いささかなりとも建築の歴史と驚異に興味をお持ちの読者諸兄ならば、十九世紀フランスの建築家ベルトラン・ベルトランの名を必ずやご存知のことだろう。この一文は、一時期ダ・ヴィンチに伍する天才建築家としてもてはやされ、やがていくつかの忌まわしい噂とともに歴史の闇へと消えていったベルトラン男爵の功績を、ごく手みじかに振り返るためのささやかな試みである。

1. 生い立ち

 彼はイール・ド・フランスの片田舎で生まれ、当時としても極端に牧歌的な少年時代を送った。十二歳になった時に厳格な家庭教師に嫌気がさし、家出をした。街道に出て馬車に乗り、パリを目指した。途中で林檎を盗んで果物屋に追いかけられ、ひどく殴られた。けがをした少年を気の毒に思った年寄りの役人は、彼を市立図書館に運んで控え室のベッドに寝かせた。そこの女司書がパートタイムの看護婦だったからだが、腹を空かせた少年は大人がいなくなるとそっとベッドを抜け出し、食べ物を求めて図書館の中をさまよい歩いた。かつて中世の修道院だったその図書館は、もともとベネディクト派の異端的な建造物だったのだけれども、改築をまかされた若い建築家の無頓着と情熱的な放縦のせいで、色んな様式が入り混じった異様なスタイルの建物に生まれ変わっていた。ベルトラン少年は迷路のような回廊をさまよいながら、廊下の暗がりにたたずむガーゴイルを、不吉にゆがめられた円柱を、斜めに突き出して光を遮る細長い梁を、淡い琥珀色を帯びた精密な壁画を見た。これらの光景は少年の脳裡に強い印象とともに刻み込まれた。少年はやがて発見され、太った女司書からパンとシチューを与えられた。

 家に戻ったベルトランは心を入れ替えて勉学に励むようになったが、同時に建築に激しい興味を示すようになった。図書館に入り浸って図版入りの書物をめくり、近所の教会や礼拝所に通って壁や屋根の構造を熱心に観察した。古今東西の建築手法を独学で勉強し、あらゆる様式を一目で見分けられるようになった。大学に入って本格的に建築の勉強を始めた時、彼の知識量は講義を受け持った教授に勝るとも劣らなかったという。やがて学業を終え、ベルトランは建築家として身を立てることになる。両親が死に、天涯孤独となり、そのエキセントリックな性格に磨きがかかっていくと同時に、彼の天才建築家としての名声もフランス中に広まっていった。

 彼の建築家としての盛りは短い。一時期ひどくもてはやされ、何かにとりつかれたように傑作を連発したが、やがてあまりに奇怪なそのスタイルが人々に恐れを抱かせ、嫌悪の情を起こさせた。凋落は早かった。奇行が目立つようになり、しまいにはアル中になって精神病院に収容された。ある夜ベッドから降りようとして足をすべらせ、床で頭を打って帰らぬ人となった。彼の建築物中最も有名なものは、オランダ貴族のために作られた通称「ベルトランの塔」と、イギリスのハイドパークの一角にほんの数ヶ月だけ置いてあった通称「ベルトランの回廊」である。ベルトランの塔はもはや地上に存在しないが、ベルトランの回廊はその後イギリス政府の施設に移され、現在に至るまで厳重に封印されている。

2. 驚異

 あるオランダの貴族が娘の結婚祝いのプレゼントとして、ベルトランに塔の建造を依頼した。敷地内にはすでに居住用の邸宅があったが、依頼主はその塔でも居住ができるようにしたいと考えた。そして当時の流行に敏感だった貴族は、娘をより一層喜ばせるために、この塔を「さまざまな驚異に満ち溢れた建築物」にして欲しいのだ、と付け加えた。要するに、彼はからくり屋敷のような建築物を望んだのである。建築のトリックや技法に精通し、騙し絵や奇術にも通じていたベルトランはこの方面の巨匠として知られていた。彼は情熱をもって塔の建築に取り掛かり、ちょうど一年をかけて完成させた。ベルトランは出来上がった塔の中を自ら案内役となって貴族に見せて回ったが、想像をはるかに上回る不可思議な塔の完成にオランダの貴族は驚喜し、契約額を上回る大金を支払ったという。

 ベルトランの塔はすでに倒壊して残っていないため、私達は文献によってその実態を知ることができるのみである。幸いにして文献は豊富であり、それがどんな塔だったのか再構成するのは難しくない。塔の外観はさほど異様ではない。バロック的な大胆な意匠が目をひくベルトランの建築物の中にあって、この塔は例外的と言ってもいいほど正統的な、ロマン派風の外観を備えている。これは娘の結婚祝いという塔の目的と、華麗な驚異に満ちた内部とのギャップによって意外性を演出する意図が理由として考えられる。塔は優美さを帯びた大小のカーヴで構成され、中世の騎士小説に出てくるそれのようにロマンティックだ。

 扉を開けて中に入ると、天井の高さと小さい窓の不規則な配置が目をひく。窓の不規則な配置は、細心の注意を払って光をコントロールする必要性から生まれたものだ。塔の窓はすべて色ガラスの嵌め殺しになっており、中から人間が開け閉めすることはできない。塔の内部は、外見から想像するよりも広く感じる。住居としても十分機能するようになっており、装飾はやはり女性的で優しげな色調でまとめられている。見物人はある時は壁に沿った螺旋階段、ある時は部屋の真ん中を突き抜ける直線階段を使って、上へ上へと昇っていくことになる。

 階段は階ごとに途切れており、ふたつの階にまたがって続く階段は一つもない。半分だけ昇る階段や、至るところに段差がある廊下や部屋のせいで、見学者は遅かれ早かれ、自分が何階にいるのか分からなくなる。ある階では、上へ昇っているつもりで実は降りている、ということが起きる。部屋Aの末端に上へと続く階段がある。見学者は階段を昇り、部屋Bに入る。部屋Bの反対の端にやはり上へ続く階段があり、見学者がまた昇っていくと、不思議なことに再び部屋Aに出る。二度昇ったはずなのに、出発点の部屋に戻ってしまうのだ。部屋Bから本当に上に行くには、他の階段を使わなければならない。

 またある続き部屋で見学者は、同一階にある部屋の別々の入り口が階段でつながっているのを見る。これは豪奢なペルシャ絨毯をひいた広い続き部屋なのだが、部屋の向こうとこちらの端に向き合う形で扉がある。扉と扉の間の距離はかなりある。二つの扉は明らかに同一平面状にあり、その間に段差はない。片方の扉を出たところに螺旋階段があって、見学者がそれをグルグル昇っていくと細長い廊下に出る。廊下を二度曲がったところに扉があり、それをあけると、そこはさっきの続き部屋のもう片方の端である。まったく同じ続き部屋が上下に重なるようにして二つあるわけではない。疑うならば二人連れでこの部屋に行き、二人が扉の前に向き合って立ち、一人だけが外に出て階段を昇り、廊下を辿って扉をあけてみると良い。そこにあなたの連れが立っている。

3. 魔術

 無論これは人間の感覚を利用したトリックであり、種も仕掛けもあるのだが、実際にこの塔に入った人間は魔法に魅入られたようになってしまう。ベルトランはこのようなトリックを塔の中のいたるところに仕掛けた。ある部屋では、見学者は窓の向こうに通路を見る。窓から首を出して眺めると、通路は右から左に走り、部屋から遠ざかる方向へ直角に折れて見えなくなっている。ところが窓から離れ、部屋の扉から出ると、そこにあるはずの通路がない。壁に塞がれているのだが、壁の向こうに隠されているわけでもない。なぜなら、壁には小さな窓があり、その向こうが塔の外、地上数十メートルの空中であることを示しているからである。

 また別の階には、そっくり同じ造りで同じ装飾の小部屋が六つ並んでおり、それらは壁の中央に位置する、一直線上に並ぶ扉によってつながっている。つまり見学者は次々に五つの扉をあけながらまっすぐ歩いていけば、六つの部屋全部を通り抜けることができる。さて、部屋の外にも廊下があり、廊下は六つの部屋と平行して走っている。廊下の片側にも扉が並んでいて、あなたはその扉をあけて部屋の中に入ることができる。扉は部屋に一つずつしかないし、それは扉を開けて部屋を見回してみれば明らかだ。しかし廊下に並んでいる扉の数は、部屋の数よりひとつ多い七つである。しかし七つの扉のどれをあけても、見学者は六つしかないはずの部屋のどれかをのぞき込むことになる。扉の数は本当は六つなのか、それとも七つなのか。

 人間が巨大化して見える部屋もある。部屋の壁と天井が意図的に歪められていて、テーブルやソファー、読書机もそれぞれが異なる比率で縮小されている。それらが効果的に配置されることによって、部屋の奥に歩いていく人間がどんどん巨大化していくように見える。またある部屋では、灯りをつけると部屋の大きさが変わって見える。別の部屋では、部屋の右端と左端で常に逆向きの風が吹いている。更にまた別の部屋では、一列に並んだ二つの窓を同じ方向からのぞくと、それぞれの窓から違う角度で隣の部屋を眺めることができる。

 このように、ベルトランの塔は汲めども尽きない驚異の泉だった。そのあまりに見事な幻覚作用の数々に人々は感嘆しつつも悪魔的な何かを感じ、不安で、落ち着かない気持ちになった。当時このような芸術は異端的とみなされたのである。ある有名な司教はこの塔を悪魔の住処と呼び、あからさまな非難を浴びせかけたと記録されている。

4. 消失

 二十世紀初頭、ベルトランの塔で不思議な事件が起きた。当時アムステルダムで四人の若い女性を手にかけ、世間の耳目を集めた殺人犯がS県の旅館で発見された。殺人犯はさらに二名の警官を殺して逃亡し、当時すでに市の財産となっていたベルトランの塔の中に逃げ込んだ。もはや袋のねずみだというので、武装した警官隊が一階の扉を開けて一気になだれ込んだ。二十人以上の警官が階段を昇り、曲がりくねった回廊を歩き、ありとあらゆる部屋、隙間、戸棚、テーブルの下、ベッドの下、物陰、引き戸、天井裏を捜索した。ところが殺人犯は見つからなかった。塔のどこにもその姿はなかった。

 警察は塔を封鎖し、しばらく厳重な監視下に置いた。空を飛んで逃げられるはずはないし、地にもぐったはずもない。出入り口は一箇所だけ、絶対にあそこにいるはずだ、というわけで、当局は監視を続けた。しかしいつまでたっても犯人は出てこなかった。ベルトランの塔に入ったきり、その男は煙のように消えてしまったのである。そして一九三六年、オランダのS県を記録的な大地震が襲った。二百人以上が死亡、三十以上の建物が倒壊した。ベルトランの塔も、この地震で倒壊した建物の一つであった。

(挿画:レメディオス・バロ「螺旋の運航」)

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