりを見回したが、結局肩をすくめてこう言うしかなかった。「本当にぼくは知らないんだ」

すると青年は優しげな目で私を見ながらうなずき、「オーケー、とにかくありがとう」と言って私に右手を差し出した。「ぼくの名前はジムだ」

こんなことで名前を名乗って握手を求めるのはかなり奇妙なことのような気がしたけれども、とにかく私は彼と握手をした。彼は軽くうなずいて、雑踏の中に歩み去っていった。最後まで彼の態度は感じが良かった。

さて、それまで私と彼のやり取りを離れたところからじっと眺めていた友達の女の子二人が近づいてきて、興味津々という顔で聞いた。「一体なんだったなんだった?」

「いやー、それが良く分からないんだけど」と私が会話の内容を説明すると、一人が勢いこんで言う。「それはきっとゲイの暗号だよ! ゲイの男の人が気に入った男の人に声をかける時に、小さな中国人の女の子を見なかったかと聞いて、見たっていうとオーケーっていう意味になるとか、そういうことだよきっと!」
「うーん、しかし、そんな風には見えなかったなあ。どっちかという感じがいい、普通の青年だったよ」
「その感じがいいっていうのがもうゲイなんだよ!」

そうだそうだ、そうに決まっている、と盛り上がる二人をよそに私は半信半疑だったが、あの不思議なやり取りを思い出すと確かにそんな気もする。

というか、今となってはおそらくそうだったのだろうと思う。だとすると、そういう方面の方に声をかけられてしまったということにもなかなかに微妙なものがあるが、まあそれは深く考えないようにしておこう。東洋人の男性は実年齢より若く見えるので、そっち方面の方々に好かれやすいという話もある。

とにかく当時まだニューヨークに来たばかりだったということもあって、あの時の青年との不思議なやりとりは、いまだに鮮明な記憶として私の中に残っている。

それにしても、一体なぜ「中国人の小さな女の子」なのだろう?

この話はこれで終わりだが、もしあなたがあっちの世界に興味があるなら、ニューヨークの道端で誰かに「中国人の小さな女の子を見なかった?」と聞かれた時には、見たと答えてみるといい。もしかすると、未知なる世界への扉が開くかも知れない。

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