(写真はホーボーケンの通りの光景。こんな感じのアパートが立ち並んでいる)
ニューヨーク近郊でアパートを借りる時は、大家に気をつけた方がいい。と言っても気のつけようもないかも知れないけれども、少なくともアメリカには日本では考えられないようなとんでもない大家がいることを認識して、契約前に会う機会などあれば、人となりを一応チェックした方がいい。
1994年か95年頃、私はニュージャジー州ホーボーケンというマンハッタン郊外の町にステューディオを借りて住んでいたが、そこの大家がモディという名前のインド人だった。モディは色が浅黒く、痩せていて、背丈は160センチぐらい、頭髪はバーコード気味で、目がギョロっとした、40代ぐらいの中年男性だった。片腕が義手で、肘のところで直角に曲がった孫の手そっくりの木製の腕が半袖シャツから突き出している。義手にどんないわれがあるのかは知らない。
以前、知り合いの日本人不動産エージェントが「インド人の大家さんはクセがある人が多いんですよ」と言っていたが、私はその言葉の意味をモディに思い知らされることになった。
まず、アパートを借りて一か月ぐらいたった頃のこと。外出から戻ってくるとドアの鍵があいている。驚いてドアを開けると、私の部屋の真ん中にモディとハンディマンらしき男が立っている。
「やあ」とモディは平然と私に挨拶をし、そこにいるのが当たり前みたいな口調で言う。「ちょっとメーターを調べてるから、10分ぐらい時間をくれよ」
状況が良く分からないまま、私はいったんアパートを出て、近所で買い物をしてまた部屋に戻った。モディとハンディマンはもう帰ったらしく、誰もいない。部屋の中に特に異状はない。しかし私は心穏やかではいられなかった。
もしかしたら、アメリカでは大家はテナントの部屋に自由に出入りできるのだろうか、と思って調べたが、当然そんなことはない。レントであっても契約して賃料を払っている限り、そこはテナントのプライベートな空間であり、他人が勝手に侵入してはいけないことになっている。
まだ入居したばかりで大家ともめたくはなかったが、こんなことが続くとイヤだと思ったので、モディに電話した。「さっきぼくの部屋で何をしていたんですか?」
「うん、ちょっとメーターを調べていたんだ。アパート全体の電気メーターが君の部屋の中にあるんだよ」
このメーターの話もまったく初耳だった。ちなみに私はこの後、モディがビルの管理人室みたいな部屋を私に貸したのではないかと疑うに至るのだが、この時点ではまだそこまでは思わない。ただイヤな気がしただけである。
「つまり、今後もぼくの部屋に入る必要があるということですか?」
「そうだよ。それがどうかした?」
「いや、勝手に部屋に入られるのは困ります。必要な時は、せめて事前に連絡して下さい」
「ああ、分かった。じゃあ次からそうするよ」
電話を切ってからも釈然としない気分だったが、留守中の部屋にハンディマンやケーブル会社の人間を入れるのはままあることなので、まあいいかと思い直した。家賃は安いし、これぐらいなら我慢しようと思ったのである。
が、これはまだ序の口だった。
数か月が過ぎ、アメリカ東海岸に冬がやってきた。冬の寒さが厳しいニューヨーク州やニュージャージー州のアパートには、ヒーターを備えつけることが法律で義務づけられている。私のアパートには電気ヒーターがついていた。これはガスほど暖かくないが、冬の始まり頃であれば十分だ。
でもこれだけじゃ真冬になったら寒いので、ガスストーブでも買おうかな、と考えていたある日、朝目を覚ますと、部屋の中が冷え切っている。ほとんど外と変わらない寒さだ。ふとんにくるまっていても自分の吐く息が白く見える。手を伸ばして壁のヒーターに触ると、熱を発しているはずの金属部分が冷たくなっている。
これはえらいことだ。が、とりあえずどうしようもない。私は歯を食いしばってふとんから抜け出し、ガタガタ震えながらスーツに着替え、通勤の支度をし、家を出た。会社に着くとさっそくモディに電話した。ヒーターが止まっていると告げると、モディは例の軽い調子で、「ああ、分かった。すぐに直すから心配いらないよ」と言う。
その口調にイラっとしながら、私は尋ねた。「今日の夜、帰るまでに直りますか?」
モディが言う。「それは無理だ。修理人の都合がつかない。二日ぐらい待ってくれ」
二日もあのクソ寒い部屋で暮らせというのか、と叫びたくなったが、ここで喧嘩しても始まらないと思って我慢した。当然、その日の夜もアパートの中は極寒だ。私は部屋の中で外出用のコートとマフラーを着けたままテイクアウトのディナーを食べ、風邪をひきたくないので風呂にも入らず、予備の布団を全部引っ張り出して早々にベッドにもぐりこんだ。寒過ぎて、もはや何もできない。コートやマフラーを着込んで、真冬の道端に座っているようなものだ。くつろぐなんて到底無理だ。
だからその二日後、会社から帰ってようやくヒーターが直っていることを確認した時はものすごくホッとした。この安堵感、分かっていただけるだろうか。ところが、これは試練の終わりではなく始まりに過ぎなかった。
***
翌週、再びヒーターが止まった。今度はもっと寒い。私は怒りで目がくらみそうになりながら、再びモディに電話した。
「ああ、すぐ直すから心配ないよ」相変わらず軽い調子でモディが言う。私は苛立ちを隠せず、詰問口調になる。「先週直したんじゃなかったんですか?」
「直したとも。今日まで動いていただろう?」
「しかし、また止まりましたよ」
「だから、また直すよ」
「いや、そうじゃなくて……こんなにしょっちゅうヒーターが止まったら困ります。ちゃんと直して下さい」
するとモディは大きくため息をつき、まるでおとなが頭の悪い子供に言い聞かせるような口調で言う。「いいか、ヒーターは機械なんだ。だから故障することはあるんだ。それはしょうがないんだ」
「いや、それは分かるけど、こんなにたびたび故障するのはヘンでしょう」
「ヘンじゃないよ、機械なんだから」
「……じゃ、今度はいつまでに直りますか?」
「二、三日中には直るから、心配ないよ」
「いや、今の季節、二、三日もヒーターがなかったら体を壊しますよ!」
「じゃあ、とりあえずハンディマンに電気ヒーターを持っていかせる。だから心配いらない」
この頃になると分かったことだが、どんなことがあってもモディは絶対に謝らない。普通だったら「I’m sorry」か「I apologize」というところを、彼は「Don’t worry(心配するな)」と言うのである。まるで文句を言う方が心配性過ぎるんだ、とでも言うように。
その夜、50歳ぐらいの白人のハンディマンがやってきた。彼は部屋の中で説明書を読みながら電気ヒーターを組み立て、私はコートとマフラーを着込んだまま、それを黙って横で見ていた。やがて組み立てが終わり、電気ヒーターが赤く輝いて熱を発した。「これでオーケーだ」とハンディマン。
書類にサインし、ハンディマンが帰っていった後、私はひと安心してコートを脱ぎ、熱いシャワーを浴びた。シャワーから出てくると、電気ヒーターからモクモクとどす黒い黒煙が上がっている。尋常ではない光景だ。
「うわわ!」などと叫びながらあわてて駆け寄り、スイッチを切った。黒煙は止まったが、電気ヒーターのてっぺんが黒く焼け焦げている。どういうことだと思って使い方マニュアルを読むと、原因が分かった。取り付け方が間違っているのだ。
マニュアルに「取り付ける際は上下に注意」と太字で書いてあり、電気ヒーターの横の部分に「UP」と矢印マークがついているが、矢印は見事に床を指している。あのハンディマンは、上下を逆にして組み立てたのだった。私は慄然とした。火事にならなかったのはラッキーというしかない。
翌日、またモディに電話した。例によって「心配するな」を連発するモディに文句を言って、その日のうちに別の電気ヒーターを持ってこさせた。今回はハンディマンが組み立てた後、上下をチェックし、ちゃんと正しく熱を発することも確認した。
これでようやく臨時のヒーターが確保できたが、もうへとへとである。それに電気ヒーターでは真ん前に陣取って手をかざしていないと暖かくない。まともな日常を送るのは無理だ。結局、部屋のセントラル・ヒーティングが直ったのは、更にその二日後だった。
***
ここまで来ると、次に何が起きるかは大体予想がつく。12月に入って、またしてもヒーターが止まった。今回はご丁寧に、お湯も出なくなった。部屋のすべての蛇口から、凍るような冷たい水しか出ない。もはや我慢の限界だ。
私は家からモディに電話して、これまでにないきつい口調でクレームした。「今度はヒーターが止まって、お湯も出なくなった。いい加減にちゃんと直してくれ!」
「また直すから、心配するな」
「あのね、ぼくは心配してるんじゃなくて、凍えてるんだよ。今この瞬間も、寒くて死にそうなんだ」
「機械は故障するものだ。しかたないんだ」
「ここは故障し過ぎだろ」
「だから直すと言ってるだろうが」
頭の中で、ブツン、と堪忍袋の緒がきれる音がした。
「だったらさっさと直せ!(Then, fix it!)」と怒鳴り、電話を叩き切る。
すると10秒後にまた電話が鳴り、受話器を取るとモディの不機嫌な声。「お前の態度には問題がある」
「それ、冗談だろ?」ガチャン! 再び電話を叩き切る。
ちなみにおとな同士でこんなやりとりをするのは日本では珍しいことだろうが、アメリカ、特にニューヨーク近辺ではさほど珍くない。むしろ、割とよくあることである。アメリカに長く住んでいるとそれが分かる。
さて、翌日の午後会社にモディが電話してきて、ヒーターもお湯も直ったという。夜7時頃家に帰ってチェックすると、確かにお湯は出る。が、ヒーターは相変わらず動いていない。冷たいままだ。
うんざりしてまたモディに電話する。「ヒーターが動いてない」
「そんなはずはない。すぐ行くから待ってろ」
20分後、モディがやってきた。部屋に入ってきてヒーターに手を当てる。当然、冷たい。「動いてないだろ?」と私。モディはギョロっとした目で私の顔を見る。「お湯は出たか?」
「いや、お湯は出たけどさ――」
「良し!(Good!)」
そう言って満足げにうなずき、スタスタとキッチンへと去っていく。
何が「良し!」だ。この極悪大家は、何がなんでもI’m sorryと言わないつもりなのだ。私はもう怒るよりも、ぐったりしてしまった。体が軟体動物みたいにグニャグニャしてきて、その場にへたり込みそうになる。なんでおれアメリカに来てこんなことやってんだろ、と不条理感に圧倒されそうになる。インド人ってすげえ……。不本意ながら、そんな感情すら湧いてくるのだった。
結局その日もヒーターは直らず、モディはとぼけた顔で「心配するな」を連発しつつ帰って行き、なんとかヒーターが復活したのは翌日の夜だった。その後、故障の間隔は多少長くなったものの、いつ止まるか分からないという状態は春まで続いた。
ニューヨーク近辺で冬を過ごしたことのある人なら分かるだろうが、これは悪夢以外の何物でもない。
***
言うまでもなく、次の契約更新時に、私はこのアパートを出た。もう二度と、死んでもモディの顔を見たくなかった。モディにはこのヒーターの件以外でも色々な信じられない思いをさせられたが、それについては、またこのブログで紹介する機会があるかも知れない。
いや、それにしても、あの時のことを思い出して文章にしただけでも、どっと疲れてしまった。